【第30話:生配信】
金曜、二十一時。
八秒を信じるか、二時間を信じるか。
【第30話:生配信】
金曜、二十時四十分。
悠真の拠点に、椅子が四つ。
一週間前と同じ並びで、今日はマイクが四本立っている。
篤志は、さっきから三度目のトイレに立った。
葵は、目を閉じて座っている。山で天気を待つときの顔だった。
誠一郎だけが、いつも通りだった。
国会の答弁前と同じ顔です、と本人が言った。
「始まったら、緊張は消えます。消えなかったことがない」
モニターの隅で、待機人数が回っている。
十八万。十九万。二十万。
悠真は、最後の確認をした。
回線、二系統。電源、二系統。
声は、四人とも同じボコーダーを通す。
「全員、同じ声にします」
準備のとき、誠一郎が理由を訊いた。
「言葉から、肩書きを剥がすためです」
議員の声は、議員の声というだけで重く聞こえる。
現場の男の声は、それだけで軽く扱われる。
同じ声にすれば、残るのは言葉だけになる。
「——記録の人の考え方だ」
誠一郎は笑って、それ以上訊かなかった。
六日間、盾は完璧だった。
完璧なままだった。
それが一番、落ち着かなかった。
二十一時、零分。
「配信を、始めます」
深海魚の声が四つ、世界に流れ始めた。
「進行役です。名乗りません。ルールを先に言います」
悠真は、画面に一行だけ映した。
《噂と感情は置いてきました。出すのは、日付だけです。》
「今夜は、切り抜きが出ると思います。止められません。
だから、全部残します。ノーカットで、アーカイブも消しません。
八秒を信じるか、二時間を信じるかは、皆さんが決めてください」
同時接続、三十四万。
コメントの滝が、モニターの端を流れていく。
荒らしの文字列が時々混じり、混じった瞬間に消えた。
盾の仕事は、丁寧だった。
その丁寧さが今夜は、少しだけ怖かった。
最初は、篤志だった。
「……あの投稿を書いた者です」
深海魚の声が、少し震えていた。
あの夜のことを、篤志は順番に話した。
告知の日のこと。妻が倒れていった日々のこと。
会社が沈んだ日のこと。そして、あの一行を書くまでのこと。
「死ねよ死んじまえ日本。——本気でした」
コメントの滝が、一瞬、緩んだ。
「日本が憎かったんじゃない。
朝までは普通だった人生が、夕方には崩れてる。
誰のせいかも分からない。だから、一番大きいものに言った。
……それだけの、八秒でした」
いま何をしているのか、と悠真が水を向けた。
「倒産前の取引先に、拾ってもらいました。
設備のメンテナンス会社です。現場監督をやってます。
ポンプとか、弁とか。ダムや浄水場にも入ります。
動いて当たり前のものを、当たり前に動かし続ける仕事です」
深海魚の声が、少しだけ柔らかくなった。
「営業のときは、売って終わりでした。
いまは、売った後の側にいます。
誰にも気づかれないのが、一番いい仕事で。
……向いてるんだと思います。そういうのが」
息子のことは、最後に少しだけ話した。
「息子は、何も変わってません。あの日の告知の前と、同じ子です。
変わったのは、俺の見方でした」
家族のことは、と質問が読まれた。
「……まだ、途中です」
深海魚の声が、そこで止まった。
悠真は、次を促さなかった。
三十四万人が、十秒の沈黙を一緒に聞いた。
二人目は、葵だった。
「勝手に、ジャンヌダルクにされた者です」
コメントの滝に、笑いが混じった。
「旗にされるのは、二度目なんです。持ち上げる旗と、燃やす旗。
どっちも、私の知らないところで作られました」
葵は、山の話をした。
父と歩いた尾根の話。水源の話。
町が半分眠っている間に、山の名義が海の向こうへ渡っていた話。
「父は、山で死にました。事故として処理されました」
深海魚の声は、乱れなかった。
「私は、再調査を申し立てています。
感情でじゃありません。書類の日付が、三つ合わないからです」
土地の件は、行政訴訟と国会質問の両輪でやる、と葵は言った。
「山は動けません。 だから、人間の側が動くしかない。それだけです」
