第8話『肝試しの子がお屋敷で倒れました』
たちの悪い熱が流行し始めている。
そう言ったきり、マレーナは口をつぐんだ。シワだらけの手は湯呑みを握りしめたまま動かない。
「熱冷ましの草でしたら、少しお手伝いできますよ」
すかさず身を乗り出したのは、シルヴィアだった。
薬草の話になると、この人は途端に前のめりになる。
「あらあら、それなら、こちらの草とこちらを煎じて……」
「ありがたいけどねえ」マレーナは、ふっと困ったように笑った。
「あんたら、〝あの屋敷〟の人だろう。村の連中は、まだあんたらを怖がっとる。よその、それも幽霊と暮らす娘たちが薬を持ってきたとなりゃ、かえって騒ぎになりかねん」
それはそうだろう。私は内心でうなずいた。
遠巻きにされる変わり者が、急に病人の世話を焼きはじめたら、村人はどう思うか。
善意のつもりが要らぬ波風を立てることもある。
「……でしたら、薬草だけ、分けていただけますか?」
私が言うと、マレーナは少しほっとした顔で乾いた葉を何種類か包んでくれた。
せめてこれで、屋敷で誰か倒れても困らない。それくらいの心づもりだった。
◇
帰り道、丘を上りながらリリーが唇を尖らせた。
「あたしらが手伝えば、子どもらの熱なんてすぐ——」
「すぐ、何ですか」
「……いや、なんとなく」
リリーは、ばつが悪そうに口ごもった。
手伝えば、と言いかけて、自分でも分からなくなったのだろう。私たちに何ができるのか。
シルヴィアの薬草の知識くらいで、あとは普通のメイド四人だ。
それに、よその村のことに踏み込むのは、やはり筋が違う気もする。
「気にはなりますけどね」私は籠の薬草を抱え直した。
「私たちは、屋敷の仕事をするだけです」
「……ねむ」とネルが、誰も聞いていない感想を漏らした。
その夜は、いつもどおりに過ぎた。
シルヴィアの作った野菜の煮込みを食べ、ネルの淹れたお茶を飲み、報告会という名のだらだらをして、各々眠りについた。
——けれど、私はなかなか寝つけなかった。
たちの悪い熱。負えなくなりかけている。
あの、思いつめたマレーナの顔がまぶたの裏にちらついて離れなかった。
◇
ことり、と物音がしたのは、夜も更けた頃だった。
私は暗がりで目を開けた。気のせいか、と思ったが、もう一度、ことり、と鳴る。
屋敷の奥のほうだ。あの優しい気配にしては、音が硬すぎる。
「リリーさん」
隣で寝ていたリリーを揺り起こすと、彼女はぱっと身を起こした。
寝起きでもこういうときの反応だけは早い。
「なんか、いる?」
「物音がします。気配の子ではなさそうです」
「よっしゃ、まかせて」
「待ってください、雷は使わないで——」
言い終わる前に、リリーは廊下へ飛び出していた。仕方なく、私もろうそくを片手に後を追う。
物音の出どころは、まだ手をつけていない奥の小部屋だった。
扉を開けた、その先。
ろうそくの灯りの中に、小さな人影がうずくまっていた。
子どもだ。十歳くらいだろうか。
そばかすの散った顔をこわばらせて、こちらを見上げている。明らかに村の子だった。
「で……出た……」
「出たのはこちらのセリフです」私はろうそくを掲げた。
「あなた、こんな夜中に、どこから入ったんですか」
「べ、別に、怖くないし……っ」
子どもは、ぶるぶる震えながら精いっぱい胸を張った。震えているのに強がる。
なかなか見上げた根性である。
「肝試し、か」リリーが察した。
「お化け屋敷に夜中に忍び込むやつ! あたしも昔やったなー!」
「ち、ちがう……おれは、勇気があるって、みんなに——」
言いかけて、子どもの声が、ふいに途切れた。
よく見れば、頬が赤い。妙に赤い。肩で、はっ、はっ、と忙しなく息をしている。
いやな予感がして、私は膝をついて額に手を当てた。
——熱い。
「リリーさん、シルヴィアさんとネルを起こしてください! それと水を」
