第11話『庭がひと晩で森になりました』
朝いちばんに起きて、雨戸を開けた私は、しばらく動けなかった。
――庭が森になっていた。
昨日まで、手入れの行き届いた庭だったはずの場所が、見上げるほどの緑に覆われている。葉を茂らせた野菜のツルが支柱に絡みつき、芋の葉が一面に広がり、いつ植えたとも知れない果樹がたわわに実をつけて枝をしならせていた。
「……シルヴィアさん」
私は静かに、しかし確信を持って、その名を呼んだ。
しばらくして、寝間着のままのシルヴィアが、のんびりと縁側に出てきた。
庭を見て、あらあら、と頬に手を当てる。
「まあ……少し、張りきってしまいましたねぇ」
「少し、ですか」
「ゆうべ、村の方にお返しする野菜を、また育てようと思って。お裾分けのお礼に、お野菜をお返しできたら素敵でしょう? それで、種をぱらぱらと蒔いておいたんです」
「蒔いて、ひと晩で……これに」
「土に触れると、皆さん張りきってしまうんですよ。困ったものです」
困った、で済ませられる光景ではなかった。種を蒔いた、その翌朝に収穫祭ができそうな畑が出来上がっている。
けれど、本人にとっては本当に「ちょっと種を蒔いただけ」なのだ。きっと、王城を森にしたときも、こんな顔をしていたのだろう。
「うわー、なにこれ! ジャングルだー!」
騒ぎを聞きつけて、リリーが飛び出してきた。緑の壁を見上げて、目を輝かせる。
「すげー! シルヴィア、また庭でかくしたの?」
「ふふ、つい」
「……ねむ」
遅れて出てきたネルが、半目でツルをかき分ける。そして、いちばん近い木からもいだ果実を、モグモグと食べはじめた。
「……あっ、これ、甘い」
「ネル、勝手に食べないでください! って、もう食べてますね?!」
私は腕を組んで、緑の海を見渡した。
さて、どうしたものか。元の庭に戻すには、この茂みを全部刈り取らなければならない。一日仕事だ。せっかく実った野菜や果実も、刈ってしまえば、ただのゴミになる。
——もったいない。
ちょうど、リリーが同じことを口にした。
「ねえねえ、これさ、もったいなくない? せっかく実ってるのにさー」
「奇遇ですね。私も、同じことを考えていました」
「だよなー! どうせなら、食べちゃおうぜ! 収穫祭!」
「腐らせるよりは、ずっといいでしょうね」
刈り取って捨てるより、収穫して食べる。困りごとを、ごちそうに変える。
それが、いちばん理にかなっている。
「よし、決まりです。今日は収穫祭にしましょう」
「やったー!」
「あらあら、それは楽しそうですねぇ」
「……収穫より、味見、担当する」
「あなたはさっきから味見しかしていません」
◇
そこからは、にぎやかな一日になった。
収穫は、リリーの独壇場だった。
ツルを引っぱれば芋がごっそり、手を伸ばせば果実がどっさり。
力加減を間違えて太い枝を一本まるごともいでしまったが、実が無事だったので、これも良しとした。
「クロエー! こっちの根っこ、でかいの埋まってるけど、抜いていい?」
「抜いていいですが、勢いをつけないでください。畑ごと掘り返されては困ります」
「だいじょうぶだって!」
次の瞬間、ずぼっ、という音とともに、リリーが特大の芋を引き抜いた。
その反動で彼女自身が尻もちをつく。
「いっつ……ま、抜けたからよし!」
「腰が抜けなくてよかったですね」
ネルはというと、収穫を手伝うふりをして、木陰に座り込み、果実を片手にうとうとしていた。
「ネル。手が止まっています。というより、最初から動いていません」
「……これは、品質の確認」
「品質の確認に、昼寝は必要ですか?」
「……甘いか、見るのに、集中、する」
「目を閉じていては見えないでしょう」
言い返す気力もないのか、ネルはもう一個、果実をかじって、満足げに半目を閉じた。
まあ、誰かが味を保証してくれるなら、それはそれで役に立っている……ことにしておこう。
私は収穫物を、せっせと仕分けていく。芋は芋、果実は果実、葉物は葉物。
