第24話『村祭りと初めての「ありがとう」』
祭りの朝は雲ひとつない晴天だった。
村の広場はすっかり様変わりしていた。色とりどりの布が軒から軒へと渡され、あちこちに屋台が並び、まだ朝だというのに人の出が多い。収穫を祝う、村いちばんの晴れの日。子どもたちは新しい服を着せてもらってはしゃぎ回っている。
近隣の集落からもわざわざ足を運んできた者がいるらしい。橋が架け直されたおかげで外から人が来やすくなったのだ、と村人が嬉しそうに話していた。広場には笛や太鼓の音が響き、香ばしい串焼きの匂いと、甘い菓子の匂いが入り混じって漂っている。辺境の小さな村が、この日ばかりはすっかり華やいでいた。
私たちのお菓子屋台も、ゴルドが取り計らってくれた一等地に、無事、店開きをした。
「設営完了! どうよ、クロエ!」
リリーが額の汗をぬぐって胸を張る。昨日運んだ天板と竈がキレイに据えられ、屋台らしい体裁が整っていた。釘はちゃんと金槌で打ったらしい。炭になっていないのが何よりだ。
「上出来です。シルヴィアさん、お菓子の並べは?」
「ばっちりですよぉ。焼きたても、どんどんお出しできます!」
台の上には、こんがり焼けた焼き菓子とつやつやの果実タルトが山と積まれている。甘い匂いが、もう、あたりに漂いはじめていた。
「……お茶も、準備、できてる」ネルが湯気の立つ大きな薬缶のそばで、めずらしく、しゃんと座っている。
「では——開店です!」
私が言うやいなや、待ちかねたように最初の客がやってきた。
◇
「いちばんのり!」
元気よく駆けてきたのは、案の定、ミナだった。すぐ後ろから、ニコや子どもたちがわらわらと続く。
「焼き菓子、ふたつ! ……あの、おまけは?」
「お代を、きちんと払えたらね」私は小さな手のひらに乗った小銭を数えて、焼き菓子をふたつ、それと、欠けてしまって売り物にならない一切れをそっと添えた。「これは、一番乗りのご褒美です」
「やった! クロエお姉ちゃん、だいすき!」
ミナが満面の笑みで駆けていく。
子どもたちを皮切りに、屋台はたちまち大盛況になった。
甘い匂いに誘われて村人が次々と足を止める。シルヴィアが焼きたてを差し出し、リリーが「うまいよー、買ってってー!」と威勢よく売り込み、ネルが試食客にお茶を出す。私は会計と釣り銭と品物の数を目まぐるしく捌いていった。
「ほう、こりゃうまい! もうひとつもらおうか」
「うちの孫にも、買ってってやろうかね」
半年前、私たちが通れば道の端に寄った村人たちが、今は笑顔で屋台に並んでいる。焼き菓子を頬張り、お茶をすすり、口々に「おいしい」と言ってくれる。
以前、子どもの熱が引いた母親も列に並んでいた。タルトを受け取りながら、ふと声を落として言う。
「あのとき……ちゃんとお礼も言えなくて、すまなかったね。あんたらが怖い訳じゃなかったんだ。ただ、どう接していいか分からなくてさ」
「いいんですよ」私は釣り銭を渡しながら微笑んだ。「こうしてお菓子を買いに来てくださる。それで十分です」
母親はホッとしたように笑って、子どもと一緒にタルトを頬張った。
リリーの売り込みはますます熱を帯び、シルヴィアは焼くそばから売れていく菓子に「あらあら、追いつきませんねぇ」と嬉しい悲鳴をあげている。ネルの出すお茶も「ひと息つける」と評判で、屋台の前にはちょっとした人だかりが絶えなかった。
その光景に、私は捌く手を動かしながら不思議な心地になっていた。
——遠巻きにされていた、あの村で。
私たちの焼いたお菓子を、こんなにたくさんの人が笑って食べている。
◇
昼を過ぎる頃には、山と積んだお菓子もきれいに売り切れた。
「完売です。お疲れさまでした!」
「やりきったー!」
リリーが、両手を突き上げる。
「ふふ、こんなにたくさんの方に、召し上がっていただけて……幸せですねぇ」
