第30話『ここに、居ていいんだ』
あの夜から数日が過ぎた。
その日は朝から冷たい雨が降っていた。
森も、村へ続く坂道も、灰色の雨にけぶっている。こんな日は買い出しにも行けず、薬草園の世話もできない。私たちは自然と屋敷の中で一日を過ごすことになった。
夕暮れ。
居間の暖炉にはパチパチと薪が爆ぜている。窓を打つ雨音が、かえって屋敷の中の温かさを際立たせていた。
いつものように四人でお茶を囲む。ネルが淹れたお茶は雨に冷えた指先をじんわりとほどいてくれた。
シルヴィアの焼いた温かいスコーンが皿の上で湯気を立てている。
けれど——あの夜から、私たちの間には、まだ言葉にならない何かが残っていた。
ミナのあの一言。
──「みんながいると、安心するの」
誰も口には出さない。けれど、ふとした拍子に四人の視線が宙で行き合っては、何となくそらされる。
そんなことが、この数日、何度もあった。
雨の夜は人を素直にする。
暖炉の火を見つめていると、胸の奥にずっと仕舞い込んでいたモノが不意にこぼれそうになった。
最初に口を開きかけたのは、リリーだった。
「……なあ、あのさ」
暖炉の火をじっと見つめたまま。けれど、その先が続かない。
言いたいことが喉の奥でつかえているみたいに。
「あー、もう! なんて言えばいいのか、わかんないや」
リリーがくしゃっと髪をかきまぜる。
そのとき。
湯のみを両手で包んでいたネルがぽつりと言った。
「……ねえ。みんな、ここ、すき?」
脱力したいつもの声。なのに、その問いは私たちの胸のちょうど真ん中を貫いた。
「……うん」リリーがふっと肩の力を抜いた。「あたし、ここ、好きだ。すっごく」
堰が切れた。
「あたしさ。ずっと、自分の力がイヤだったんだ」リリーは自分の手のひらを見つめた。「聖なる雷、なんて、大層な名前ついてるけどさ。あたしが力を使うと、いつも壊れるんだ。大聖堂の鐘楼をぶっ壊して、追い出されて」
へへ、と力なく笑う。
「どこ行っても、化け物でも見るみたいな目で見られてさ。あたしのこと、怖がらない人なんていなかった。……でも、ここではちがう。橋を架けたら、みんな喜んでくれた。ミナたちはあたしと手ぇ繋いで笑ってくれる。そんなの……はじめてだったんだ」
「……わたしも同じです」
シルヴィアがふんわりと、けれど、どこか寂しげに微笑んだ。
「わたしの力は、いつもやりすぎてしまうんです。花を一輪咲かせようとして、王城まるごと森にしてしまうくらいに。だから、わたしずっと思っていました。わたしがいるとみんなに迷惑をかけてしまう、と」
お菓子作りが好きなのは、レシピならきっちり制御できるからだ。やりすぎないように、いつも自分を抑えて。
「でも、この村の薬草園は、わたしがうんとはりきっても、誰も困りませんでした。むしろ喜んでくれた。……はりきってもいいんだ、って。わたしはじめて、そう思えたんです」
「……わたしは」ネルがぽつと口を開いた。「両軍を三日、眠らせた。戦を止めようとして。……そしたら、気味悪がられて追い出された」
淡々と、まるで他人事のように。けれど。
「……気にしてないつもりだった。気に病むのめんどくさいし」ネルはこてんと首をかしげた。「でも。ここ来てわかった。……気にしてないんじゃなくて。あきらめてた、だけ」
脱力した声がほんの少し揺れた。
「……ここは、あきらめなくていい。それが……うれしい」
三人の言葉を聞きながら。
私も自分の番だとわかっていた。
「……私は」声が思ったより小さくなった。「聖具に何の反応も示せませんでした。才なし、ハズレ——そう告げられて大聖堂を追われたんです」
あの日の事は、今でも覚えている。
