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【第1部完結】ハズレ聖女四人、辺境の幽霊屋敷でのんびりメイド暮らし〜今日もお茶とお菓子で平和です〜  作者: 浅沼まど
第2章【 お茶とお菓子と、ご近所づきあい 】

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第14話『迷子の山羊を追いかけて』


 その日、息を切らして屋敷に駆け込んできたのは、ニコだった。


「たいへんだ! 山羊が逃げた!」

「山羊?」

「うちで、いちばん乳の出るやつ! 柵を蹴破って、森のほうに行っちゃって……父ちゃんが探してるけど見つからなくて……」


 森に入った家畜を、村人だけで探すのは骨が折れる。まして、乳のよく出る大事な山羊ともなれば、村にとっては小さくない損失だ。困り果てた顔でニコは私たちを見上げた。


「あの……手伝って、ほしいの……お礼に、なにかするから!」


 強がりのこの子が頼ってきた。それだけで断る理由はなかった。


「いいですよ。ちょうど、手の空いている者がいますから」

「よっしゃ、山羊だな! あたし、足には自信あるよ!」


 リリーが待ってましたとばかりに腕まくりをする。

 外で体を動かせるとなれば、この人ほど頼りになる戦力もいない。


「……わたしも、行く」


 意外なことに、そう言ったのはネルだった。


「あなたが? めずらしいですね。歩くのは嫌いでしょう」

「……山羊、ちょっと気になる。それに、暇だし」


 暇だから森へ山羊を追いに行く、という発想が私には理解しがたい。

 けれど、ネルが自分から動くというなら止める理由もない。


「では、シルヴィアさんは台所をお願いします。私は――」


 言いかけて、私は二人を見た。

 暴走しがちなリリーと、マイペースなネル。この二人だけを森へ送り出す。

 ——胃が、すでに痛い。


「……私も、行きます。二人だけでは、何をしでかすか分かりませんから」


          ◇


 丘を越え森の縁へ。木立の中は、ひんやりと薄暗く、コケのにおいがした。


「やぎー! どこだー!」


 リリーが両手を口に当てて大声を出す。当然、山羊が返事をするはずもない。


「リリーさん、山羊は呼んでも来ません」

「えー、犬は来るのに」

「山羊は犬ではありません」


 ネルはというと、森に入って早々、手近な切り株に腰を下ろしていた。


「……ちょっと、休憩」

「まだ百歩も歩いていませんが」

「……森の空気、吸ってからのほうがよく見える」

「吸う前から目は開けてください」


 追跡隊として、これほど頼りない二人もいない。


「ねえネル、ぼーっとしてないで、こっち手伝ってよ」とリリーが手招きする。

「……わたしは、頭脳労働」

「いま完全に寝てたじゃん!」

「……寝ながら、考えてた。山羊の気持ち」

「ぜったい嘘だ!」


 言い合う二人をよそに、私は、ため息をつきながら地面に目を凝らした。

 ——と、湿った土の上に、点々と二つに割れたひづめの跡が続いていた。


「足跡です。こっちですね」

「おっ、さすがクロエ! 段取り上手!」

「追跡は段取りではありませんが、まあ、いいでしょう」


 ひづめの跡をたどって、私たちは森の奥へと進んでいった。リリーは元気よく先頭を行き、ネルはその後ろを、殿(しんがり)というよりただ遅れているという感じでトボトボついてくる。何度か「……おんぶ」と言いかけては、私にじろりと(にら)まれて、口をつぐんだ。


          ◇


 山羊は、思いのほか、手ごわかった。

 茂みの向こうに白い影を見つけて、リリーが「いたっ!」と飛びかかる。が、山羊はひらりと身をかわし、岩を飛び越えて逃げていく。


「こいつ、すばしっこい! 待てって!」

「リリーさん、追い詰めようとすると、かえって——」


 言い終わる前に、リリーが勢いよく追いかける。

 そして、山羊がさらに奥へ逃げ、結局振り出しに戻った。

 これをもう三度も繰り返している。山羊もリリーも、無駄に元気だ。

 その間、ネルは木陰でずっと山羊を眺めていた。


「……あの子、こわがってる。だから、逃げる」

「怖がっている?」

「うん。森に入って、迷子になって、心細くて……だから、追われるとよけいパニックになる」


 ネルはのっそりと立ち上がった。眠たげな半目を山羊のほうへ向ける。


「リリー、もう追わなくていい。……ちょっと、待ってて」


 そして、暴れる山羊のほうへ、とことこと、まっすぐ歩いていった。逃げる素振りを見せる山羊に、ネルは両手をゆっくりと差し出す。


「……どうどう。だいじょうぶ。だれも、とって食わないよ」


 低い、のんびりした声だった。

 不思議なことに、あれほど興奮していた山羊が、だんだん、足を止めた。荒かった息が、すうっと、おさまっていく。ネルがそっと首筋に触れると、山羊はまるで眠る前みたいにおとなしく目を細めた。