シルヴィアは、空になった台を満ち足りた顔で眺めている。
「……わたしの、お茶も、好評だった」
ネルもめずらしく得意げだ。
店じまいを済ませると、私たちもようやく祭りを楽しむ側に回った。
広場では、楽士が陽気な曲を奏で、村人たちが輪になって踊っている。子どもたちが、リリーの手を引いて踊りの輪へ連れ込んだ。
「えっ、あたし踊れないって! ……まあ、やってみるか!」
リリーは、すぐにコツを掴んで、誰よりも元気に跳ね回りはじめた。シルヴィアは、マレーナと並んでニコニコとそれを眺めている。ネルは木陰の特等席で、串に刺した焼き菓子を頬張りながら、うとうとしていた。
いつもの場所。いつもの四人。けれど、その周りにはたくさんの村人の笑顔があった。
ミナが、私の手を引っぱった。
「クロエお姉ちゃんも踊るの!」
「私は、見ているほうが……」
「だめ! いっしょに!」
強引に手を引かれ、私も踊りの輪に加わる羽目になった。段取りも、計算もいらない。ただ、手をつないでまわって笑う。子どもたちと一緒に、足をもつれさせながら踊っていると、自分でも可笑しくなってきた。きっちりしているのが取り柄の私が、こんなふうに輪のまんなかで笑っている。
「嬢ちゃん」
ひと踊り終えて息を整えていると声をかけられた。
村長のゴルドだった。手に果実酒の杯を持っている。
「あんたらのおかげで、今年の祭りは随分と賑やかになった」
無骨な顔が、酒のせいか少し赤い。
「井戸を直し、子らの熱を引かせ、橋を架け、薬草を増やし……正直、最初は、得体が知れんと思っとった。すまなかったな、遠巻きにして」
「いえ。当然のことです」
「だがな」
ゴルドは広場のにぎわいを見渡してしみじみと言った。
「あんたらが来てから、この村は明るくなった。……ありがとうよ。来てくれて、本当に」
ありがとう。
その言葉が、胸の、思いがけず深いところに、すとんと落ちた。
マレーナも、いつのまにか隣に来て、にやりと笑う。
「〝ただのメイド〟が、たいしたもんだよ。すっかり、村の一員じゃないか」
村の一員。
行き場をなくして、流れ流れて、辿り着いた辺境。
誰にも怯えられず、叱られもせず、ただ暮らせれば、それでいいと思っていた。なのに——いつのまにか、私たちは、ただ暮らすだけではなく、この村のひとりひとりとして数えてもらえるようになっていた。
私は、踊るリリーを、笑うシルヴィアを、眠るネルを見渡した。
みんな、それぞれの場所で行き場をなくしてきた四人。その四人が、今、こうして、ひとつの村の祭りの真ん中にいる。
——ああ、私たちは。
もう、ひとりぼっちの、はぐれ者ではないのだ。
◇
祭りがお開きになったのは、日が傾きはじめた頃だった。
名残を惜しむ村人に見送られ、子どもたちに何度も手を振って、私たちは満ち足りた気分で屋敷への坂道を上っていった。
「楽しかったなー!」「ふふ、また来年も出したいですねぇ」「……つかれた。ねむい」
口々に今日のことを話しながら。誰もが上機嫌だった。
坂の途中、森の縁にさしかかる。
夕暮れの森は、いつものように静かに——
いや。
梢がザワと鳴った。風の通り道とは、違う鳴り方だった。
森のずっと奥のほう。木々の影が何かに押されるように揺れている。
遠く獣の声がした。
一頭ではない。低く長く尾を引く声が、いくつも重なって森の深いところからこちらへ流れてくる。
それは、ふだん耳にする夜鳥や狐の声とは明らかに数が違っていた。
けれど——祭りの余韻に、ほろ酔いに、心地よい疲れに包まれた四人は誰もそれに気づかなかった。
「明日は、ゆっくり寝るぞー!」とリリーが伸びをする。
「……賛成」とネルが半目で応じる。
笑い声が夕暮れの坂道に、わらかく響いた。
その背後で、森の奥の声が、またひとつ増えたことには——誰も気づかないまま。




