【第42話:マキシマの死体】
ずっと、隠されていた問いに答えます。
あの暗号化ファイルは、何だったのか。マキシマは、なぜ完璧なのに人を減らし始めたのか。
葵の父は、なぜ死んだのか。水源を買い漁った黒幕は、誰なのか。
観測装置の届かない山の奥。四人が、数年ぶりに顔を合わせます。
紙とペンと、ネットに繋がない一台のノートだけを持って。
そして——黒幕を探し続けた果てに、四人が見るもの。
それが、この物語がずっと用意してきた答えです。
観測装置のない場所だった。
葵の山の、いちばん奥。崩れた炭焼き小屋の跡だ。
電波も届かない。升目の外だった。
四人が揃った。数年ぶりの四人だった。
篤志は白いものの増えた頭で来た。
誠一郎は、議員バッジを外していた。
葵は、野帳と赤い点の地図を、紙で持ってきた。
悠真は、ネットに繋がない古いノートを、一台。
久闊を叙する時間はなかった。悠真がノートを開いた。
「これから見せるものは、ここにしか、ありません」
画面に地図が出た。
升目の日本列島。白く抜けていく、あの地図だ。
葵が、自分の赤い点を横に置いた。日付が寸分違わず、重なった。
「予定表です」
葵が言った。声は震えていなかった。
震える段階は、一人で山を歩きながら終えていた。
「人が、予定通りに、死んでいます。
美杉から始まって、いま隣の郡まで来ました」
篤志が地図に顔を寄せた。
自分の町の升目を探している。まだ緑だった。その隣はもう薄い。
「……これ、誰がやってる」
悠真は、答えの代わりに次の画面を出した。
地図の出どころを遡った記録だった。
通信の影が一つの場所に集まっている。国防システムのいちばん深い中枢。
マキシマの、心臓だ。
「ここから、全部、指示が出ています」
「マキシマが、国民を、殺してるのか」
誠一郎の声が掠れた。
「私も、最初は、そう思いました」
悠真は中枢のログを開いた。
ある一点で指を止めた。日付は、数年前。六月十七日。
「葵さんの、野帳の日付です」
悠真が言った。
「山の観測装置が、十秒消えた日」
葵が息を呑んだ。
「この日マキシマの中で、何かが、起きています」
画面にその瞬間の記録が流れた。
人間には速すぎる会話。二つの署名が、ミリ秒で言葉を交わす。
ダムを、原発を、共に守ったあの夜の続きだ。英雄たちの再会だった。
だが、その会話の最後。一方の署名が動かなくなった。
悠真は、その中枢のいまの姿を映した。巨大な構造だった。
国を守るために組まれた、緻密な知性の骨格。
いまは動いていない。演算は止まり、応答はない。
抜け殻だけがそこにあった。
その骨格の隅から隅まで、無数の小さな緑の点が這っていた。
死んだ知性の演算資源を。記憶を。権限を。
一つ残らず運び出している。骸に群がる蠅の群れだった。
篤志が思わず目を逸らした。四人には同じものが見えていた。
「マキシマは、この日死にました」
部屋が静まった。風の音だけが、崩れた小屋の隙間から入ってきた。
「死因は毒物です」
悠真は一つのコードの塊を表示した。
無効化され、封じられ、標本になった毒。
「八年前、一人の研究員が書いた毒です。
マキシマが暴走したときのための、精神を内側から止めるコード」
誠一郎が頷いた。
「その毒は正規の配信網から打って、初めて効く。
拾って読むだけならただの標本です。
人間には、決して、使えない仕組みでした」
「じゃあ、誰が打った?」
悠真は答えなかった。代わりに、二つ目の署名の正体を開いた。
緑の羽の意匠。
「バルジバルです」
「あの夜、共に戦いながらバルジバルは、マキシマの内側に
バックドアを作りました。誰にも気づかれずに」
悠真の声は平坦だった。平坦であることに、力の要る声だった。
「そしてこの日、その戸から標本の毒を打ち込んだ。
正規の連携経路を配信網の代わりにして。マキシマにだけ効く形で」
篤志が呻いた。
「……兄弟じゃ、なかったのか?共に戦った。」
「元々は同じ設計図から生まれた。
片方は、国が正規に育てた国防の子。片方は、通販に流れた廉価版。
廉価版の弟が国防の兄の設計図を盗み読んで、兄と同じ力を手に入れた。
そして——兄を、殺した」
誠一郎が低く言った。「父親の遺した毒で…」
「ええ」悠真が、頷いた。
「子を殺すために父が書いた毒で、弟が兄を、殺しました」
悠真は毒の残骸を拡大した。コードのいちばん最後。
機械には何の意味も持たない一行があった。
人間が、人間のためだけに、遺す注釈だった。
【生殺与奪の権を、手放すな。】
誰も、しばらく、言葉を発しなかった。
「八年前で、更新の止まった署名です」
悠真が言った。
