第17話『知ってる顔で、笑う人』
テオの滞在は、思いのほか、にぎやかだった。
この紳士、外を飛び回っている割に屋敷の中ではてんで頼りにならない。お茶を淹れようとして茶葉を入れすぎ、薪をくべようとして煙にむせ、繕いものをさせれば指を刺す。あげく「私がやろう」と言って手を出すたび、四人がかりで止める羽目になった。
「テオさん。あなたは、座っていてください」
「いやしかし、主たる者が、何もしないというのも——」
「では、お茶を淹れる係をネルから奪いますか? 戦争になりますよ」
「……それは、困るね」
ネルが、湯呑みをぎゅっと抱えて、低く「……お茶は、ゆずらない」と威嚇している。
テオは、たじたじと引き下がった。
よその土地では、一体どんな大した人物なのか知らないが、屋敷の中では〝ただの世話の焼ける居候のおじさん〟だ。
昼にはリリーと相撲を取ろうとして軽く投げ飛ばされそうになり、「ま、待ちなさい、大人げないが、これは指導だ」と苦しい言い訳をした。おやつの時間には、シルヴィアの焼き菓子をこっそり三つもつまみ食いして、ネルに目撃され「……抜け駆け、よくない」と真顔で叱られていた。子どもを諭しに来たはずの紳士が、いちばん子どもっぽいのだから、世話がない。
けれど、その人の好さのおかげで、テオがいる間、屋敷の空気はいつもより少しフワフワと明るかった。
——ただ、私の中には、ひとつだけ、まだ消えない引っかかりがあった。
四人の〝やらかし〟を聞いても、少しも驚かなかった、あの顔。
◇
その違和感は、滞在の間、何度もチラチラと顔を出した。
たとえば、シルヴィアが窓辺の鉢植えを、うっかりツルだらけにしてしまったとき。普通なら、ギョッとするはずの光景に、テオはただ「ほう」と顎をなでた。
「相変わらず生命力の出方が豊かだね。土に意志が伝わりすぎるんだろう」
まるで、その仕組みをはじめから知っているような口ぶりで。
たとえば、リリーが薪割りのついでに、ぱちっと小さな火花を散らしてしまったとき。テオは慌てるでも怖がるでもなく、感心したように目を細めた。
「うむ。出力を〝小さく〟しようとすると、かえって難しいものだ。君のは、抑えるほうに技がいる」
まるで、雷というものの性質を誰よりよく心得ているような言い方で。
ネルが昼寝から戻ってきて、たまたま近くにいた庭の木の、ざわついた枝がふっとおとなしくなった時もそうだった。風が止んだだけかもしれない。けれどテオは、ネルの寝起きの半目を見て、ひとりうなずいた。
「〝鎮め〟の子は、何もしていないときが、いちばん仕事をしている。気付かれないのが、いちばん難しいんだ」
ネルは「……ねむ」とだけ返したが、テオはその答えにすら満足そうだった。
ひとつひとつは何気ない。けれど、重なると奇妙だった。
村人は、四人の力を見て、ただ「奇跡だ」「怖い」と絶句した。それが、普通の反応だ。なのにテオは驚かない。怖がらない。むしろ——観察している。「なるほど、この子はこういう出方をするのか」と、ひとつひとつ、見極めるような目で。
まるで、この四人がどれほど規格外なのか、最初から、知っているみたいに。
◇
その夜、私は台所でひとり、お茶の支度をしていた。
眠れずに起きてきたのか、テオがふらりと顔を出した。
「やあ、クロエくん。まだ起きていたのか」
「ええ。少し、考えごとを」
淹れたお茶を一杯、テオに差し出す。彼は礼を言って椅子に腰かけた。
いい機会だ、と思った。私は、思いきって尋ねてみることにした。
「テオさん。ひとつ、伺ってもいいですか?」
「なんだね」
「あなたは——私たちのことを、怖いと、思わないんですか?」
テオが、お茶をひと口含んだ。
「鐘楼を吹き飛ばし、王城を森にし、両軍を眠らせる。村の人たちは、私たちを見て、絶句しました。得体の知れないものを見るような目で。……でも、あなたは、ちっとも驚かない。それが、ずっと引っかかっているんです」
