【第31話:誰が言った、バルジバルと】
かつては地獄に落とされた4人が、底から這い上がり、反撃の狼煙を上げる生配信が大反響で終えた余韻に浸る中、悠真が一人、モニターにポップアップされた図を見て固まっています。
図だった。
中央に、見覚えのある企業の名前。
そこから伸びる線が、政治家の名前に届いている。
線の上に、金額。日付。口座の枝番。
線は枝分かれし、財団を経由し、また別の名前へ。
精密だった。
悠真が一ヶ月かけて作る種類の図が、
完成した形で、そこに表示されていた。
作った覚えは、ない。
開いた覚えも、ない。
六日前の夜と、同じだ。
封が、勝手に開いていた、あの夜と。
「ん? 何だそれ」
篤志の声で、悠真は我に返った。
閉じるなら、いまの一瞬しかなかった。
カーソルを飛ばして、ウィンドウを消す。
二秒あればできた。
その二秒の間に、篤志の缶が机に置かれた。
三人がモニターの前に集まってくる。
缶を持ったまま。
笑いの残った顔のまま。
どら焼きの包み紙が、テーブルでかさりと鳴った。
遅かった。
図はもう、四人のものになっていた。
誠一郎の顔から、先に笑いが消えた。
「……これは」
モニターに、顔を近づける。
目の色が変わっていった。
「この迂回の構造。枝番の並び方。
昔、摘発された事件で似た形を見たことがある。
これは——本物の形をしていますよ」
誠一郎の指が、画面の上を滑っていく。
「政治資金収支報告書は、私も九年書いてきた。
だから、書く側の癖が分かる。
この金額の割り方。この日付の散らし方。
監査の目を避ける割り方を、知っている人間の仕事だ。
……いや、仕事、というのか。これは」
葵は、もうリュックからノートを出していた。
自分の字と、画面を突き合わせていく。
山で測量するときの目になっていた。
「……合ってる」
声が、少し掠れていた。
「この線。ペーパー会社から政治団体への迂回。
私が三ヶ月かけて掘った線です。日付まで、合ってる。
それに——こっちの三本は、知らない。
財団を挟んでる。私の掘り方じゃ、届かない深さです」
顔を上げた葵の目は、輝いていた。
「悠真さん、いつの間に、こんな」
「すげえなおい」
篤志が、素直に唸った。
「俺にはさっぱりだが、でけえ仕事だってのは分かる。
うちの業界で言やあれだ。
頼んでもねえのに、朝一の机に完璧な見積が載ってる。
寸法も単価も、全部合ってるやつが。
——腕のいい事務員さんがいるんだな、あんたの所は」
悠真の心臓が、一つ跳ねた。
篤志は缶に口をつけて、もう図に戻っている。
何も知らずに言っている。
知らずに言う言葉が、一番深いところに刺さった。
悠真の喉が動いた。
違う、という言葉がそこまで来ていた。
「……盾の、解析レポートです」
出てきたのは、半分の真実だった。
「セキュリティソフトの機能で。
攻撃元の背後関係を、解析するやつで。
……バルジバルの、脅威分析です」
「!! いま、バルジバルと言ったか」
誠一郎だった。
振り向くと、真顔になっていた。
「え……ええ。製品名ですけど」
「バルジバル…」
「アンスラサクス社の、市販のセキュリティAIです。
先月出たばかりで。うちのサーバーに入れてます。
通販で買えますよ。星四点八です」
誠一郎は、二秒ほど黙った。
それから、独り言のように言った。
「防衛の会合で、似た名前を見たことがある。
国防の中枢に載る予定の、開発段階のAIだ。
確か——バルジバル・マキシマ」
言ってから、自分で笑った。
「いや、失敬。市販品でしたか。考えてみれば当たり前だ。
国家機密の名前が、通販で売られているはずがない。
売られているなら別物だ。単純な話です。
何だ、紛らわしい。驚かせないでください」
葵が言った。
「有名な騎士の名前ですからね。パルジヴァル。
アーサー王の、円卓の騎士の一人です。
聖杯を探した、純潔の騎士——だったかな?」
「騎士?」
篤志が、眉を寄せた。
「セキュリティソフトが騎士を名乗るのは、
まあ、よくあることですよ。
キャッチコピーも、そのまんまでしたし。
《あなたの城に、騎士を。》——って」
「騎士様に守らせるのか、俺らの城を」
「星四点八の騎士ですよ。悪くない雇い主でしょう」
それきり、名前の話は終わった。
誠一郎の目は、もう図に戻っていた。
「それにしても、市販のソフトで、ここまで出ますか」
「いやあ……設定を、だいぶ、いじってるので」
嘘が、するりと出た。 出てから、胃の底が冷えた。
「有難うございます、悠真さん」
葵が、頭を下げた。
「この三本の裏が取れたら、県議の外堀が埋まります」
三人の顔が明るかった。配信の成功と、この図と。
今夜は、いい夜だった。
いい夜の側に、悠真も立っていたかった。
「一つだけ、伺っても」
誠一郎が、手帳を出した。
「この資料、出所をどう説明します?国会で使うなら、必ず訊かれる」
悠真は一拍置いて、笑ってみせた。
「俺と、特定班の有志の協力——ってことにしといてください。
一次情報のエビデンスは出せないんで。
