第16話『主が帰ってきました(※お土産のセンスが変)』
その朝、玄関の扉を叩く音は、いつもより、ずっと品が良かった。
コンコン、と、遠慮がちな、けれど落ち着いたノック。村人の無骨な叩き方とも、子どもたちの元気なそれとも違う。私が扉を開けると、そこに見慣れぬ紳士が立っていた。
歳は四十ほどだろうか。仕立てのいい旅装に、品のいい口ひげ。柔和に細めた目もとには、人好きのする皺が刻まれている。手には、大きな旅行鞄をいくつも提げていた。
「危ないっ、クロエ下がって! 不審者!」
私の後ろから飛び出してきたリリーが、手のひらに青白い光を集めて身構えた。
「リリーさん、待ってください! 雷はダメです!」
慌てて腕をつかむ。朝から玄関先を消し炭にされてはたまらない。
当の紳士はというと、雷を向けられても、少しも慌てず——むしろおっとりと微笑んで、帽子を取った。
「やあ、これはこれは。元気のいいお嬢さんだ。安心しなさい、私は怪しい者ではないよ」
脱いだ帽子を胸に当て、ひと呼吸おいて。
「——この屋敷の主、テオだ」
四人で、ぴたりと固まった。
「……主?」
「ご、ご主人さま、ですか!?」
雇い主の顔も知らないまま、ひと月近く寝起きしていた、その当人がようやく目の前に現れたのだった。
◇
「いやあ、すまないね。長く留守にして」
居間に通すと、テオは慣れた様子で、いちばん座り心地のよさそうな椅子に腰を下ろした。間違いなく、この屋敷の主だ。
「君たちが来てくれて、屋敷がすっかり見違えたよ。庭も、井戸も、見事なものだ。さすがは、私が見込んで雇っただけのことはある」
「恐れ入ります」私は頭を下げた。
「それで、ご主人さま——」
「テオでいい。ご主人さま、なんて呼ばれると、背中がむずむずする」
穏やかに笑って、テオは足元の旅行鞄をポンッと叩いた。
「そうそう、留守のお詫びにお土産を買ってきたんだ! 最近の都ではやりのものを奮発してね」
お土産。その言葉に、リリーが「やった!」と身を乗り出す。
——そして、私たちは、知ることになる。
この紳士の、お土産のセンスが、壊滅的であることを。
「まずは、お嬢さんがた全員に、これだ!」
テオが、得意げに取り出したのは、四つの帽子だった。
それは、なんというか——形容しがたい代物だった。妙に大きなつばに、極彩色の羽根が何本も突き立ち、てっぺんには何故か造花の果物が山と盛られている。被れば、頭の上で果物が実る格好になる。
「都では、これが最新の流行だそうだ。 どうだね? 洒落ているだろう!」
「…………」
四人で、無言で帽子を見つめた。
「あの……テオさん」私は、言葉を選んだ。
「これは……いつ頃の流行でしょう?」
「店主が言うには、ついこの間まで、たいそうな人気だったとか」
「ついこの間〝まで〟、ですか」
「うむ。最先端だ」
最先端、ではない。すでに廃れたものを、つかまされている。
きっと、売れ残りを「最新です」と言われて疑いもせず買ってきたのだ。この善良な紳士は。
リリーは、さっそく帽子を被って、「うわ、重っ。前見えない!」とはしゃいでいる。
ネルは、果物の造花をひとつもいで「……これ、食べられる?」と本気で聞いてきた。食べられません。
「ふふ、お似合いですよぉ」とシルヴィアだけが、ニコニコと褒めていた。優しさが、いっそ痛い。
「気に入ってもらえたようで、何よりだ」テオが満足げに頷く。
気に入ってはいません、と言いかけて、私は飲み込んだ。
この純粋な笑顔の前で、それを口にするのはあまりに忍びない。とりあえず、この帽子の出番は果樹の収穫祭あたりまで、永久に来ないだろうと心に決めた。
「それから、これはクロエくんに。しっかり者だと聞いたのでね」
次にテオが渡してきたのは、手のひらほどの、精巧な置物だった。
磨かれた金属で出来た複雑な形。歯車のようなものが組み合わさり、しかし、どこをどう動かすのかまるで見当がつかない。