コメントの滝が、速くなっていた。
《日付が三つ合わない》が、切り抜かれて走り始めるのが見えた。
今夜の切り抜きは、こちらの味方だった。
三人目、誠一郎。
「捏造された音声の、本人です」
経緯は、三分で切り上げた。
四十二ページは公開済みです、読んでください、とだけ言った。
「今夜は、これからの話をします」
誠一郎が話したのは、政策だった。
重要インフラのサイバー防衛。
公文書と音源の、真正性認証の制度化。
「私は素人に毛が生えた程度の人間ですが、一つだけ学びました。
私を救ったのは、支持者でも、党でも、メディアでもない。
六十四桁の数字と、気象庁の記録でした」
深海魚の声が、ゆっくりと続けた。
「日付を、国家の側に置きたい。
改竄された瞬間に、改竄されたと分かる国にしたい。
それが、焼かれた人間にできる、唯一の恩返しです」
同時接続、五十一万。
質疑は、事前に精査した中から拾った。
《闇祓いネットの中の人は、何者ですか》
「ただの、記録係です」
《なぜ顔を隠すんですか。やましいことがないなら出せるはずです》
「顔を出すと、次からは顔が記事になります。
言葉だけを置いておきたいんです。顔は、要らないので」
《あなたたち四人は、これから何をするんですか》
悠真は、少し間を置いた。
「別に、組織じゃありません。
ただ、おかしい日付を見つけたら、また置きます。ここに」
二十三時四分、配信を終えた。
ピークの同時接続、六十二万。
コメントの最後の滝は、温かかった。
《二時間、あっという間だった》
《八秒より二時間を信じるわ、俺は》
《なんだろう、久しぶりに大人の話を聞いた気がする》
配線を抜くと、部屋が急に静かになった。
誠一郎がネクタイを緩め、篤志が大きく息を吐いた。
葵が冷蔵庫から、コーラと茶を人数分持ってくる。
「打ち上げです」
缶とペットボトルで、四人は乾杯した。
誰からともなく、笑いが起きた。
深海魚の声のままの誠一郎の演説を、篤志が真似た。
似ていなかった。似ていないことに、葵が咳き込むほど笑った。
悠真は、笑いながらモニター群を眺めた。
切り抜きは、もう百本以上走っている。
今夜のところは、どれも味方だった。
一年前には、想像もしなかった夜だ。
部屋に人がいて、缶が四つあって、明日の相談をしている。
こういうものを守るために、と悠真は思った。
こういうものを守るために、日付を——
思考が、そこで止まった。
六枚のモニターの、右上の一枚。
ウィンドウが、開いた。
いま、目の前で、開いた。
誰も、触れていないのに。
カーソルは、画面の隅で、眠ったままだ。
背中を、冷たいものが降りていった。
六日前の夜が、一瞬で戻ってくる。
開いた封。読めない砂嵐。二百回の書き換え。
背後で、三人はまだ笑っている。
誠一郎の深海魚の真似を、篤志がまだ引きずっている。
誰も、気づいていない。
悠真だけが、笑顔のまま、固まっていた。
お読みいただき、ありがとうございます。
この回の武器は、内容ではなく「長さ」です。
八秒に切り抜かれた男と、見出しにされた女と、九十秒で謝られた男。
三人とも、他人に編集された時間を生きてきました。
だからノーカットの二時間を、そのまま返す。それがこの配信の全部です。
声を四人とも同じにした理由は、悠真が本文で語ったとおりです。
言葉から肩書きを剥がすと、議員の話も、現場監督の話も、同じ重さになる。
深海魚の声にしてよかったと、書きながら思いました。
そして、お気づきの方もいると思います。
この配信の進行役は、六日前の夜に「あれ」を見た男です。
知りながら、マイクの前に座っている。
彼の乾杯のコーラが、少しでも旨かったことを祈ります。
最後の一枚の図について、作者から言えることは、まだありません。
誰も、マウスに触れていませんでした。
次話、第31話「誰が言った、バルジバルと」。
その名前を知っている男が、この部屋にもう一人います。
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