第7話『村のみなさんに遠巻きにされています』
屋敷の暮らしが回りはじめると、当然、足りないものが出てくる。
小麦粉も、塩も、保存のきく食料も底をつきかけていた。畑のお裾分けと井戸の水だけでは、さすがに立ちゆかない。
「買い出しに行きましょう。村まで」
家計簿とにらめっこしていた私が言うと、三人は思い思いに返事をした。
「よっしゃ、荷物持ちはまかせて!」リリーが腕まくりをする。
「お醤油と、お砂糖も切れていましたねぇ」とシルヴィア。
「……村まで、歩くの?」ネルが、早くもげんなりした顔をした。
「歩きます。荷車を引いてくれるなら、おんぶしてあげてもいいですが」
「……歩く」
こうして四人そろって、私たちははじめて、丘を下りて村へ向かったのだった。
丘を下りる道は、思っていたより長かった。ネルは案の定、途中で何度も「……休憩」と座り込もうとし、そのたびにシルヴィアが飴玉で釣って歩かせた。リリーは荷車がわりの大きなカゴを軽々と担ぎ、鼻歌まじりに先頭を行く。のどかな道行きだった。
◇
カムナ村は、屋敷の丘の麓にある、小さな村だった。
石を積んだ低い塀、土を踏み固めた道、畑のあいだに点々と建つ素朴な家々。中央から見捨てられた辺境、と聞いていたとおり、豊かとは言えない。けれど、よく手入れされた畑と、洗濯物のはためく軒先には、地に足のついた暮らしの匂いがあった。
——その、はずだったのだが。
私たちが村の通りに足を踏み入れたとたん、空気が、がらりと変わった。
井戸端で話していた女たちが、ぴたりと口を閉ざす。畑仕事の手を止めて、こちらを見る。家の窓から、子どもがそっと顔をのぞかせ——リリーがにっと笑って手を振ると、ひっ、と引っ込んで、奥から母親らしき人が子をかばうように抱き上げ、戸を閉めてしまった。
「……えっ。あたし、なんかした?」リリーが、しょんぼりと手を下ろす。
「いえ。たぶん、手を振っただけで、十分に怖かったんでしょう」
「ひどくない!?」
そして、ひそひそと、さざめきが広がっていく。
「あれが、例の……」
「出る屋敷の、メイドだとさ」
「幽霊と一緒に暮らしてるって……」
あからさまに、遠巻きにされていた。
道を歩けば、人がさりげなく端へ寄る。目が合えば、慌ててそらされる。
まるで、得体の知れない何かが通りかかった、とでもいうように。
「……なんか、すごい見られてるね」リリーが小声で言う。
「ですねぇ。歓迎、という感じではありませんねぇ」
「……ねむ」ネルは相変わらずだった。
私は、こっそりとため息をついた。
幽霊と暮らしている、というのは、まあ、否定はできない。けれど、こちらはごくごく真っ当に、井戸を掃除して、薪を割って、お茶を淹れているだけの、ただのメイドである。なぜこうも警戒されなければならないのか。
……まあ、城壁を炭にしたり、両軍を眠らせたりした過去は、ひとまず脇に置くとして。
とはいえ、この四人の中でただ一人、何の力もない私まで、ひとまとめに〝規格外〟扱いされるのは、少しばかり釈然としない。一番まともなのは、どう考えても私のはずなのに。
◇
村の中ほどに、よろず屋を兼ねた一軒の家があった。
店先で帳面をつけていたのは、白髪まじりの、がっしりとした年配の男だった。岩のように厚い肩と、日に焼けた厳つい顔。太い指でちびた鉛筆を握り、帳面の数字をにらんでいる。その鋭い目が、ふいに上がって、私たちをじろりと見た。
「……あんたらが、例の屋敷の連中か」
「はい。先日からあちらでお世話になっております。買い出しに伺いました」
私が丁寧に頭を下げると、男はしばらく値踏みするように私たちを眺めてから、ぶっきらぼうに名乗った。
「村長のゴルドだ。……まあ、買いに来たんなら、売るがな。ここは店だ」
無愛想だが、追い返すわけではないらしい。
聞けば、この村には医者も、まともな行商も、めったに来ないという。
