第15話『川の魚がぜんぶ気絶しました』
その日は、朝から、うだるような暑さだった。
屋敷の中にいても、じっとしているだけで汗がにじむ。台所のシルヴィアは「これはお菓子が傷んでしまいますねぇ」と困り顔だし、ネルにいたっては暑さでとろけたように床に伸びている。
「……あつい。とける」
「とけないでください。掃除が増えます」
「……川、行きたい」
めずらしく、ネルがはっきりとした希望を口にした。よほど暑いらしい。
言われてみれば、屋敷の裏手の森を抜けた先に小川が流れているのを思い出した。冷たい水に足でも浸せば、いくらか涼しくなるだろう。
「いいですね。行きましょうか、川」
「やったー! 川! 泳ぐ!!」
いちばんに飛び上がったのは、もちろんリリーだった。
◇
川は、思っていたより、いい場所だった。
森の木陰を抜けると、ひらけた河原に出る。澄んだ水が、浅い瀬をサラサラと流れていた。木漏れ日が水面で揺れて、見ているだけで涼しい。
「うわー、きれい! つめたーい!」
リリーは、靴を脱ぐのももどかしげにザブザブと川へ入っていった。膝まで水に浸かって、きゃあきゃあとはしゃいでいる。元気なものだ。
シルヴィアは、水辺に茂る薬草を見つけて、さっそく摘みはじめた。
「あらあら、これは冷やすのに効く葉ですねぇ」
ネルは、いちばん涼しそうな木陰を見つけて、ショールを枕にさっそく寝る体勢に入っている。
私はというと、河原の石に腰を下ろして、三人を見守ることにした。
誰かが見張っていないと、この面々はどこまでも自由に振る舞う。特に、川に入ったリリーから、目を離すわけにはいかない。
「リリーさん、深いところには行かないでくださいねー!」
「はーい!」
返事だけは元気がいい。リリーは水をすくって顔にかけ、気持ちよさそうに目を細めている。普段は屋敷の中で「壊さないように」「加減して」と言われてばかりのこの人も、川の中なら、思いきり体を動かしても誰にも迷惑をかけない。それが嬉しいのか、いつにも増して、はしゃいでいた。
シルヴィアが摘んだ葉を川の水で冷やして、私の首筋にそっと当ててくれた。
「ひゃっ!?」
不意打ちの冷たさに、思わず肩がはねた。きちんとしているつもりの自分が、こんな間の抜けた声を出すとは。慌てて咳払いをしたが、シルヴィアはくすくすと笑っている。
「ふふ、冷たかったですか?」
「……ええ、少し。驚いただけです」
ばつが悪くて、私は前髪を直すふりをした。けれど、肌に残るひんやりとした感触は、火照った体に思いのほか心地よかった。スッと汗が引いていく。
「あらあら、暑いと、思考も鈍りますからねぇ。少し涼んでくださいな」
「ありがとうございます。……こうしていると、見張りの仕事も悪くないですね」
木漏れ日と、せせらぎと、はしゃぐ声。
河原の石はほどよく温かく、私はつい、うとうとしそうになった。
「……あ、魚いる! いっぱいいる!」
リリーが、水中を指さして声をあげた。
なるほど、澄んだ水の中を、銀色の魚がすいすいと泳いでいる。ずいぶんと数が多い。あれを何匹か獲れれば、今夜のおかずになる。
——と、私が考えるより早く。
「よっしゃ、つかまえるぞー!」
リリーが、水中の魚めがけて、勢いよく両手を突っ込んだ。
◇
いやな予感がした。止める間もなかった。
ばちっ、という聞き慣れた音。リリーの手から、青白い光が水中へ走った。
――川面に、ぷかり、ぷかり、と、銀色のものが浮かびはじめた。
一匹、二匹ではない。みるみるうちに、川いっぱいに魚が浮いていく。腹を上に向けてぷかぷかと。
さっきまで元気に泳いでいた魚たちが、見渡すかぎり、ぜんぶ動かなくなっていた。
「…………」
私は、言葉を失って、その光景を眺めた。
「あれ?」
リリーが、きょとんと首をかしげる。
「なんか、魚、いっぱい浮いてきた」
「あなたが、雷を落としたからでしょう!」
「えー? ちょっと、パチッとしただけだよ? 手づかみしようとしただけなのに」
「その〝ちょっとパチッ〟で、川一本ぶんの魚が気絶しているんですが」
リリーは、浮いた魚を一匹すくい上げて、しげしげと眺めた。
「あっ、ほんとだ。気絶してる。……でも、死んではないっぽい。ピクピクしてる」
「気絶で済んでいるのが、もはや奇跡ですね」
