【第12話:会議室】
待たせしました。悠真編、クライマックスです。
前話までの「何かがおかしい」という霧の中の感覚が、この話で一気に形を持ちます。読むのがつらくなるかもしれません。それでも、最後まで付き合っていただけたら嬉しいです。
まさか、職場にも・・・。
その問いが浮かんでから、悠真は美沙樹にラインを送った。
考えすぎかも知れない。だから、先ずは変わり無いか?探る形で。
美沙樹からのメッセージの返信が、遅くなっていた。
以前は数分で返ってきたものが、半日かかるようになった。
内容も短くなった。「うん」「そうだね」。素っ気ない。
何かおかしい。そう感じながらも、悠真は確証が持てなかった。
ある日、美沙樹の部署に直接顔を出した。
受付の女子に「美沙樹さん、いますか?」と聞いた。
その社員は、一瞬だけ目を泳がせた。
「今、席外してます」
明らかに嘘だった。さっき美沙樹の後ろ姿がチラッと見えた。
数日後、廊下でようやく美沙樹を見つけた。
「美沙樹!少し話せないか?」
声をかけた瞬間、両脇から女子社員二人が現れた。
「美沙樹、ほら行こ!」
美沙樹は、悠真と目を合わせなかった。
「ごめん、今ちょっと」
そう言って、連れられるように去っていった。
拒もうとする素振りは、なかった。
悠真はその場に立ち尽くした。
電話をかけた。・・・出なかった。
メッセージを送った。
既読がつかない日もあれば、既読だけついて返信がない日もあった。
美沙樹に何かとんでもなく悪い事をしてしまったのでは?と云う気になって来た。
職場全体の空気も、もう隠しようがないほど変わっていた。
すれ違う女子社員のほとんどが、目を合わせなくなった。
給湯室の前を通ると、会話が止まる。それが、もう日常になっていた。
まるで針の筵の中で、味方も相談相手もおらず、
ただひたすら業務をこなすだけの日々が続いた。
ある日、椎名が珍しく声をかけてきた。
美沙樹の先輩で、以前は普通に話せていた女性だ。
会議室の一つ手前、人気のない廊下で、椎名は腕を組んで立っていた。
「ちょっといい?」
「・・・何ですか?」
椎名の目つきは、これまでにないほど鋭かった。
「美沙樹をセフレにするなら、もう別れなさいよ。」
??? 悠真は、言葉の意味がまるで理解できなかった。
「唐突に、何を言っているのか・・・」
「とぼけないで。聞いてるよ、みんな」
「どんな?」
「あんたが体目的で美沙樹と付き合ったって話。二股も三股もしてるって。
最近飽きてきたから、ゲーム仲間に回そうとしてるって」
悠真は、息が止まった。
「輪姦させるとか、自慢げに言ってたんでしょ? 最低だよね!」
「そんな!考えた事も無い!
・・・田所! 田所が言いふらしてんだろ!」
声が震えた。
「ほんとサイテー。自分が田所に自慢したんでしょ?
田所が教えてくれて美沙樹が泣きながら相談してきたんだから!」
悠真の頭の中で、何かが崩れていく音がした。
「とにかく、美沙樹にはもう近づかないで!」
椎名はそれ以上何も言わず、悠真を冷たい目で見たまま、去っていった。
その夜、悠真は永田に全てを伝えた。
「美沙樹のことまで、巻き込まれてる」
「まぢかぁ・・・」
「俺が二股三股してて、コミュニティの中で輪姦させようとしてるって話が広まってる」
永田はしばらく沈黙していた。
「どうする?」
「分からない」
悠真は本気で考えた。
美沙樹に直接会って説明するべきか? 無理に会おうとすればストーカー扱いされる。
会社の上司に相談するべきか? でも証拠が無い。そもそも業務外の話だ。
田所を問い詰めるべきか? それこそ田所の思う壺だ。
被害者ヅラして俺をさらなる悪魔に仕立て上げるネタにされるだけだ。
永田も、有効な手立てを思いつかなかった。
「とりあえず、証拠を掻き集めるしかないんじゃないか?」
それが、唯一出てきた結論だった。
具体的な方法は、何も決まらなかった。
答えの出ないまま、何日かが過ぎた。
悠真は、常に誰かが陰口を叩いている感覚の中で生活していた。
誰も信じてくれない。誰も信じられない。
言葉が「言い訳」として、最初から無効化されていた。
そんな時だった。
美沙樹からメッセージが来たのは、木曜の午後だった。
「定時過ぎ、少し話せる? 会議室で。」
悠真は画面を見た。
胸の奥に、一抹の冷たさがあった。
名前がつけられない感覚だった。不安とも違う。予感とも違う。
ただ、何かが動いている、という感触だけがあった。
それでも悠真は立ち上がった。
ようやく話せる。
誤解を解ける。
そう思おうとした。
ここ数週間、初めて美沙樹の方から連絡が来たのだ。
縋るような気持ちだった。
小会議室のドアをノックした。 返事はなかった。 気配はする。
ドアに手をかけた。 開けた。
美沙樹がいた。
「・・・!」
田所がいた。
美沙樹は壁を背にしていた。田所はその前に立っていた。
二人の距離は、なかった。
悠真の目が状況を認識した。
認識したくなかった。
でも、見えた。
全部、見せつけられていた。
そして悠真は、聞いた。
聞きたくなかった。
無理やり聞かされているのだ。
その声は美沙樹のものだった。
悠真が一度も聞いた事のない喘ぎ声だった。
二年間、一度も。
田所が振り返った。
その動作は、ゆっくりしていた。
予期していた人間の動作だった。
顔に笑みがあった。
にやついた、という言葉がある。
それだ、と悠真は思った。
田所の目が、悠真を捉えた。
逸らさなかった。
その目に、勝利という文字が見えた気がした。
声はなかった。言葉もなかった。
ただその目だけが、悠真に向けられていた。
美沙樹が何か言った。
聞こえなかった。
悠真の足が動いた。
後ろへ。
廊下へ。
走っていた。
走っているという自覚すら、後からついてきた。
非常口の赤いランプが流れた。
曲がった。 また曲がった。
どこへ向かっているのか分からなかった。
ただ、田所の目から、遠ざかりたかった。
あの勝ち誇った目から。
悠真の背中が、廊下の奥に消えた。
最後までお読みいただきありがとうございました。
椎名に告げられた言葉、美沙樹の居留守、そして会議室——悠真が「縋るような気持ち」で向かった先に何があったか、もうお分かりいただけたかと思います。
田所というキャラクターを描くにあたって、一番こだわったのは「悪意に説明をつけない」ことです。なぜここまでするのか。なぜ壊すだけでなく見せつけるのか。その問いへの答えは、次の第13話「闇に堕ちた一年」で、悠真自身がたどり着きます。
次話からは、この経験が悠真をどう変えていくか——そして物語全体の核心へと繋がっていきます。引き続きお付き合いいただけると幸いです。
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