【第26話:サーバーダウン】
誠一郎編、最終話です。
三晩の検証。四十二ページの報告書。そして、二十時五十九分三十秒。
《噂ではなく、記録を。感情ではなく、日付を。》——その信条が、試される夜です。
検証は、三晩かかった。まず、音そのものを開いた。
《おまえのためにやってるんだぞ! わかってんのか!》
波形を拡大していくと、怒鳴り声の直前が不自然だった。
息を吸う音が、ない。人間は、吸わずに怒鳴れない。
継ぎ目を、さらに拡大する。
波の位相が、一瞬で飛んでいた。切って、貼った跡。
特定班の一人が、書き込んだ。
《ここ、エアコンの唸りが継ぎ目で別人になってる》
部屋の暗騒音は、指紋と同じだ。部屋が変われば、音の癖も変わる。
誠一郎から届いた正規の会議録音と、照合した。
狭い事務所の、乾いた残響。広い会議室の、長い残響。
二つの部屋の声が、「一つの場面」として繋がれていた。
次に、日付を開いた。
誠一郎の日程表は、五年分あった。
《日付をください。全部の。》に対して、本当に全部よこした男だった。
「わかってんのか」の背後に、かすかな雨樋の音がある。
討論練習があった日の東京は、気象庁の記録で快晴。
雨の音だけが、別の日から来ていた。
悠真は呟いた。
「天気は、消せない日付だ」
素材は、少なくとも三つの日付にまたがっていた。
そして全素材のマイクの癖が、一致した。
同じ端末。同じポケットの布擦れ。
一台のスマホが、五ヶ月かけて録りためた声。
衝動の犯行では、ない。
五ヶ月、笑顔の下で回り続けた録音ボタン。
特定班のスレッドが、その夜だけ静かだった。
怒りより先に、寒気が来る種類の事実だった。
報告書は、四十二ページになった。
波形。残響。気象記録。日程との照合表。
結論は一行で書けた。
《当該音源は、複数日の録音素材を編集して作成された合成物である》
公開の前に、本人へ送った。
返信は、十五分後に来た。 一行だった。
《娘に、伝えてもいいですか》
悠真は、しばらく画面を見ていた。
政局でも、名誉回復でもなかった。
この男が最初に取り戻したいのは、それか。
《どうぞ。記録は、そのためにあります》
サイトに、予告を出した。
《明日二十一時、誠一郎代表の音源検証の全記録を公開します。》
反応は、昼までに十万を超えた。
そして昼過ぎ、一通のメールが届いた。
ホスティング事業者からの、事務的な文面。
権利侵害の申し立てがあった。異議があれば七日以内に——。
申立人の欄には、聞いたこともない法律事務所の名前。
悠真は書面を保存し、異議を送り、椅子にもたれた。
一の矢は、法律。 なら二の矢は、たぶん暴力だ。
順番まで、教科書通りに来るだろうか?
二十時五十九分三十秒・・・来た。
トラフィックのグラフが、垂直に立ち上がる。
秒間、十万リクエスト。
「張ってやがった……」
公開の三十秒前。人間の張り込みの時間だった。
悠真は防壁を切り替えた。
海外の踏み台からの波を、一段目で受け流す。
二段目が来た。桁が、一つ上がった。
CDNに逃がす。しのぐ。指が汗で滑る。
二十一時四分。 三段目。
桁が、もう一つ上がった。
これは、金で借りられる火力の上限だ。誰かが、上限まで金を積んだ。
画面の数字が、跳ねて、詰まって——止まった。 接続断。
名前ごと、ネットから消された。
部屋が、急に静かになる。冷却ファンの音だけが、回り続けていた。
モニターは、全部黒い。
部屋の隅で、外付けドライブの灯だけが点滅している。
悠真は引き出しから、USBメモリを三本出した。
報告書、素材、ログ。全部をコピーする。
進捗バーだけが、暗い部屋で動いていた。
報告書なら、誠一郎の手元にもある。
だが、本人が出せば「自作自演」の一言で焼かれて終わる。
あの男の言葉は、何を言っても薪にされてきた。
出すのは、無関係の第三者でなくてはならない。
それも、素材ごと。誰でも検証できる形で。
それに——公開の三十秒前を、張られていた。
こちらの回線は、もう裸で歩けない。
メールは、着く前に読まれる。あるいは、着かない。
残っている経路を、指折り数えた。
一本しか、なかった。
永田に電話をかけた。
「サーバー、落とされた」
「だろうな。で、どうする」
「回線が駄目なら、道路がある」
電話の向こうで、永田が笑った気がした。
「配達なら、心当たりがある」
通話を切って、窓の外を見た。
夜の街。どこかで誰かが、今ごろ祝杯を上げている。
上げさせておけ、と思った。
これだけの火力を向けられた。つまり——当たっている。
悠真はUSBの一本を、強く握った。
プラスチックの角が、掌に食い込む。
その痛みが、妙に頼もしかった。
お読みいただきありがとうございます。これにて誠一郎編、完結です。
検証の場面は、音・日付・端末の三層で書きました。
呼吸のない怒鳴り声、快晴の日の雨音、そして五ヶ月回り続けた録音ボタン
——第22話で膝の上に伏せられていたスマホの意味を、ここで回収させてもらいました。
怒りより寒気が先に来る、と特定班が黙り込んだ夜です。
そして《娘に、伝えてもいいですか》。
潔白の証拠を手にした男が最初に望んだものを、この章の答えとして置きました。
証拠は揃いました。しかし公開は、金で借りられる火力の上限で潰されました。
残った経路は一本——道路です。
次話「バイク便」から新章。篤志、悠真、葵、誠一郎。
バラバラに燃やされてきた四人の物語が、いよいよ一つに合流していきます。明日更新予定です。
一話からここまで追ってくださった皆さま、本当にありがとうございます。章の区切りです。
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