私が言い終わるか終わらないかのうちに、子どもの体がぐらりと傾いだ。
とっさに抱きとめる。ぐったりと力の抜けた小さな体は火のように熱かった。
「これは……村ではやっている、あのお熱ですねぇ」
居間の長椅子に寝かせた子どもを覗き込んで、シルヴィアが眉を下げた。
すっかり目を覚ました四人で、子どもを囲んでいる。
「分かるんですか」
「ええ。汗の出方と、息の浅さで。マレーナさんが言っていたのと、同じ感じがします」
濡らした布で額を冷やしながら、私は手早く段取りを組んだ。
水、着替え、湯を沸かして薬草を煎じる準備。
やることは決まっている。決まっていれば、慌てることはない。
「リリーさん、井戸の水を一杯。シルヴィアさんは、いただいた薬草を。ネルは——」
「……枕元、座ってる」
「それでいいです。あなたがいると、不思議と静かになりますから」
お世辞のつもりはなかった。ネルがそばにいると、張りつめた空気がふっとほどける。
荒れた寝息さえ、少しおとなしくなる気がするのだ。気のせいかもしれないけれど。
ネルが、子どもの枕元にぺたりと座り込んだ。半目で、寝顔をじっと見ている。
「……この子、怖がって、走って、転んで、それで力使いきった感じ。熱は前から、あったんだと思う」
「無理を押して、肝試しに?」
「うん。引っ込みつかなくなったんじゃない。……強がりだから」
さっきの震えながらの強がりを思い出して、私は小さく息を吐いた。
熱のあるのを隠して、夜の幽霊屋敷に忍び込む。
子どもというのは、どうしてこう、見栄のために命を粗末にするのか。
しばらくすると、子ども——ニコ、とうわ言で名乗った——が、薄く目を開けた。
「……ここ、お化け屋敷」
「お化けは出ません。メイドが出ます」私は布を替えてやった。
「あなた、ニコというんですね。お熱があるのに、無茶をしましたね」
「……みんな、寝てる、から」ニコは、熱でとろんとした目で、途切れ途切れに言った。
「カイも、メメも……みんな熱で、寝込んで……。だから、おれだけでも、元気だってとこ、見せようと……」
「お仲間も、寝込んでいるんですか」
「……うん。最初は、カイんちの赤ん坊だけ、だったのに」ニコの声が、だんだん細くなる。
「いまは、ぜんぶの家に、ひとりは……。だんだん、増えてる」
だんだん、増えている。
マレーナの言葉が、子どもの口から裏づけられた。負えなくなりかけている、というのは、決して大げさではなかったのだ。
◇
ニコはまた眠りに落ちた。
薬草の煎じ汁を少し飲ませると、息がほんの少しだけ楽になったようだった。
けれど、熱は引かない。
「村へ帰すには、夜道は危ないですね」私は窓の外の闇を見やった。
「この熱で歩かせるわけにもいきません。朝まで、ここで寝かせます」
「だなー。明るくなったら、おうちまで送ってやろ」とリリー。
そこまではいい。一人の子を介抱して、朝に送り届ける。
ただの人助けだ。
問題はその先だった。
村では、子どもらが次々に倒れている。だんだん増えている。
医者はいない。薬草に詳しいマレーナひとりでは、もう手が回らない。
——私たちは、屋敷の仕事をするだけ。昼間、確かにそう言った。
よその村のこと。遠巻きにされる変わり者が、出しゃばること。
踏み込まない理由ならいくらでもある。
でも――火のように熱い体を抱きとめた、あの感触がまだ腕に残っている。
みんなに元気だと見せたくて、震えながら強がった、そばかすの顔が。
私には、聖女の力なんてない。
けれど、ここには——枯れ木を蘇らせる人がいて、荒ぶるものを寝かしつける人がいる。
ひと晩じゅう考えるまでもなかった。答えは、たぶん、最初から決まっていた。
私は、隣で眠そうにしているシルヴィアとネルのほうを向いた。
「シルヴィアさん、ネル。——手伝ってもらえますか?」




