235話 ホロッホの卵、クラッタの卵
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「あら、このパッケージ可愛らしいわね」
買い物中の瑠璃子が手に取った菓子のパッケージには、卵やうさぎのイラストが可愛らしく描かれている。
「イースターのデザインだね。春の訪れを祝う行事なんだって」
卵とうさぎは春に芽生える命の象徴であり、イースターは宗教的な行事である。
だが、ハロウィン同様、恵真の住む世界ではこのように商品に描かれるようになってきた。バレンタインにハロウィンと、新たな催しとして商機にしていく企業のたくましさが感じられる。
「新生活で卵料理を始める人も多いかもね。卵の旬は春だし!」
「卵料理は手軽で栄養があるものねぇ。でも基本だからこそ、難しいのよ」
瑠璃子のいうとおり、卵料理は火加減の難しさがある。
オムレツなどはその難易度で腕前がわかると言われるほどだ。
瑠璃子の言葉に頷く恵真だが、あることを思い出す。
「そういえば、ルイスさんから手紙が届いたの」
「あら、ホロッホの卵の人よね」
ルイスは喫茶エニシ開店当初、雨の降る日に大事そうに卵を抱え、訪れた。
会話の中で誤解が生まれた恵真とルイスであったが、料理を通し、互いの考えを知ることができた。
無精卵であった卵がなぜか有精卵になり、その卵を持ち帰ったルイスは孵化に成功し、今ではホロッホの家畜化に携わっている。クロの静かな活躍の成果でもあるのだ。
「そう。仕事が順調で、息子さんも元気なんだって」
「あら! よかったわねぇ」
ルイスには会ったことのない瑠璃子だが、恵真から彼の事情を聞いている。
恵真や喫茶エニシに携わった人は出会ったことがなくとも、知り合いのような感覚になるのだろう。
「卵ももっと入手しやすくなったら、どんどん卵料理も広がっていくかもね」
食材が増えれば、当然それを使った料理も増えていく。
庶民には手が届きにくかった卵であるが、今後は変わっていくかもしれない。
そんな期待を恵真は抱くのであった。
*****
マルティアの街にも春が訪れ、冒険者ギルドも人であふれる。
山も雪が解け、活動しやすくなったため、活気づいているのだ。
そんな冒険者ギルドのギルド長室で、リアムの話を聞いていたセドリックは困ったように笑う。リアムの持ってきた返答が予想通りであったからだ。
「そうか……やはりトーノ様はそのご回答か」
「あぁ、先日と意見は変わらないとのことだ。……だから言っただろう」
リアムの答えにセドリックは頬を掻く。
「そうなんだが、ルイスのあの手紙の熱意を思うとな……。なにか形にしたほうが、彼も気が楽だろ?」
「――それは一理あるな。トーノ様はご自身が行われたことを過小評価しておられる」
先日、ルイスから届いた手紙を喫茶エニシへとセドリックとリアムは持っていき、恵真へと手渡した。
手紙にはホロッホの生育が順調であること、恵真への深い感謝、またそのお礼をぜひしたいというルイスの熱意が伝わるものだ。
しかし、恵真はルイスやその家族、そしてホロッホの卵のことを喜んだが、感謝の品という文面にはあまり関心がない様子であった。
「あの出会いをきっかけにルイスの日々は一変したはずだ。気持ちはわからなくもない」
「だろ? この熱量の文面に礼はいらないと伝えるのも酷だぞ⁉」
手紙は冒険者ギルドを通じ、ルイスの元へと届くのだ。
情が篤いセドリックとしては、ルイスの熱意を感じとり、なんとかしてやりたいと思っているのだろう。
しかし、リアムはそんなセドリックを前に表情を変えることなく、きっぱりと言い放つ。
「言っていることもわからなくはない。だが、トーノ様のご意向が優先だろう」
セドリックはというと、リアムの言葉になぜかにやりと笑う。
その様子を怪訝に思い、眉間に皺を寄せたリアムにセドリックは肩をすくめた。
「お前がそう言うのも予想通りだな」
楽しげなセドリックから視線を逸らし、リアムは窓の外を向く。
開いた窓からは心地の良い風と、マルティアの街の人々の声が聞こえてくる。
中には若い冒険者や、初めてマルティアの街に出てきた者もいることだろう。
長い冬を終えたマルティアの街の賑わいは春の訪れでもあった。
「ついに完成したんですか⁉ おめでとうございます!」
恵真の言葉にサイモンは感極まった表情になり、そんな彼の姿を見たステファンもまた涙を拭う。
久しぶりに訪れた薬師ギルド中央支部長サイモンと薬師のステファンが告げたのは、新たな携帯食が完成したという吉報だ。
アッシャーとテオも目を輝かせ、パチパチと拍手を送る。
商業者ギルド長のレジーナも訪れ、完成した携帯食を興味深そうに見つめる。
