第12話『お菓子につられて懐かれました』
「……いいにおい」
垣根をくぐってきた一番のちびっこは、敷物の上のごちそうを見上げて、もう一度そう言った。
四つか、五つだろうか。村の子らの中でも、いちばん小さい。栗色の髪を短く切りそろえた女の子で、つぶらな目が、焼き芋とタルトのあいだを行ったり来たりしている。隠す気のない食い意地だった。
「こんにちは」私は膝を折って、目線を合わせた。「お名前は?」
「……ミナ」
「ミナちゃん。おなか、すいているの?」
ミナは、こくり、と正直にうなずいた。
「すいてるの。だって、すごくいいにおいなの」
その素直さに私は思わず頬がゆるんだ。同時に垣根の向こうがざわつきはじめる。
ミナが入っていったのを見て、他の子らも恐る恐る頭を出していた。
先頭にいるのは、案の定、ニコだ。
「お、おい、ミナ! 勝手に入るなって……!」
言いながらも、ニコの目は、しっかり焼き芋に釘づけになっている。
強がりと食欲が顔の上でせめぎ合っていた。
「あらあら。みなさん、よかったら、召し上がっていきませんか?」
シルヴィアが、ニコニコとお皿を差し出す。
その瞬間、子どもたちの中で何かのタガが外れた。
ひとりが垣根を越えると、堰を切ったように次々と続いた。最初は腰を引きながら、それでも鼻はしっかりお菓子のほうを向いている。ニコは「お、おれは、見張りだから……」などと言い訳しながら、誰よりも早く敷物のそばに陣取った。見張りが最前列にいるはずもないのだが、指摘するのは野暮というものだろう。
◇
結論から言えば、子どもたちは、お菓子の前に、あっけなく陥落した。
最初こそ、おそるおそる果実のタルトに手を伸ばしていた子らも、ひと口かじった途端、目を丸くして、あとはもう止まらなかった。
「うっま!」「なにこれ、あまーい!」「もう一個!」
垣根の外の警戒は、どこへやら。気付けば敷物の周りは、お菓子を頬張る子どもたちでいっぱいになっていた。
「こーら、慌てて食べると喉に詰まりますよ。お茶もありますからね」
私はせっせと木のコップにお茶を注いで配る。
ネルが淹れたお茶は子ども向けに薄めてもちゃんと甘かった。
リリーは、たちまち子どもたちの人気者になった。
「リリー姉ちゃん、たかいたかいして!」
「よっしゃ、まかせて! ……っと、あんまり高くすると屋根に届くから、これくらいな!」
ひょいと持ち上げられた子が、きゃあきゃあと歓声をあげる。
力が有り余っているこの人は、子どもの相手にはうってつけらしい。ただし、加減を間違えると本当に屋根まで放り投げかねないので私は横で目を光らせていた。
シルヴィアは、お菓子の女神のごとく崇められていた。
「お姉ちゃん、これ作ったの? すごい!」
「ふふ、おかわりもありますよ。たくさん召し上がれ」
崇拝のまなざしを一身に浴びて、シルヴィアは、これ以上ないほど幸せそうだった。
そして、ネルはというと——いつのまにか、木陰で数人の子と一緒に仲良く昼寝をしていた。
「ネル。あなた、子守りはどうしました」
「……これが、子守り。いっしょに、寝てる」
「寝かしつけるのが子守りであって、一緒に寝るのは、ただの昼寝です」
「……気持ちよさそうだから、いいかなって」
なるほど、荒ぶる子どもを寝かしつける鎮めの聖女は子守りにも向いているらしい。本人がいちばん寝ているのはご愛敬として。
そして私はというと、こぼしたお茶を拭き、転びかけた子を支え、お菓子の取り合いの仲裁をし、汚れた手を拭いてやり——気づけば、四人ぶんの世話を一手に引き受けていた。
「クロエ姉ちゃんは、なにする人?」
ひとりの子に聞かれて、私は一瞬、言葉に詰まった。お菓子を作るのはシルヴィア、遊ぶのはリリー、寝るのはネル。では、私は。
「……みんなの、お世話をする人ですよ」
「ふーん。じゃあ、お母さんみたいなやつだ!」
「お母さん、というほどの歳ではないんだけどね~」