冷たい視線。憐れみと侮蔑。
「お前には何の価値もない」と突きつけられた、あの瞬間を。
「私がいると人は不安になる。気味悪がる。そういうものだと、ずっと思っていました。だから、誰にも期待しないし、されないように息を潜めて生きてきました」
なのに。
「ミナに言われたんです。みんながいると安心する、って。……こわくないって」
言葉にすると、胸の奥がまた熱くなった。
「私がいることで誰かが安心する。……そんなこと、生まれてはじめて言われました」
ひとしきり話し終えると。
不思議と胸の中が軽くなっていた。重く仕舞い込んでいたものをようやく外に出せたみたいに。
ふと気づく。
窓の外は、相変わらず冷たい雨。なのに、この居間は少しも底冷えしない。
暖炉の火だけでは説明のつかない、やわらかな温かさが部屋全体を包んでいた。
「……あれ? お茶……まだ、あったかい」
リリーが湯のみを不思議そうに見つめた。さっき淹れたきりなのに、ちっとも冷めていない。それどころか、淹れたてのようにほこほこと湯気を立てている。
「……この屋敷、いつも、こうなんです」私はつぶやいた。
考えてみればずっとそうだった。
冬でも底冷えしない。お茶が中々、冷めない。
夜中にふと目が覚めると、毛布がいつの間にかかけ直されている。
不思議なこととして、私たちはなんとなく、流してきた。けれど。
「……ずっと、見ててくれてたんだね」
ネルが書斎のほうへと目を向けた。あの優しい気配の宿るほうへ。
「わたしたちが来たときから。ずっと。……あったかくして、見守っててくれた」
ネルの言葉に、私はハッとした。
そうだ。この屋敷は最初から私たちに優しかった。
行き場をなくして辿り着いた私たちを。
何も言わず、ただ温かく迎え入れてくれていた。
まるで——ここにいていいんだよ、と言うように。
「……ありがとう、ございます」
誰にともなく、私はそう言った。
シルヴィアも、リリーも、そっと頭を下げる。
「ありがとうございますねぇ。おかげで、わたしたちこんなにあったかい夜を過ごせています」
「ありがとな! このお茶のあったかさ、あんたのおかげだったんだ!」
その瞬間、暖炉の火がふわりと揺れた。まるで、「どういたしまして」とでも言うように。
ネルがふにゃと笑った。
◇
雨音がいつの間にか和らいでいた。
暖炉の火を囲んで、四人で温かいお茶をすする。
さっきまでの重さは、もうどこにもなかった。あるのは、ただ、くすぐったいような満ち足りた静けさだけ。
ふと。私はずっと胸の奥にしまっていた問いを思わずこぼしていた。
「……私たち、ずっと、ここにいてもいいのでしょうか」
行き場をなくして、流れ着いた辺境の幽霊屋敷。
『ハズレ』と呼ばれた、規格外の元聖女たち。
そんな私たちが、こんなにも温かい場所に居ついてしまっていいのだろうか。
言ってしまってから私は少し後悔した。折角の温かい空気を壊してしまったかもしれない、と。
けれど。
間を置いて、リリーがけろりと言った。
「いいに、決まってるじゃん!」
あまりにも、あっさりと。あまりにも、まっすぐに。
「だってさ。ミナも言ってたろ? いてくれたらいいなって。あたしたちがいると安心するって。……だったら、いるしかないじゃん」
「……そうですねぇ」シルヴィアが微笑む。
「……うん。ここに、いる」ネルがうなずく。
ここにいていいんだ。
その言葉が、ようやく私の胸にすとんと収まった。
長い間、行き場を探して彷徨ってきた、私たちの本当の帰る場所。
それは、もう、とっくに、ここにあったのだ。
窓の外で雨が上がる。雲の切れ間から、一筋の月の光が差し込んできた。