「効果は確信しております。それは薬草の女神から頂いた質の良い薬草、そして食べ合わせという食材を組み合わせ、効果をより高めるという発想です……! この出会いは天啓だったのだと思わざるを得ません!」
そんなサイモンの言葉に後ろでステファンも何度も頷くのだが、恵真は困ったように微笑む。
恵真からすれば、それは過剰な称賛なのだ。
「恵真さんが前に作ったクラッカーに似てるね」
テオの言葉にサイモンが目を大きく見開き、笑みを見せる。
「流石女神の元で働いているだけのことはある! そうだよ、テオ君。以前、ここでいただいたバジルクラッカーを元に改良を重ねたものなんだ」
かつてあった食事の食べ合わせの考えから、恵真が作ったのがバジルクラッカーだ。それは薬草であるバジルの効果を高め、治癒の力を引き出すものであった。
そのクラッカーを元に、サイモンはバジルとチーズのクラッカーに、他の薬草を組み合わせ、この新たな携帯食を作り上げたのだ。
「女神のご判断がなければ、この新たな携帯食は生まれなかったことでしょう。まさに、薬草の女神です!」
久しぶりに会ったサイモンは携帯食の成功もあり、いつも以上の称賛を恵真に告げる。呆れたような視線を向けるレジーナだが、携帯食自体は素晴らしい出来栄えであり、成果なので口を挟まないのだ。
「いえ、お二人の努力に他なりません。まずはどうぞ、お座りください。なにかご用意しますね」
「ありがとうございます。今後はより多くの人々にその効果を実感し、証明する――いわゆる治験が必要になるでしょう」
サイモンとステファン、二人は作り上げた携帯食の効果を身を以て実感している。ギルド職員の有志も含め、試しており、その効果を確信しているがより多くの根拠を以て、成功としたいのだ。
そんなサイモンの言葉に商業者ギルドのレジーナはじとりとした視線を向ける。
「……ちゃんと相手に了承をとるのよ?」
「あれはあなた方が勝手に食べたんでしょう」
以前、ギルド長達の会議の場に、通常の食事とともに開発中の携帯食が紛れていた。それをレジーナとセドリックは口にしたのだ。
開発中とはいえ、効果を十分に発揮した携帯食だったが、副作用があるのではとレジーナは怯えて過ごしたのだ。
「テーブルの上に置いていたあなたが悪いんでしょう!」
賑やかになった喫茶エニシだが、恵真はお茶を淹れるために湯を沸かす。
その間になにか摘まんでもらおうと用意したのが、2種類のクッキーだ。
昨日の晩、焼いたものでアッシャーとテオに持ち帰ってもらおうと袋に詰めていた。それ以外の自宅用のクッキーを皿に入れ、恵真は差し出す。
「こちらをどうぞ。2種類のクッキーなんです。こっちがナッツ入りで、こっちがドライフルーツを入れてるんですよ」
ドロップタイプのクッキーには卵を使用している。
今、恵真が作る料理には二つある。
喫茶エニシで振舞う料理やアッシャーやテオに渡すもの。こちらはマルティアで入手しにくい食材も使い、作っている。
もう一つはマルティアの街の人々が作れる料理。こちらは皆が作れるように入手しやすい食材を使っているのだ。
マルティアで普及している食材を使う――そのことでその料理が多くの人々に伝わるようにしているのだ。
今回のクッキーは前者である。
「そういえば、卵が入手しやすくなるかもしれないんですよね! 私、凄く楽しみにしているんです」
「あ! リアムさんが言ってたもんね。ホロッホの卵が上手くいくなら、クラッタの卵も安くなるかも! って」
テオは先日の話を覚えていたのだろう。得意げに胸を張る。
アッシャーはというと、恵真が喜ぶ様子にくすくすと笑う。
「なんだか、エマさんらしいですね」
「そう?」
アッシャーの言葉にテオも同意するように頷く。
恵真が楽しみにしているのは、卵がマルティアの人々に購入できる可能性が高まっていることだ。
卵や卵料理を皆が食べられるようになる。そのことを恵真が期待しているのはアッシャーやテオにもわかるのだ。
そんな中、レジーナの表情がなぜか曇る。
「――そう上手くはいかないかもしれないわ」
「え? どうしてですか」
レジーナの言葉を不思議に思ったのは恵真だけではない。
アッシャーやテオ、ステファンもレジーナへと視線を向ける。
サイモンはなにか心当たりがあるのだろう。レジーナの言葉を待っている様子だ。
「……人々の中にクラッタの卵を買い占める動きがあるのよ」
突然のことに恵真は驚き、目を瞠る。
しかし、商業者ギルド長のレジーナの情報であれば、確かなものだろう。
穏やかな季節に、新たな携帯食の開発状況と弾んでいた恵真の心に、予想外の情報が影を落とすのだった。
※25~27話ではルイス初来訪。186話~188話ではルイスが喫茶エニシに再訪しております。