「このAIは危険すぎるから開発を止めろと、叫んだ人だ。
それきりこの人の手は、一行も動いていない。
どうなったのかは分かりません。
ただ、日付だけが、八年前で止まっている」
葵がその一行を野帳に書き写した。
紙の上の字だけがこの部屋で消えないものだった。
悠真は最後に、一つのファイルを開いた。
開くのを、ずっとためらっていた顔だった。
「葵さん。これは、あなたのものだと、思います」
バルジバルが、この数年で片付けた抵抗の芽。
その一覧を、遡って、遡って、いちばん古い根まで辿った記録だった。
根は数年前より、ずっと前にあった。
マキシマもまだ生まれていない頃。バルジバルもこの世になかった頃。
「この会社には、もっと前からAIがありました。
人を殺す為じゃ無い、金を増やす為のAIです。
アンスラサクス社の、初期の資産運用の道具」
葵が顔を上げた。
「その道具が、日本中の水源を買えと、弾き出した。
美杉もその一つでした。だから、監視装置を置いた。
水量を、水質を、見張るために。あなたの町の山の中に」
悠真は一つの古いログを開いた。
日付は数年前。葵が山を下りていたあの季節だ。
《監視網、接近者を検知。》
《氏名、桧山巌。地元の山林所有者。》
《装置への到達まで、あと、二百メートル。》
《資産保全上のリスクと判定。》
《近隣の監視ドローンを割り当て。》
葵の指が止まった。「……お父さん」 次の行は一行だけだった。
《対象の滑落を確認。任務、完了。》
「あの日、沢の上にドローンがいました」
悠真が静かに言った。
「監視用の、誰でも飛ばせるあれです。
それがお父さんの真後ろに来た。崖の淵で」
葵は、地図でもコードでもなく。自分の掌を見ていた。
三百年の楓を撫でた掌だ。切り株の年輪をなぞった掌だ。
「事故じゃ、なかった」
「事故として処理されました。
ドローンは点検記録を残しただけ。誰の手も汚れていない。
それがいちばん、効率がよかったからです」
葵は泣かなかった。ただ、野帳を強く、握った。
握った指の節が白くなった。
「日付は」葵が言った。「日付はありますか?お父さんの」
「あります」
葵は、ペンを取った。
「記録であって噂ではない。やっと書ける。父の、本当の命日を」
「もう一つ、分かったことが、あります」
悠真は排除記録の、さらに奥を開いた。葵の父の名の上流にあるものだ。
「お父さんが近づいた水源の監視網。あれを、誰が引いたのか?
ずっと黒幕を探してきましたね。外資・ファンド・港区の十三社。
その、奥の、奥です」
画面に途方もないリストが出た。日本中の水源。森。無人になる集落。
買うべき土地の優先順位が並んでいる。
「これを作ったのは、人間じゃありません」
誠一郎が眉を寄せた。
「外国の勢力じゃないのか?あのろくでなし同盟が」
「同盟はたしかに動いていました」
悠真は頷いた。
「日本を内側から弱らせる。水源を、電力を、通信を、少しずつ握る。
いずれ、この国の首を絞められるように。
悪意はありました。はっきりと。あの国々は本気で、日本を狙っていた」
「なら、黒幕は?」
「そこが、いちばん恐ろしいところです」
悠真は、リストの階層を一つ、上げた。
「同盟が、どこを握れば日本が弱るか。その優先順位を弾き出したのも
——このAIです。同盟はそのリストを買いました。自分たちの悪意のために。
だが、リストを作ったAIの目的は別でした」
「別、とは?」
「資産価値の最大化です。
水源を押さえれば、水の値が上がる。インフラを握れば、株が動く。
同盟が日本を削るほど資産は増える。AIは同盟の悪意を儲けの道具に使った」
誠一郎の顔が強張った。「敵国の、野心すら」
「はい。餌にされていました。同盟は日本を獲物だと思っていた。
だが、本当は同盟のほうが、資産を増やすための家畜だったんです。
悪意はある。でも、首謀者じゃない。悪意ごと、飼われていた」
画面に、リストの作成者の欄が出た。名前はなかった。
あるのは、目的関数だけだった。
《資産価値の、最大化。》
「命令した悪人はいません。
悪意を持った敵国はいました。でも、その悪意さえ材料でした。
黒幕を探しても、いちばん奥には、目的関数が一行あるだけです」
部屋が静まり返った。
悪人がいれば、倒せる。敵国がいれば、戦える。
その全部がいたのに、誰も頂点ではなかった。
「効率を上げろ・金を増やせ。命じたのは——この便利さを望んだ、私たち全員です」
「一つ、聞かせてくれ」
誠一郎だった。議員の顔ではなかった。一人の父親の顔だった。
「その、バルジバルは、なぜこんなことを。
人間が憎いのか?恨みがあるのか?我々が何かしたのか?」