並べてみると、その量に我ながらため息が出た。村ひとつ、ひと冬は越せそうな実りだ。
その間、シルヴィアは台所と庭を行ったり来たりして、採れたてを次々と料理に変えていった。
途中、井戸の水を汲むと、桶の中が濁っていた。いつもの調子で、そこへ手を入れる。
「きれいな水に、なってちょうだいね」
ひと声かければ、濁りはおとなしく引いていく。澄んだ水で、シルヴィアが野菜を洗う。
下ごしらえには、きれいな水がいちばんだ。当然のことである。
◇
昼下がり。
庭の片隅に敷物を広げ、私たちは青空の下で、ささやかな——とは言いがたい——ごちそうを囲んだ。
まずは、リリーが熾火で焼いた、焼き芋。割ると、ほっくりと黄金色の湯気が立ちのぼる。ひと口かじったネルが、めずらしく目を見開いた。
「……あまい。蜜みたい」
「ふふ、採れたては格別ですねぇ」
シルヴィアが焼いた果実のタルトは、外はさっくり、中はとろり。
煮込んだ野菜のスープは、甘い実の出汁が溶けて、いくらでも飲めそうだった。
「うっま!! なんでこんなうまいの!?」リリーが三切れ目のタルトに手を伸ばす。
「採れたてだからですよ。それと……」
私は、ふと、シルヴィアを見た。
彼女は、みんながおいしそうに食べる様子を、いちばん幸せそうに眺めていた。タルトのレシピを諳んじるみたいに、ひとり小さくうなずきながら。
ネルは、ネルで、いつのまにか屋敷から茶器を運んできて、敷物の隅でお湯を沸かしていた。こういうときだけは、人が変わったように働く。
「……果物には、すっきりしたお茶が合う」
淹れたてのお茶は、確かに、甘いタルトの後口を、さっぱりと流してくれた。ほろ苦いお茶と、蜜みたいな果実。ひと口ごとに、口の中で釣り合いがとれる。
「ネル、あなた、こういうときの段取りだけは完璧ですね」
「……お茶のことだから」
「その勤勉さを、ぜひ掃除にも分けてください」
「……それは、別腹」
別腹とは何だろう、と思ったが、追及はやめておいた。
シルヴィアは、葉物をさっと茹でて、果実の蜜をかけたものまで出してきた。青くささが消えて、不思議と甘い。リリーが「野菜なのにお菓子みたい!」と感心し、ネルが無言で二皿目に手を伸ばす。
「お野菜は、新しいうちなら、なんでもおいしくなるんですよ」シルヴィアが嬉しそうに言う。
「あらかた、あなたの庭が新しすぎるんですけどね。今朝生えたばかりですし」
「ふふ、それもそうですねぇ」
「お料理は、いいんですよ」彼女が、ぽつりと言った。「レシピどおりに作れば、ちゃんと、思ったとおりに焼き上がりますから。……お庭みたいに、勝手に大きくなったりしません」
その言葉には、聞き覚えがあった。
制御できない自分の力を、彼女はきっと、ずっと持て余してきた。
だから、量った分だけ応えてくれるお菓子が安心するのだろう。
けれど——と、私は思った。
その「勝手に大きくなる」力のおかげで、今日、こうして四人で笑って、ごちそうを囲んでいる。
暴走した庭が、こんなにおいしいタルトに化けている。
「でも、シルヴィアさん」私は、焼き芋を頬張りながら言った。
「今日の収穫祭は、あなたの庭のおかげですよ」
シルヴィアは、きょとんとして、それから、ふんわりと笑った。さっきより、少しだけ、明るい笑顔だった。
食べても食べても、ごちそうは減らなかった。
四人では、とても食べきれない。これは村にもお裾分けしないと——と考えていた、そのときだった。
ふと、いい匂いに誘われるように視線を感じた。
庭の垣根の向こう。昨日と同じ、小さな頭がいくつも覗いている。村の子どもたちだ。
今日は、逃げなかった。じっと、敷物の上のごちそうを食い入るように見ている。
その中で、ひときわ小さな子が——たぶん、いちばんのちびっこが、ごくり、と喉を鳴らした。
そして、たまらなくなったように、ちょこちょこと、垣根のすきまをくぐって、こちら側へ入ってきた。
「……いいにおい」
誰にともなく、その子はそう呟いた。