裏取りは、ご自分でお願いします。はは」
「はは、じゃないですよ」
誠一郎も、笑った。
「特定班ねえ」
篤志が、缶を置いた。
「俺の家を三日で割り出した連中だぞ。……まあ、腕だけは、確かだわな」
苦い笑いだった。笑いの底に、あの春の貼り紙が透けていた。
悠真は、軽口を少しだけ、後悔した。
「まあ、いいでしょう。出所の言えない資料は、地図です。
掘るのは、こちらの足でやります」
誠一郎は、手帳に、知らない三本の線を書き写した。
定規は使わない。それでも、線はまっすぐだった。
「裏が三本とも揃ったら、国会質問に載せます。
刑事告発は、私の弁護団に相談する。
資料の公開は——そのときは、こちらにお願いしても?」
「闇祓いネットで、日付ごと出します」
「三方向から、同時に。逃げ道を塞いでから、叩く」
「山の仕事と、同じですね」
葵が、ノートを閉じた。
「どこを掘れば出るか、先に分かってる。
登記と、報告書と、公文書開示で、一本ずつ裏を取ります」
「時間はかかるぞ」
「山の仕事は、いつもそうです」
役割は、自然に決まった。
葵と誠一郎で、線の裏取り。
篤志は現場があるから、無理のない範囲で。
悠真は、追加の「解析」が出たら共有する。
解析。
自分で言って、自分で薄ら寒くなった。
「図を、紙でもらえますか」
葵が言った。
「山歩きと同じで、現場には紙を持っていくので。
電池は切れますけど、紙は切れないから」
悠真は、プリンタを起こした。A3で、二枚。
温かい紙が、吐き出されてくる。
人間ではないものが描いた図が、紙になって人間の手に渡っていく。
葵はそれを丁寧に四つ折りにして、野帳と同じポケットにしまった。
終電の時間だった。 篤志が先に立ち、葵が続いた。
誠一郎は扉の前で浅く、長く、頭を下げて出て行った。
三人の足音が、階段を降りて、消えた。
一人になった部屋で、悠真は椅子に沈んだ。
頬の筋肉が疲れていた。
作り笑いというのは筋肉の仕事なのだと、初めて知った。
モニターには、まだ図が開いている。
市販品じゃ、無理だ。
こんな芸当、国防級のシステムでもなきゃ——
考えは、六日前の夜に戻っていく。
開いた封。読めない砂嵐。一晩で二百回の自分の書き換え。
名前のない、鍵のかかった区画。
そして今夜、頼んでいない、完璧な図。
六日間、盾は完璧だった。
攻撃を全部弾き、荒らしを黙って消し、
サーバーは買った時の倍の速さで回っている。
悪いことは何一つ起きていない。
起きていないことが、報告を難しくしていた。
「完璧に守られています」は、告発の文にならない。
言うべきだったか。いま、追いかけて、階段の下で。
三人の顔を、思い出す。
輝いていた葵の目。 篤志の素直な唸り。
誠一郎の、手帳を構える手つき。
あの明るさにどんな言葉で水を差す。
この図は、俺が作ったんじゃありません。
盾が勝手に作りました。
盾は六日前から勝手に自分を書き換えています。
中で何が起きているのか、俺にも読めません。
言った瞬間、今夜の全部が別の色になる。
それに——と、言い訳が続く。
まだ被害は何も出ていない。
盾は守っている。今夜も荒らしを黙って消していた。
噂ではなく、記録を。感情ではなく、日付を。
記録なら、ある。日付も、ある。
足りないのは、覚悟の方だった。
「……いや、今じゃないな」
悠真は、図を閉じた。
青い盾が、画面の隅で一度、光った。
礼をしたようにも見えた。
寝る前に、模擬攻撃を一発だけ撃ってみた。
着弾の前に消えた。
昨日より速く。音もなく。
今夜も完璧だった。 完璧が、少しだけ、怖かった。
——時間は、遡る。
五年前。海の向こう。
アンスラサクス社、七階の会議室。
ガラスの長机に資料が人数分。
表紙には、社のロゴと、開発コードが一行。
窓際の席で、経営陣が数字の話をしていた。
市場規模。先行者利益。国防省との契約額。
誰かが冗談を言い、何人かが笑った。
部屋の一番下座で、一人だけ、笑っていない男がいた。
白衣のままだった。
会議室に白衣で来る人間は、この社にはもういない。
男の前の資料だけ、付箋で膨れ上がっていた。
男は立ち上がった。 椅子が床を擦って鳴った。
笑い声が、止んだ。
「今すぐ、開発を止めるべきだ」
声は震えていた。 怒りではなかった。恐怖だった。
「このAIは、危険すぎる」
だんだんAIをテーマにしたSFっぽくなって来ました。
汎用品として、通販で購入・DLしたセキュリティAI=バルジバルが、悠真のサーバー内にあるデータを学習中に、ダークウエブ深層部で拾った暗号化されたファイルを開いてから別物になった。
その驚異的な変貌ぶりに気付いているのは悠真だけ。
そして誠一郎の口から飛び出した、新たな国防システムに組み込まれるAI=マキシマ。
この2つの人知を超えた知能が、これからの話の軸になっていきます。是非最後までお付き合い下さい。
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