第22話『薬草園を作りましょう』
橋が架かってからというもの、村の空気は随分とやわらかくなっていた。
道を歩けば、村人が会釈をしてくれる。子どもたちは、すっかり屋敷の常連だ。あれほど遠巻きにされていたのが嘘のようだった。
その日、買い出しに行った私たちを、マレーナが宿屋の戸口から手招きした。
「ちょいと相談があってね。——あんたにだよ、銀髪のお嬢ちゃん」
名指しされて、シルヴィアがきょとんと自分を指さす。
「わたし、ですか?」
「ああ。前に言ったろう、薬草畑を見せるって。……どうだい、一緒にこさえてみないかい? あたしの畑をもっと広げたくてね」
聞けば、橋が落ちたあの騒ぎでマレーナは思い知ったのだという。山の向こうからしか手に入らない薬に頼りきりでは、いざという時、立ちゆかない。だったら村で育てられる薬草を増やしておきたい。
「あたしも、もう歳でね。いつまで、ひとりで村の薬を背負えるか分からん。……若いあんたらが薬草のことを覚えてくれりゃ安心ってもんさ」
そう言うマレーナの声には、村の行く末を案じる長年の重みがあった。医者もいない辺境で、たったひとり、薬の心得を抱えてきた人の言葉だ。
「あんた、育てるのが好きだと言っとったろう。手を貸しておくれよ」
シルヴィアの目が、ぱっと輝いた。薬草と育てること。この人の大好きなものが二つも揃っている。
「ぜひ! ぜひ、やらせてください!」
——このとき、私は、ほんの少しだけイヤな予感がした。
シルヴィアと育てること。その組み合わせが過去にどんな結果を生んできたか。私はよく知っていたから。
◇
翌日、私たちは宿屋の裏手にあるマレーナの薬草畑に集まった。
こぢんまりとした畑には、何種類もの薬草がきちんと区画を分けて植えられていた。さすが、長年ひとりで村の薬を支えてきた人の畑だ。
「ここをこっちまで広げてね。熱冷ましの草と傷に効くやつを増やしたいのさ」
「では、土を耕すところからですねぇ。リリーさん、お願いできますか?」
「まかせて!」
リリーが、鍬を手に畑をざくざくと耕していく。力が有り余っているので、あっという間に新しい畝ができあがった。クロエ——私は、苗の数と植える間隔を帳面に書き出して段取りを組む。ネルは、というと、畑の隅の日だまりでさっそく丸くなっていた。
「ネル。手伝ってください」
「……土の、ご機嫌を見てる」
「土に機嫌はありません。起きてください」
マレーナが、その様子を見てからからと笑った。
「いい娘たちだねえ。にぎやかで」
そして、シルヴィアと二人、せっせと苗を植えはじめる。手つきは、まるで長年の友人みたいに息が合っていた。
「この草はね、根を浅く植えるのがコツさ」
「あらあら、では、こちらの草と並べるとお互い元気になりますよ。相性がいいんです」
「ほう! あんた、本当に詳しいねえ」
育てる者同士。二人は土に手を入れながら、楽しそうに語り合っていた。シルヴィアの、こんなにいきいきとした横顔は屋敷でもなかなか見られない。
「お嬢ちゃん、あんた、どこでそんなに薬草を覚えたんだい」
「昔、暮らしていた国で、少しだけ。……人を癒やすのは得意なんですけど、加減が……その苦手で」
マレーナの前ではシルヴィアも少しだけ正直だった。
「だから、お薬のほうが好きなんです。煎じ方も、配合も、ちゃんと決まっていて。決まりどおりにやれば、決まったとおりに効いてくれますから」
「ふぅん。きっちりしたもんが好きなんだねえ」
マレーナはニヤリと笑った。
「うちのクロエのお嬢ちゃんと、気が合いそうだ」
「私を巻き込まないでください」と、私は帳面から顔を上げた。
三人で笑った。日の差す畑で、土のにおいと薬草の青い香りに包まれて苗を植えていく。リリーが運んだ水を撒き、シルヴィアとマレーナが手際よく植えつけ、私が記録をつける。ネルだけは相変わらず日だまりで丸くなっていたが、まあ、いてくれるだけで場が和らぐのでよしとした。
