【第16話 杭になる森】
三百年かけて育った欅に、値段がつきます。
一山、なんぼ。
太さと、長さだけの世界。
今夜、公民館で説明会が開かれます。
町が割れる音を、聞き逃さないでください。
土場に、山が積まれていた。
木の、山だった。
杉。桧。欅。楢。径も樹種もばらばらのまま、重機の高さまで積み上げられている。朝から霧雨。木口が濡れて、年輪が黒く浮いていた。
グラップルが唸る。
鉄の爪が、欅を掴んだ。無造作に。三百年は数えられる大径木。爪の先が樹皮を抉り、白い生身が覗く。
巌が、歩み寄った。
積まれる寸前の木口に、手を置く。指が年輪を数える。中心から外へ。それから、木口の縁を親指でなぞった。
「……読める?父さん」
「泡杢だ。芯まで通っとる」
低い声だった。
「玉が出るぞ、これは。挽けば」
「挽かないんですよ、桧山さん」
市場の事務員が、伝票を片手に立っていた。若い男。気まずそうに、目を伏せている。
「全量、立米単価です。太いのも細いのも、欅も杉も、一山なんぼで」
「買い手は」
「商社です。半分はコンテナで港へ。原木のまま」
「原木のまま」
巌が、繰り返した。
「削るのも向こう。乾かすのも向こう。儲けるのも、向こうか」
事務員は答えなかった。グラップルがまた唸って、欅が積まれた。地面が揺れる。泡杢は、丸太の山のいちばん上で、雨に濡れていた。
葵は伝票の単価を見た。
祖父の代なら、この欅一本で家が建った。
今は、軽トラ一台分の値段もつかない。
「残りの半分は」
帰り際、葵は訊いた。
事務員は、少しためらってから言った。
「開発の現場です。美杉ヒルズの、仮設道路。」
現場は、田淵の山の裾にあった。
雨は上がっていた。伐り開かれたばかりの斜面。赤土が剥き出しで、湯気を上げている。
道路の予定線に沿って、板が敷き並べられていた。
厚さ十センチはある、粗挽きの板。帯鋸の目がそのまま残った、乾かしてもいない生の材。挽きたての木肌がまだ白く、切断面から樹液が滲んでいる。
車敷だ。重機を泥に沈めないための、敷き板。
三十トンのクレーンが、その上を進んでいく。キャタピラが板を噛む。
泥水が板の上を洗い、白かった木肌が茶に染まっていく。
普通の工事現場なら鉄板を敷く。が、山の斜面は鉄板が滑り落ちるので
対策するより、伐採した木を、粗く引いて敷き詰めた方が安上がりだからだ。
葵の足が、止まった。
一枚の板。泥の膜の下で、光が波打っていた。
玉杢。
真円に近い、見事な玉。
一枚板の全面に、雨上がりの空を映して、光の粒が並んでいる。
指物師が見れば手を合わせる杢だ。箪笥の前板なら、三棹は取れた。
キャタピラが、その上に乗った。
ミシ、と鳴いた。
バキ、と割れた。
玉杢が泥に沈む。次の板。また次の板。クレーンは進んでいく。
「……三月だ」
巌が言った。帽子を目深に下ろして、現場を見ていた。
「儂らが六十年かけて育てた木が、三月で泥になって、捨てられる」
工事が終われば、車敷は産廃だ。割れて、泥を吸って、燃やすことすらされずに埋まる。
杭も、車敷も、木であって木ではない。
太さと、長さと、潰れるまでの月数。使い捨ての仮設資材。
葵はスマホを構えて、やめた。
撮ってどうする。誰に見せる。
——このときは、まだそう思っていた。
夜。公民館。
パイプ椅子が、足りなくなっていた。
正面のスクリーンに、CGが映っている。緑の丘。ガラス張りのホテル。
露天風呂。ゴンドラ。白い文字が浮かぶ。
《MISUGI HILLS & SPA構想》
「——雇用は、建設期で約二百名。開業後も百五十名を予定しております」
演台の男は、沢渡と名乗った。
株式会社アクアテラ・ジャパン、開発事業部長。仕立てのいいスーツ。完璧な姿勢。
完璧な敬語。よく通る声で、数字だけを、正確に積んでいく。
固定資産税。地元発注。ふるさと納税の返礼連携。
会場の後ろの方で、若い声が上がった。
「いいじゃねえか、別に」
田淵の息子だった。腕を組んで、椅子にふんぞり返っている。
「山なんか守って、飯が食えるか。親父の山、売って正解だったわ」
笑い声。数人。
うつむく年寄り。数人。
会場の空気に、線が入った。目に見える線だった。売った者と、まだの者。
町が、真ん中から割れていく音がした。
「水は、どうなりますか」
立ち上がったのは、下流で葡萄をやっている宮下だった。
「スパってことは、湧かすんでしょう。汲むんでしょう。
うちの畑は、水口の沢の水系だ。去年、あの沢の山が売れたって聞いた。
買ったのは、お宅さんですか」
沢渡は、微笑んだ。
「水資源につきましては、地域の皆様と協議の場を設けながら、持続可能な形で——」
答えではなかった。
答えではない、ということだけが、答えだった。
閉会間際、葵は手を挙げた。
「県の森林保護官として伺います。開発予定地の北東斜面は、
水源涵養保安林の指定申請が出ている区域と重なります。
土地の取得は、いつから進めていましたか」
会場が、静かになった。
沢渡が、葵を見た。
初めて、資料から目を上げた気がした。
「——桧山さん、ですね」
心臓が、一拍、遅れた。
名乗っていない。
「お父様の山は、この地域でも指折りだと伺っています。
手入れの行き届いた、素晴らしい山だと」
微笑んだまま、沢渡は続けた。
「ご質問の件は、後日、書面で回答いたします」
それだけだった。
拍手がまばらに起きて、説明会は終わった。
帰りの軽トラ。
父も、葵も、口をきかなかった。
ヘッドライトの先を、蛾が横切る。ラジオは点けなかった。
家に着くと、父は居間に上がらず、納屋へ行った。
裸電球の下。
シュ、と音がした。
シュ。シュ。
砥石の上を、斧の刃が滑っている。父の背中は動かない。
手だけが、同じ速さで、同じ角度で、往復している。
売らん、とも。
戦う、とも。
父は何も言わなかった。
ただ、斧を研いでいた。
それが、答えだった。
お読みいただき、ありがとうございます。
「車敷」という言葉を、ご存じだったでしょうか。
重機を泥に沈めないために敷く、使い捨ての板です。工事が終われば産廃になります。作中の玉杢の板のように、指物師が手を合わせる木が、太さと長さだけで挽かれて、キャタピラの下で割れていく——これは、誇張ではありません。
日本の原木輸出量は、いま過去最高の水準にあります。
ただしその多くは、削るのも、乾かすのも、儲けるのも「向こう」。
三百年の木には、三百年の行き先があるはずなのに。
そして説明会。
沢渡は、なぜ名乗っていない葵の名を知っていたのか。
答えではない、ということだけが、答えでした。
次回、第17話「静かな買収」。
葵が法務局で、登記簿の束をめくります。
そこに並ぶ「買主」の欄が、この町に起きていることの正体です。
ブックマーク・評価・感想、いつも大きな励みになっています。




