第28話『祭りの後の静けさ』
獣たちが森へ帰っていった、その翌日。
北の集落へ身を寄せていた村人たちが続々と村へ戻ってきた。
屋敷の丘から見下ろすと、街道のほうから家財を積んだ荷車の列がゆっくりと村へ吸い込まれていくのが見えた。空っぽだった村に、また人の声が戻ってくる。子どもたちのはしゃぐ声、家畜の鳴き声、戸を開け放つ音。たった数日、無人になっただけなのに、その賑わいがひどくありがたく感じられた。
「……村のみんな、帰ってきましたねぇ」シルヴィアが窓辺で、ほっと息をつく。
「うん。よかったよかった」リリーも満足げにうなずいた。
村がちゃんとここにある。守りたかったものが守られた。それだけで、私の胸は静かに満たされていた。
——もっとも。
村人たちが、私たちのことをどう聞いて帰ってきたのかは、すぐに知ることになった。
◇
昼前のことだった。
屋敷の玄関の戸を誰かが遠慮がちに叩いた。こんな辺境の屋敷を訪ねてくる者など、村長くらいのものだ。怪訝に思いながら戸を開けると——そこには、見覚えのある村人がカゴを抱えて立っていた。
「あの……これ、つまらないものですが」
カゴの中には、産みたての卵が山と積まれている。
「獣を追い払ってくれたって聞きました。あなたたちのおかげで村が無事だったって。……本当にありがとう」
深々と頭を下げられて、私はあわてた。
「い、いえ。私たちは、大したことはしていません」
「そんなことない! ……これ、ほんの気持ちです。受け取ってください」
押しつけるように卵のカゴを渡され、村人は満足そうに帰っていった。
戸を閉めると、すぐ、また別の音がする。
——とんとん。
次は、野菜を抱えた別の村人だった。その次は、焼きたてのパンを。その次は、瓶詰めの蜂蜜を。お礼の客は途切れることがなかった。
「いやー、まいったね! こんなにもらっちゃって!」
リリーは最初こそ照れていたが、だんだん嬉しさが勝ってきたらしく、村人が来るたびに大声で笑いながら品物を受け取っていた。
「あらあら、こんなに立派な果物まで……いいんですか? まあ、嬉しい」
シルヴィアは固辞するどころか、ニコニコと全部受け取ってしまう。
「……これ、おいしい」
ネルにいたっては、もらった焼き菓子をその場でもぐもぐと食べ始める始末だった。
固辞しているのは、もはや私だけだった。
「ですから、本当に、大したことは……」
「クロエお姉ちゃん、いつもそう言うー!」
いつのまにか来ていたミナが頬をふくらませる。私は言葉に詰まった。
中には、ずいぶん前のことを持ち出す人もいた。
「うちの子の熱を引かせてくれたお礼も、まだ、ちゃんとできてなくてね」見覚えのある母親が手作りのジャムの瓶を差し出す。
「橋のおかげで、隣村の市にも通えるようになったよ。あれもあんたらだろう?」
「井戸の水がすっかりうまくなってさ。毎朝、ありがたく飲んでるよ!」
獣を鎮めたお礼のはずが、いつのまにか、これまでのありとあらゆることへのお礼になっていた。半年かけて、少しずつ村に返してきたものが——今、いちどきに戻ってくるようだった。
昼を過ぎる頃、ゴルドがやってきた。手には大きな酒瓶を提げている。
「……世話になった」
ぶっきらぼうに、それだけ言って瓶をズイと差し出す。
「これは……」
「村で、いちばんいい果実酒だ。……あんたらは、まだ飲まんかもしれんが。まあ、大人になったら、飲め」
子ども扱いされている気もしたが、その無骨な顔に確かな感謝がにじんでいるのが伝わってきた。
ゴルドの後ろから、マレーナがひょこりと顔を出した。しわがれた声でからかうように言う。
「ほんとに、たいしたメイドさんたちだよ。村ひとつ、まるごと守っちまうなんてねえ」