穏やかないい時間だった。これが何事もなく終わってくれれば、と——そう思っていたのだけれど。
◇
苗を植え終え、水をやり、その日は解散した。
——問題が起きたのは、翌朝だった。
マレーナが、血相を変えて屋敷に駆け込んできた。いや、血相を変えて、というより、半分笑い転げながらだった。
「ちょいと! あんたら、来ておくれ! 畑が、畑がねえ!」
いやな予感を抱えて駆けつけると案の定だった。
昨日、苗を植えたばかりの薬草畑が——もさもさの薬草の森になっていた。
膝丈ほどに伸びるはずの熱冷ましの草が、人の背を越えて生い茂り、ちんまりした傷薬の草が畝からあふれて地面を覆い尽くしている。ひと晩で、何か月ぶんもの薬草がどっさりと実っていた。
「あらあら……」シルヴィアが頬に手を当てる。「ちょっと、張りきってしまいましたねぇ」
「ちょっと、ではないと思いますが……」
私は、見慣れた光景に深いため息をついた。庭をジャングルにし、川辺で野菜を増やし、今度は薬草園を森にする。この人の「ちょっと」は、いつだって桁が違う。
マレーナは、しばらく、もさもさの薬草を見上げてぽかんとしていた。
——怒られるだろうか。困らせてしまった。私がそう身構えた、そのとき。
「……ぶはっ。あっはっは!」
マレーナが、腹を抱えて笑い出した。
「こりゃあ、すごい! ひと晩でこんなに! あんた、とんでもない手をしてるねえ!」
「お、怒らないんですか?」シルヴィアが、おずおずと尋ねる。
「怒る? なんで怒るんだい!」マレーナは、目尻の涙をぬぐった。「これだけありゃあ、村中の薬が、何年ぶんもまかなえるよ! 山の向こうから高い薬を買わなくたってずっとやっていける! こんなに、ありがたいことがあるかい!」
その言葉に、シルヴィアがぽかんと口を開けた。
やりすぎて迷惑をかける。困らせてしまう。——それが、彼女の長年の思い込みだった。なのに、ここでは、その「やりすぎ」が両手を広げて歓迎されている。
シルヴィアの目がじわりとうるんだ。
「……よかった。お役に、立てたんですねぇ」
その声は、少し震えていた。
いつも、申し訳なさそうに小さくなっている人が。やりすぎないように、出すぎないように、自分の力をずっと押し込めてきた人が。今、はじめて、その力、まるごと「ありがたい」と言ってもらえた。
「立つどころじゃないよ。大手柄さ!」
マレーナが、しわだらけの手でシルヴィアの肩をぽんと叩いた。
「あんたの手は人を困らせる手じゃない。たくさんのものを生かす手だよ。……たまには、思いきり、やってごらんよ。ここでならいいじゃないか」
その手のあたたかさに、シルヴィアは、いつもの何倍も嬉しそうに笑っていた。
◇
もさもさの薬草を、四人とマレーナでせっせと刈り取って束ねた。乾かして保存すれば、当分、村の薬には困らないだろう。
ひと仕事終えて、マレーナの淹れた薬草茶でひと息つく。
マレーナは束ねた薬草の山と、それから私たち四人の顔を順にしげしげと眺めた。
井戸を甘くし、子らの熱を引かせ、橋を架け、そして、薬草園をひと晩で森にする。
「……なあ、あんたら」
ふと、マレーナが目を細めて言った。湯気の向こうで、その目はおかしそうに、けれど、どこかしみじみと光っていた。
「あんたら、ほんとに〝ただのメイド〟なのかい?」
半分は冗談めかして。けれど、もう半分は本気で。
私たち四人は顔を見合わせた。そして、口を揃えてきょとんと答えた。
「「「「ただのメイドですよ(です)」」」」
マレーナは、また、おかしそうに笑った。
その笑いの奥に、何か見透かすようなものがちらりとよぎった気がしたけれど。
薬草茶の優しい湯気にまぎれて、それはすぐに見えなくなった。