水中で雷を使えば、ふつう、川の生き物はひとたまりもない。なのに、この魚たちは気を失っているだけ。リリー本人が「ちょっと」と言い張る出力が、実のところ、絶妙に手加減された結果なのだとしたら——やはり、この人は規格外なのだ。本人だけがその事を分かっていないだけで。
「……すごい数ですねぇ」
いつのまにか、シルヴィアが水辺に来て、浮いた魚を眺めていた。ネルも、眠そうな目をこすりながら、のっそり起きてくる。
「……魚、よく寝てる」
「寝ているのではなく、気絶しています」
「……おんなじようなもの。起きたら、元気になる」
ネルがそう言うので、何匹か、まだ動く魚を川に戻してやった。すると、しばらくして、ひれをぱたぱた動かし、すいと泳いでいった。なるほど、本当に気絶していただけらしい。
とはいえ、河原には、まだ大量の魚が浮いている。このまま放っておけば無駄になるだけだ。
「……仕方ありません。いただきましょう」
私は腹をくくった。
「これだけの数、四人では食べきれませんから、半分は村へお裾分けです。残りは——」
「川辺で、焼いて食べる!」
リリーが、ぱっと顔を輝かせた。
「……まあ、そうなりますね」
暑い日の川辺で、獲れたての魚を焼く。困りごとが、またひとつ、ごちそうに化けた瞬間だった。
◇
そこからは、にぎやかな宴の支度になった。
リリーが河原の石を組んで、手早く焚き火をおこす。今度は薪をちゃんと使って、だ。シルヴィアが魚をてきぱきと下処理し、摘んだ香草を腹に詰めて塩を振る。串に刺して火のまわりに並べると、すぐに香ばしい匂いが河原に立ちこめた。
「いい匂い……お腹すいてきた」
ネルが、めずらしく自分から火のそばに陣取って焼けるのを待っている。食い意地だけは、いつも正直だ。
「焼けましたよぉ。はい、ネルさん、熱いですから気をつけて」
シルヴィアが差し出した焼き魚に、ネルがかぶりつく。次の瞬間、その半目がぱちりと開いた。
「……っ。あつい。でも、おいしい」
外はぱりっと、中はふっくら。香草の香りと、塩の効いた身。川の水で冷やした葉でくるんで食べると、また格別だった。リリーは「うっま!」を連呼しながら、もう三匹目に手を伸ばしている。
「ねえクロエ、これ、あたしが獲ったんだよ!」
「獲った、というか、気絶させたというか」
「同じだって! ほら、もっと食べなよ!」
差し出された焼き魚を受け取って、私もひと口かじる。
——確かに、おいしかった。獲り方はともかく、味は文句のつけようがない。
みんなが「うまい」「おいしい」と魚を頬張るのを、リリーは、にこにこと眺めていた。
自分の獲った——もとい、気絶させた——魚で、みんなが笑っている。それが、よほど嬉しいらしい。
「あたしの雷もさ、こうやって役に立つ事あるんだなー」
ぽつりと、リリーが言った。いつもの明るい調子のまま、けれど、ほんの少しだけしみじみと。
「鐘楼吹っ飛ばしたときは、こんなふうに、誰も笑ってくれなかったからさ」
私は、串を持つ手を止めた。
危ないから、動くな、触るな。
きっと、そう言われ続けてきたのだろう。
明るく笑うこの人が、その裏で何を抱えているのか、ふと見えた気がした。
けれど、それを深く聞くのは、今日の川辺には似合わない。
「ええ。今日の魚は、あなたのおかげです」と私は言った。
「……気絶のさせ方は、もう少し手加減を覚えてほしいですが」
「えへへ、だろ?」
褒められたところだけ受け取って、リリーは、また魚にかぶりついた。それでいい、と思った。
川のせせらぎを聞きながら、木漏れ日の下で焼きたての魚を頬張る。汗をかいた体に、冷たい川の水が心地いい。なんだか、ずいぶん、贅沢な昼下がりだった。
◇
お腹がふくれると、四人とも、河原の石に思い思いに寝そべった。
残った魚は、きちんと笊に並べてある。帰りに村へ届ければ、きっと喜ばれるだろう。無駄にはならない。
ネルは、もうすっかり寝入っている。シルヴィアは、満ち足りた顔で川の流れを眺めている。
リリーは、空に向かって大の字になって、ぽつりと言った。
「いやー、いっぱい獲れたなー。……あたし、ちゃんと加減したのにな」
川一本ぶんの魚を、まるごと気絶させておいて。
私は、空を見上げたまま、しみじみと答えた。
「……それで〝加減〟なんですね」
「でしょ?」
褒められたと思ったらしい。リリーは得意げに笑った。
訂正する気力もなくて、私は、ただ、流れる雲を眺めていた。