苦笑しつつ、悪い気はしなかった。誰かの世話を焼くのは昔から嫌いではない。むしろ、こうして手のかかる相手に囲まれているほうが性に合っている気さえした。
◇
お腹が満たされると、子どもたちは、すっかり打ち解けておしゃべりになった。
膝にミナを乗せたまま、私はその話に耳を傾けた。
「あのね、最初はね、こわかったの」ミナが、もぐもぐしながら言う。
「おばけ屋敷だって、みんな言うから。よるになると、ひかりがついて、こわいおばけがいるって」
「それで、肝試しに?」
「ニコが、ひとりでいけるって、いばってたの。でも、熱で倒れて帰ってきたの!」
「ミナ! それは言うなって!」
ニコが顔を真っ赤にして抗議したが、ミナはどこ吹く風だ。思ったことをそのまま口にする子らしい。
「でもね」ミナは、私を見上げてニコっと笑った。「いまは、ぜんぜんこわくないの。だって、おばけより、お菓子のほうがつよいから!」
その理屈に、私はふきだしそうになった。お菓子のほうが強い。なんと幸福な力関係だろう。
「それにね」ミナは、もぐもぐしながら続けた。思ったことが、つぎつぎ口からこぼれてくるらしい。「ここ、あったかいの。おばけ屋敷なのに、へんなの」
「あたたかい?」
「うん。おうちみたいなの。みんな、やさしいから」
なんでもないことのように、ミナはそう言った。
飾りも、お世辞もない。ただ、感じたままを、そのまま口にしただけ。だからこそ、その言葉は、すとんと胸の真ん中に落ちてきた。私は、なんと返したものか分からず、ミナの髪をそっとなでた。
子どもたちは、村の大人が屋敷を遠巻きにすることも、隠さず話した。
「お母さんは行っちゃだめって言うの」「でも、おいしいから、こっそり来たの」。
悪びれもしない。大人たちが理屈と警戒で築いた壁を、子どもらは、いい匂いひとつで軽々と越えてきたのだ。
「でも、お母さんたちもね」とミナ。
「クロエお姉ちゃんたちのお料理、おいしいって言ってたの。こっそり」
「こっそり、ですか」
「うん。表向きはないしょなの」
表向きは内緒。難しい言葉を覚えたものだ。けれど、その「こっそり」の中に、村の人たちの不器用な歩み寄りが透けて見える気がして——私は、また少し嬉しくなった。
ふと、胸の奥があたたかくなった。
遠巻きにされ、変わり者と呼ばれ、それでも構わないと思っていた。けれど、こうして膝の上で無邪気に笑う子がいると——構わない、どころではなかった。なんだか、胸がいっぱいだった。
◇
日が傾きはじめると、村のほうから子供を呼ぶ母親たちの声が聞こえてきた。
「あっ、おかあさんだ」
子どもたちが、名残惜しそうに立ち上がる。お腹をぱんぱんにして、頬を上気させて。
「ごちそうさまでした!」「おばけ屋敷、また来るね!」「ちがうよ、お菓子のお屋敷!」
いつのまにか、屋敷の呼び名が『おばけ屋敷』から『お菓子のお屋敷』に格上げされていた。出世したものである。
わいわいと垣根を出ていく子らを見送っていると、最後にミナが、ちょこんと振り返った。
短い髪を揺らして、私たち四人を順に見上げる。それから、いちばん大事なことを確かめるように、こてんと首をかしげて、言った。
「……ねえ。また来ても、いいの?」
四人で、顔を見合わせた。
リリーが、ニッと笑う。シルヴィアが、ふんわりと微笑む。ネルが、半目のまま小さくうなずく。
私は、膝についた土を払って立ち上がり、できるだけ、なんでもないことのように答えた。
「ええ。いつでも、いらっしゃい。お菓子を用意して、待っていますから」
「やった!」
ミナは、ぱっと顔を輝かせて、おかあさーん、と駆けていった。
その小さな背中が見えなくなるまで、私たちは、なんとなく、そこに立っていた。
——また来てもいいの、と聞かれて。
四人とも、ちょっとだけ嬉しかったのだ。たぶん、自分で思っているよりもずっと。




