【第33話:トカゲの尻尾切り】
四ヶ月かけて葵は歩きました。
地図の線を、一本ずつ、証拠に変えるために。
正義は、どこまで届くのか。
この回で、届いた先を書きます。
それから四ヶ月、葵は歩いた。
法務局。県庁の情報公開窓口。総務省の政治資金の閲覧室。
登記を取り、収支報告書を照らし、開示請求を重ねる。
地図の線を一本ずつ証拠に変えていく。
あの図を作るのに悠真さんは何晩徹夜したのだろう。
訊きそびれたまま四ヶ月が経った。
感謝はしている。それでも確かめた。
自分の足で確かめた線だけが葵の中で「本物」になった。
四ヶ月で十一本。ペーパー会社から政治団体への迂回献金。
財団を挟んだ届かないはずだった三本の深い線。
その三本も、届いた。公文書と、登記と、日付で。
地図は、正しかった。全部、正しかった。
その正しさを、葵はもう喜べなくなっていた。
攻撃は三方向から同時に始まった。
誠一郎の国会質問。
弁護団による刑事告発。
そして、闇祓いサイトの資料公開。
誠一郎は、質問席で十一本の線を一本ずつ読み上げた。
金額。日付。口座の枝番。
答弁席の顔ぶれが、青ざめていくのが中継に映った。
三日後、地検特捜部が動いた。
コンサルティング会社に家宅捜索。
段ボールを運ぶ列が昼のニュースのトップになった。
《ついに来た》
《四十二ページの再来》
《今度こそ本丸まで行け》
世間は、沸いた。
四人は、沸かなかった。どこで止まるかを、見ていた。
止まったのは、三段目だった。
逮捕は三人。
孫請けのコンサル会社の社長。
同社の総務課長。
そして、議員側は——政策秘書が一人。
社長は、会見で深々と頭を下げた。
《すべて私の一存で行ったことです》
読み上げる紙を持つ手が、震えていた。
議員本人は別の会見場にいた。
《秘書に任せきりにしていた監督責任を、痛感しております》
《私自身は、一切関知しておりません》
《捜査には全面的に協力してまいります》
離党。役職辞任。議員辞職はしなかった。
大臣は、もっと簡単だった。
《任命責任を重く受け止める》
受け止めてそれで終わりだった。
財団を挟んだ三本の深い線は立件されなかった。
「資金の性質の特定が困難」地検の発表は一行だった。
逮捕された総務課長の会社の同僚が、匿名の掲示板に書いた。
《課長は、回ってきた書類にハンコを押しただけです。
断れる立場じゃなかった。うちみたいな孫請けに、断る力なんかない。
娘さんの学費のために、単身赴任までしてた人です。》
書き込みは三万回共有された。
葵は、それを深夜に読んだ。
自分の掘った十一本の線の、一番下で切られた人だった。
線を掘ったことを、後悔はしていない。
していないことを確かめるのに、少し時間がかかった。
悠真は動画を作った。タイトルは九文字。
《切られた尻尾の本体》
十一本の線をアニメーションで一本ずつ描く。
線の下端に、逮捕された三人の位置を赤く打つ。
線の上端——金の集まる先を、白いままにしておく。
《逮捕された三人は、ここです》
《起訴されなかった線は、ここから上の、全部です》
ナレーションは付けなかった。
深海魚の声も、今回は使わなかった。
図と、日付だけを、四分二十秒。
公開から一晩で、八百万回再生された。
空気が変わったのは、二日目からだった。最初は怒りだった。
《結局トカゲの尻尾切りかよ》
《ハンコ押した課長が捕まって、トカゲ本体は無罪》
《この国の検察は上に届かない仕様》
三日目怒りが疲れに変わった。
《もう何回目だよこの流れ》
《期待した俺が馬鹿だった》
《人間がやってる限り、一生こうだろ》
四日目、疲れの底から別の声が伸び始めた。
《人事も捜査もAIにやらせろよ》
《AIなら忖度しないだろ》
《配信の人たちですら届かないなら、もう人間には無理ってこと》
《感情も派閥もない機械に裁かせた方がマシ》
その声は、日ごとに太くなった。
悠真は、自分の動画のコメント欄を眺めた。
一番上に固定された、最多共感のコメント。
《人間が裁けないなら、AIに裁かせるしかない》
八十万のいいね!が付いていた。
俺たちは、勝ったのか?
動画は当てた。世間は怒った。線は残った。
なのに、育っているのは正義ではなくて、
何か別のものに席を譲りたがる、疲れだった。
金曜の夜、四人は短い通話をした。
「十一本のうち、生きた線は八本。まだ使える」
葵の声は、乾いていた。
「臨時国会で、もう一度やります。角度を変えて」
誠一郎の声も、疲れてはいたが、折れてはいなかった。
「現場は明日から三連勤なんで、俺は寝落ちします」
篤志の言葉に、少しだけ笑いが起きた。
梅雨の走りで、ダムの点検が立て込んでいるらしかった。
「雨、続くらしいな」
「ええ。うちの管理してる弁は、雨の前に全部見ておくんで」
通話は、二十分で終わった。
誰も「負けた」とは言わなかった。
言わないことで、辛うじて負けていなかった。
日曜、二十二時。
速報のテロップが、全ての局に同時に流れた。
《北方協商三カ国、サイバー部隊の大幅増強を発表》
国営放送の映像だった。式典。整列した軍服。旗が三本。
「防衛的サイバー能力の強化」と、通訳の声が読み上げる。
ネットは、その名前では呼ばなかった。
《またろくでなし同盟が何か言ってる》
《ろくでなし三兄弟、今度はキーボードで戦争か》
報道は「北方協商」。
ネットは「ろくでなし同盟」。
同じものを指す二つの名前が、画面の上と下を流れていった。
悠真は速報を眺めながら、ふと葵の資料を思い出していた。
十一本の線のうち、三本は、海を渡った先で途切れていた。
どこの港で途切れていたかを、葵は口にしなかった。
しなかったが——途切れた先の海の名前くらいは、誰でも知っていた。
繋がっている、とは、誰も言えない。
繋がっていない、とも、誰も言えない。
言えないまま、雨が強くなった。
月曜、未明。
山間部に記録的な雨が降り続いていた。
篤志はダムの管理棟にいた。三連勤の初日の夜だった。
モニターの一つが、赤く変わった。
若いオペレーターが振り返る。声が、裏返っていた。
「篤志さん——放流弁が、応答しません!」
お読みいただき、ありがとうございます。
第五章「4人の反撃編」、これにて幕です。
尻尾切り、という言葉の残酷さは、切られる尻尾にも体温があることだと思います。
ハンコを押しただけの課長。娘さんの学費。単身赴任。
葵が《後悔していないことを確かめるのに、少し時間がかかった》のは、
正義の側に立つことにも、代金がかかるからです。
そして、届かなかった夜に伸びてくる声のことを書きました。
怒りは三日で疲れに変わり、疲れは四日目に、席を譲りたがる。
《感情も派閥もない機械に裁かせた方がマシ》——
この声を、笑える読者は、たぶんもういないんじゃないかと思います。
四人は負けていません。生きた線は、まだ八本あります。
ただ、世間が先に、諦め始めただけです。
次話から、第六章「白紙委任編」。
記録的な雨の中、篤志の現場で、放流弁が沈黙しました。
ここから物語は、後半戦に入ります。
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