役人にいたっては、もう何年も顔を見ていないそうだ。
だからゴルドが、店も、もめごとの仲裁も、村のことは何でもひとりで引き受けている。見捨てられた土地で、自分たちのことは自分たちで——そういう、気の張った暮らしが、この無骨さの裏にはあるのだろう。私は内心ほっとして、買い物の品を並べはじめた。
小麦粉に塩、砂糖、油、保存のきく豆。会計をしながら、村長はちらりと私を見た。
「あんたら、あの屋敷で……ほんとに、何ともないのか」
「何とも、とは」
「夜中に灯りがついたり、物が動いたりする、って噂だ。気味悪くて、村の者は誰も近寄らん」
「ああ」私はうなずいた。
「灯りはつきますし、物も動きます。でも、悪さはしませんよ。むしろ、掃除を手伝ってくれるくらいで」
村長は、ぽかんとした。それから、毒気を抜かれたように、ふん、と鼻を鳴らす。
「……変わった連中だ」
「ごく普通のメイドですが」
その返しに、村長は今度こそ、何とも言えない顔をした。
◇
買い物を終えて店を出ると、隣の宿屋から、しわがれた、けれど張りのある声がかかった。
「おやおや。新顔さんかい。ちょいと寄っておいき」
声の主は、腰の曲がった小柄な老婆だった。宿屋の戸口で、たくさんの干した薬草を軒に吊るしている。鋭い目が、好奇心できらきらと光っていた。
断る理由もないので、私たちは宿屋の土間に通された。老婆は手早く湯を沸かし、何種類かの干した葉を急須に放り込んで、香りのいいお茶を淹れてくれた。
「あたしはマレーナだ。この村で、薬草と茶葉の面倒を見とる」
ひと口飲んで、ネルの半目が、ぱちりと開いた。
「……このお茶、いい。からだが、ほどける感じ」
「ほう。わかるかい、お嬢ちゃん」マレーナが、にやりと笑う。
「眠りを助ける草を混ぜとる。あんた、根を詰めすぎる質だろう」
「……逆。ゆるめすぎる質」
「ははっ、こりゃ一本取られたね」
私もひと口いただくと、ほろ苦さのあとに、ふわりと優しい甘みが広がった。井戸の水とはまた違う、滋味のあるお茶だ。張りつめていた肩から、すっと力が抜けていく。なるほど、ネルが気に入るわけだ。
マレーナは愉快そうに笑った。
シルヴィアが、軒に吊るされた薬草に目を留めた。
「あらあら、これは熱冷ましの草ですねぇ。こちらは、お腹の痛みに効くもので……あ、この二つを一緒に煎じると、喉にとてもいいんですよ」
「ほう……あんた、薬草に詳しいねえ」マレーナが目を見張る。
「ふふ、昔、少しだけ。育てるのも、好きなんです」
「育てる、ねえ。……今度、見せてもらおうかね。あたしの薬草畑をさ」
二人はそれから、すっかり話し込んでしまった。
村人たちの遠巻きとは打って変わって、この人は、私たちを少しも怖がっていないようだった。
「あんたら、なかなか面白い娘たちだねえ。あの屋敷に、よく居着けたもんだ」
その口ぶりに、私はふと、引っかかりを覚えた。
「あの屋敷のこと、何かご存じなんですか?」
「さあてね。昔から〝出る〟と言われとるだけさ。……ただ、あそこは、悪い場所じゃない。あたしは、そう思っとるよ」
マレーナは、遠い目をして、丘の上の屋敷をちらりと見やった。何か知っていそうな口ぶりだったが、それ以上は語らなかった。
帰り支度をして、土間を出ようとしたときだった。
マレーナが、ふいに、言いにくそうに口を開いた。
「……なあ、あんたら」
「はい?」
「いや……よその、しかも〝あの屋敷〟の人に、こんなこと頼むのもお門違いなんだが……」
マレーナは、しわだらけの手で、湯呑みをぎゅっと握りしめた。
さっきまでの快活さが、ふっと陰る。
医者もいない辺境で、薬草の心得があるのは自分ひとり。
その自分の手に、負えなくなりかけている——そんな、思いつめた顔だった。
「最近、村の子らの間で……たちの悪い熱が、はやりはじめててね……」