「……ね。落ち着いた」

「……あなた、山羊まで鎮めるんですか?」

「人も、嵐も、山羊も、おんなじ。疲れてるか、こわがってるだけ。休ませてあげれば、なおる」


 なんでもないことのように言って、ネルは山羊の背を、ぽんぽんと()でた。


「……みんな、がんばりすぎなんだよ」


 ぽつりと、ネルが言った。山羊を撫でる手は止めないまま、誰に聞かせるでもなく。

「怒ってる人も、暴れてる嵐も、ほんとは、ただ疲れてる。休めば、たいてい、なおる。……それだけのことなのに、みんな、休むの下手だから」


 その言葉に、私はふと、ネルの横顔を見た。

 いつもの脱力した半目。けれど、その奥に、ほんの少しだけ何かを見てきた人の色がある気がした。両軍を三日眠らせて、いつのまにか()()()()()()()()()人。この子もまた、自分なりの理由でここへ流れ着いたのだ。

 もっとも、当の本人はそれ以上は何も語らず、また、ふわ、とあくびをしただけだったが。

 両軍を三日眠らせた力が、迷子の山羊一頭を落ち着かせるのに使われている。なんという、贅沢(ぜいたく)な使い道だろう。けれど、おびえた山羊が、ネルのそばで安心しきっている様子を見ていると——悪くないな、と私は思った。


          ◇


 山羊に縄をかけ、さあ帰ろう、というときだった。


「……あれ? クロエ、これ見て」


 しゃがみこんだリリーが、地面のひとところを指さしていた。

 近づいて、私は眉をひそめた。

 湿った土に、大きな足跡がくっきりと残っていた。山羊のひづめとはまるで違う。肉球のような、太く、鋭い爪の跡をともなった——獣の足跡だ。それもかなり大きい。


「……これ、山羊のじゃ、ないね」


 いつのまにか、ネルが隣に立っていた。眠たげな目が、めずらしく、じっと足跡を見下ろしている。


「犬……にしては、大きすぎますね。熊、でしょうか」

「……熊とも、ちがう気がする」ネルは、小さく首をかしげた。

「なんか……森の、奥のほうのにおいがする」


 森の、奥のほう。その言い方が、なんとなく引っかかった。

 けれど、あたりはもう、夕暮れの気配が忍び寄っている。深追いするには遅すぎた。

 それに、今日の目的は迷子の山羊を連れ帰ることだ。


「……今日は、帰りましょう。山羊が待ちくたびれます」


 私は、足跡から目を離し、山羊の縄を引いた。リリーも、ネルも、それ以上は何も言わなかった。

 ただ——森を出るとき、ネルが一度だけ、奥のほうを振り返ったのを私は見た。


          ◇


 山羊は無事に村へ返された。

 ニコの父親が何度も頭を下げて、お礼にと卵をたくさん持たせてくれた。

 その夜の報告会で私は森でのことを話した。


「ネルが、山羊を撫でただけで、おとなしくさせたんですよ」

「あらあら、さすがネルさんですねぇ」

「……山羊、いい子だった」とネル本人は、もう半分眠っている。


 卵を使ったシルヴィアの焼き菓子を頬張りながら、リリーが、ふと言った。


「でもさ、あの足跡、なんだったんだろ?」


 居間が、少しだけ静かになった。

 森の奥の、大きな足跡。山羊のものでも、犬のものでも、たぶん熊のものでもない、何か。


「……まあ、森には、いろんな獣がいますからね」


 私は、なんでもないことのように、お茶をすすった。

 そう、ただの獣だ。きっと、そうに決まっている。


 ——そう思いながらも、ネルが振り返った、あの森の奥のことが、なぜか、頭の隅に小さく残って消えなかった。

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