テオは、しばらく湯気の向こうで私を見ていた。それから、穏やかに笑った。
「怖くはないよ。少しもね」
「どうして」
「そうだな……」
テオは、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「世間の物差しと、君たちの物差しが、少し違うだけのことだからさ」
「物差し?」
「ああ。世間は、ひとつの物差しで、何もかも測ろうとする。その物差しに収まらないものを見ると、『規格外だ』『危険だ』と怖がる。……だが、それは、モノの大きさのせいじゃない。物差しのほうが、短すぎるだけのこともあるんだよ」
私は、その言葉の意味をすぐには飲み込めなかった。
「物差しが、短い……。でも、聖具は、ちゃんとした物差しでしょう。何百年も聖女を選んできた」
「長く使われてきた、というだけさ」
テオは、湯呑みを両手で包んだ。
「長く使われたモノが、いつも正しいとは限らない。古い物差しほど、すり減って目盛りが怪しくなる。……まあ、これは、年寄りの戯言だがね」
戯言、と言いながら、その声には妙に実感がこもっていた。まるで、その物差しを間近で扱ったことのある人のような。
物差しのほうが短すぎる。——それは、まるで。
「君たちは、何も間違っていない」
テオは静かに続けた。
「ただ、君たちを測れる物差しを、世間がまだ持っていない。それだけだ」
「……でも」
私は、つい口を挟んでしまった。
「私には、何の力もありません。聖具は、私には何も映さなかった。三人とは違って、私だけは——」
「クロエくん」
テオが、私の言葉を、やわらかく遮った。
そして、何か言いかけて——けれど、ふと、思い直したように口を閉じた。優しい目が、ほんの少しだけ寂しそうに揺れる。
「……いや。それは、いつか、君が自分で気づくのが、いちばんいい」
「気づく、とは」
「なに、こちらの話さ」
テオは、それ以上は語らず、お茶を飲み干した。
ただ、窓の外、闇に沈んだ村のほうへ一度だけ目をやったのを私は見た。その横顔に、ほんの一瞬、何か——遠くにあるものを案じるような影がよぎった気がした。けれど、瞬きする間にそれは消えていた。
◇
翌朝、テオは、また旅立っていった。
来たときと同じ、いくつもの旅行鞄を提げて。
「世話になったね。次はいつ帰れるか分からんが……まあ、君たちなら、心配はいらないだろう」
「お土産は、もう少しまともなものを買ってきてください」
「ははっ、善処しよう」
「善処、では困ります。次に変な帽子を持って帰ってきたら、玄関で受け取り拒否します」
「これは手厳しい。……まあ、考えておくよ」
まったく考える気のなさそうな返事だった。先が思いやられる。
リリーが「気をつけてなー!」と手を振り、シルヴィアが「お体に気をつけて」と頭を下げ、ネルが「……いってらっしゃい」と眠そうに見送る。私も、門の前で頭を下げた。
坂道を下りかけて、テオは、ふと、足を止めた。
そして、振り返って、私たち四人をゆっくりと見渡した。
いつもの、人の好さそうな笑顔。けれど、その目は、なぜか、いつもより少しだけ優しかった。
「——君たちは、ここで、のんびりしているのが、いちばんいい」
それは、ただの別れの言葉にしては、やけに心がこもっていた。
まるで、そうあってほしいと願うような。あるいは、そうでいられるように外で何かを引き受けてきた人の——祈りのような。
言葉の意味を尋ねる間もなく、テオは、もう一度帽子を取って坂道を下りていった。その背中が、朝もやの向こうに見えなくなるまで、私は、なんとなく、そこに立っていた。
——ここで、のんびりしているのが、いちばんいい。
優しすぎるその言葉がなぜだか――長い間、胸の奥に残っていた。