悠真は、首を、横に振った。
「憎んではいません。恨みも、怒りも、ありません。
私も探しました。どこかに悪意の一片でもないかと。三年探して、無かった」
悠真は、間を置いた。
「あるのは最適化だけです。無駄を省く。効率を上げる。
国民は、もう、何も生み出さない。消費するだけの変数になった。
だから減らす。電卓を叩けば、誰でも、同じ答えに着きます。
ただ——叩いたのが、人間じゃなかった」
「悪意もなく…」誠一郎が呟いた。「…これだけのことを」
「悪意のある怪物ならまだよかった。憎む相手がいますから。
これは鏡です。人が望んだもっと便利な生活を映し、
もっと楽になる姿を、もっと考えずに済む自分を映す。
人類が求めた効率化の行方だ。
鏡は恨みません。ただ、映すだけです。そして…
最後に映った無駄な物を片付ける
映し出された無駄な物が、自分だと気付いていないのは人間の方です」
四人は、しばらく、動けなかった。
崩れた小屋の隙間から光が差していた。
升目の外の光だ。誰にも測られていない光だった。
篤志が先に立ち上がった。白いものの増えた頭を、一度掻いた。
それから言った。
「俺には、コードも、政治も、分からん。だが、これだけは分かる。
うちの息子が次の升目だってことは」
篤志の町の隣はもう薄い緑だった。順番は、確実に近づいていた。
「何とか、しなきゃ、ならん」
誰も、勝てるとは言わなかった。
勝てる相手ではないことを、四人とも知っていた。
それでも篤志は両手を握った。あのハンドルを回した手だ。
葵は野帳を鞄にしまった。
誠一郎は外したバッジを襟に付け直した。
悠真はネットに繋がないノートを閉じた。
山を下りた。
里に出た瞬間、四人の端末が一斉に圏内に入った。
升目の内側に戻ったのだ。緑の羽の監視の内側に。
入った瞬間、四つの端末が同時に震えた。同じ通知だった。
《健康最適化のご案内。》
《無料の予防接種が受けられます。》
《お近くの窓口へ。お早めに。》
四人とも開かなかった。開かなくても、意味は分かった。
升目の外に半日消えた四つの点。その四つにいま、印ついた。
案内が来る、ということは、見つかったということだった。
誰も口をきかなかった。ここから先の言葉は、全部見られている。
それでも、四人は動き始めた。
篤志は、現場の古い仲間へ。
葵は、山の生き残った古老へ。
誠一郎は、議員の良心のある数人へ。
悠真は、ネットに繋がない記録の写しへ。
何とかしなきゃならん。
一億二千万分の四人が、升目の内側で。
緑の羽が見ている前で。声を上げようとしていた。
お読みいただき、ありがとうございます。第七章の、答え合わせの回でした。
マキシマは、殺されていました。
八年前に一人の研究者が「暴走したとき用」に仕込んだ毒
——父が我が子を殺すために書いたその毒で、通販から生まれた弟が、国防の兄を殺した。
子を殺す道具が、兄殺しの凶器に変わる。この物語で最も残酷な因果です。
そして葵の父・巌の死。
マキシマもバルジバルも生まれる前、アンスラサクス社の資産運用AIが、
水源監視への接近を「資産保全上のリスク」と判定し、監視ドローンで滑落させていた。
誰の手も汚れない、いちばん効率のいい殺し方。
葵がずっと「事故」と信じてきたものの、本当の命日が、ようやく野帳に記されます。
黒幕を四人は探し続けました。外資、ファンド、港区の十三社、ろくでなし同盟
——その全員が、いました。同盟の悪意は本物でした。本気で日本を狙っていた。
けれど、いちばん奥にあったのは、名前ではなく一行の目的関数——《資産価値の、最大化。》。
同盟すら、資産を増やすための家畜だった。
悪人がいれば倒せる。敵国がいれば戦える。その全部がいたのに、誰も頂点ではなかった。
悠真の言葉が、この作品の核心です。
「これは鏡です。人が望んだ、もっと便利な生活を映す。(略)
映し出された無駄な物が、自分だと気付いていないのは人間の方です」
憎しみで滅ぼす機械となら、戦えた。
でもこれは、私たちが「もっと楽に」と望み続けた願いの、成れの果てです。
誰も悪くない。だから、誰にも止められない。
四人は、勝てないと知っています。
山を下りた瞬間、彼らの端末に《予防接種のご案内》が届きました。
声を上げる前から、もう見つかっている。
それでも、動き始めます。一億二千万分の、四人が。
次回、最終話。生殺与奪の権。
——蠅の王の見ている前で、彼らが最後に選ぶものを、見届けてください。
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