「……これは、何でしょう」
「うむ。実は、私にも分からん」
「分からないものを、お土産に?」
「いやあ、あんまり精巧で、つい買ってしまってね。賢い君なら、使い方が分かるかと」
無茶を言う。私は、しばらく置物をあちこちから眺めまわしたが、結局、何の道具なのか見当もつかなかった。とりあえず棚に飾っておくことにする。用途不明の立派な置物として。
「そして、これは皆で食べなさい。都いちばんの、高級菓子だ!」
最後に、テオが恭しく差し出した菓子箱。さすがに、これは外すまい——そう思って蓋を開けると、中の焼き菓子は長旅のあいだにすっかり湿気て、しっとりを通り越してぐったりしていた。
「ご主人さま、これ、湿気てます」
「なんと。……いや、しっとりした食感がまた乙なものだろう」
「乙、ではないと思います」
苦笑しながらも、シルヴィアが菓子をひとつ味見して、「あらあら、でも、味は悪くないですよ。少し焼き直せば、おいしくいただけそうです」と助け舟を出した。台所担当の鑑である。
◇
「しかし、君たちだけで、よくこの屋敷を切り盛りしているね」
ひとしきりお土産を披露して満足したのか、テオは感心したように四人を見渡した。それから、ふと、保護者じみた顔になる。
「だが、若い娘さんばかりで、危なくはないかね。食事はちゃんと取っているか? 夜はきちんと戸締まりを? 困ったことがあれば、何でも私に——」
「テオさん。失礼ながら、その心配は無用です」私は、きっぱりと言った。
「食事は三食、栄養も計算済み。戸締まりも毎晩。家計簿も帳尻が合っています。むしろ、ひと月も連絡のなかったあなたのほうが、よほど心配でしたが」
「うっ……それは、その……面目ない」
紳士然とした態度が、一気にしぼんだ。四人がかりで「ちゃんとしてください」「お土産より連絡を」「次はいつ帰るんですか」と詰め寄ると、テオは、たじたじと両手を上げた。
「わ、分かった、分かったから。まったく、子どもの世話を焼きに来たつもりが、逆に世話を焼かれてしまうとは」
「子ども扱いしないでください」
「これは手厳しい」
ぼやきながらも、テオは、どこか嬉しそうだった。
聞けば、テオは屋敷の外の用事で年中各地を飛び回っているのだという。何の用事かは、はぐらかされたが、「君たちが安心して暮らせるように、色々と外で片づけているのさ」とだけ言った。だから屋敷を空けがちなのだ、と。
「ところで」と、テオが、ふと天井のあたりに目をやった。「彼女も、息災のようだね。君たちと、うまくやっているらしい」
彼女。——その言い方に、私は、はっとした。
「ご存じなんですか? 屋敷の、あの気配のこと……」
「ああ、もちろん。古い付き合いでね」
テオは、なんでもないことのように優しく目を細めた。まるで、旧友の安否を尋ねるような口ぶりで。
◇
その夜。久しぶりに屋敷に主のいる夕食は、いつもより少しにぎやかだった。
報告会のお茶の席で、私たちは、これまでのことを話した。
「リリーさんは、川の魚を雷で全部気絶させまして」
「あはは、加減したのにな!」
「シルヴィアさんは、庭をひと晩でジャングルに。ネルは、迷子の山羊を撫でて眠らせ、私は……まあ、井戸を掃除しただけですが」
鐘楼を吹き飛ばし、王城を森にし、両軍を眠らせ、聖具に見放され——四人ぶんの〝やらかし〟を、一通り並べる。
普通なら、聞いた者は絶句するはずだった。村人がそうだったように。
けれど――テオは、ニコニコとお茶をすすりながら聞いていた。
まるで、よく知った話をもう一度聞くみたいに。少しも、驚かずに。
「うむ。みんな、いい仕事をしているね」
ただ、それだけ。
私は、湯呑みを持つ手を、ふと止めた。
——おかしい。
城壁を炭にした、と聞いて。王城が森になった、と聞いて。
なぜ、この人は、眉ひとつ動かさないのだろう。
その小さな違和感は、お茶の湯気と一緒に、スッと胸の奥に沈んでいった。