そして、マレーナは屋敷の玄関をぐるりと見回した。その目が、ふと、なつかしむような、やわらかな色になる。
「……この屋敷も、にぎやかになって。喜んでるだろうさ」
「喜んでいる、というと……?」
「ふふ。なんでもないよ」
マレーナははぐらかすように笑って、それ以上は何も言わなかった。けれど、その言い方が、何となく私の胸に小さく引っかかった。
◇
日が暮れる頃には、屋敷の台所はちょっとした収穫祭のようになっていた。
卵に、野菜に、パンに、蜂蜜に、果物。村中から届いたお礼の品が所狭しと並んでいる。
「……すごい量ですね」私は溜息まじりにつぶやいた。
「あらあら、これだけあれば、しばらくお菓子作りに困りませんねぇ」シルヴィアはもう、頭の中でレシピを組み立てているらしい。
「よっしゃ、今夜は豪勢にいこうぜ! あたし、腹ぺこ!」
「……賛成」
こうして、その夜は、いただいた食材を使ったささやかな宴になった。
シルヴィアが新鮮な卵と蜂蜜でふわふわの焼き菓子を焼く。ネルがいつもより、はりきってお茶を淹れる。リリーはすでに果物をつまみ食いしている。
「こら、リリーさん。焼き上がる前から、つまみ食いしない」
「だってさー、いい匂いするんだもん。ね、ネル」
「……わたしは、つまみ食い、してない」
「いま、口にクッキー入ってるじゃん!」
「……これは、味見」
他愛もない掛け合いに、台所が笑い声でほどけていく。私は、皆の湯のみにお茶を注ぎながら、ふと思った。
——半年前。
この村に来たばかりの頃、私たちは道の端に寄られ、遠巻きにされる存在だった。幽霊屋敷の得体の知れない余所者。
それが、今はどうだろう。
村中の人がお礼の品を抱えて、この屋敷を訪ねてくる。かつて誰も近づこうとしなかった、この丘の屋敷に。
「……なんだか、不思議ですね」私は湯のみを片手にぽつりとこぼした。「こんなに、たくさんの人に、ありがとうと、言ってもらえるなんて」
「ふふ。クロエさんったら、まだ、照れてるんですか?」
「て、照れてなどいません!」
「照れてる照れてる!」リリーがけらけら笑う。
「……クロエ、わかりやすい」ネルまで。
むう、と私は口をつぐんだ。けれど、そのくすぐったいような温かい感じは、決して嫌いではなかった。
◇
宴も終わりかけた頃。
最後に、屋敷の戸を叩いたのは子どもたちだった。ニコを先頭に村の子らがわらわらと押し寄せてくる。
「クロエ! これ、おれたちからのお礼!」
ニコが、ぶっきらぼうに差し出したのは画用紙の束だった。子どもたちが思い思いに描いた絵。屋敷の絵、四人の絵、それから——森の獣をネルが撫でている絵まであった。
「べ、別に、たいした絵じゃないけど」
ニコがそっぽを向く。けれど、その頬は少し赤かった。
絵のなかに、ミナが描いたらしい一枚があった。四人と村の子どもたちが手をつないで笑っている絵。その隅に、ちょこんと丸い猫のようなものが描き添えられている。
——猫だ。
なぜだろう。そのたどたどしい猫の絵に、私は思いがけず目を奪われた。胸の奥が、なぜか、きゅうとなる。
「……かわいいですね」
思わず、そうつぶやいていた。
子どもたちは、絵を渡すと満足そうに帰っていった。ニコも何度か振り返りながら、夜道を駆けていく。
——けれど。
ひとり、ミナだけが帰らずに玄関に残っていた。
栗色の髪のいちばん小さな女の子。私をじっと見上げて、何か言いたげにもじもじしている。
「ミナ? どうしました。みんな、もう帰りましたよ」
「あのね、クロエお姉ちゃん」
ミナは小さな手をきゅっと、握りしめた。そして——何でもないことのように口を開いた。




