230話 女領主ハリントン伯爵 4
寒波で交通など大変かと思います。
お気をつけくださいね。
領主代行夫人が開いた会食を終えたヴィクトリアは用意された部屋で寛ぐ。
遠方からの来客のため、領主屋敷の部屋で一泊した後、帰途に就く予定だ。
窓の外から見えるマルティアの街は整い、美しい。
冒険者の街と呼ばれるため、粗野なイメージを抱いていたのだが、馬車での移動の際に目にした光景も活気があり、好意的な印象をヴィクトリアは抱く。
「実際に訪れ、印象が変わられたのではないですか?」
「……まぁ、そういうこともあるだろう」
素っ気なくそう返すヴィクトリアだが、執事はにこやかな表情を崩さない。
それがまた、自分の気持ちを悟られているようで癪に障るのだ。
他家で執事を務めていたこの男は優秀だと前任の執事が呼びよせた人物である。
それなりに付き合いが長いのだが、ヴィクトリアはまだ気を許せずにいた。
そんな心を知ってか知らずか、執事はいつも柔和に微笑むのだ。
「特に食事は素晴らしいものでしたね! 流石、食の街と呼ばれるマルティアです! きっと、街にはもっと美味しいものがたくさんあるんでしょうねぇ!」
「エリス、ご当主様の前ですよ。はしゃぎすぎです」
「す、すみません……」
執事にたしなめられ、謝罪したメイドの様子にヴィクトリアが感じたのは不快さではなく、意外性だ。
いつもヴィクトリアの側に仕えるこのメイド、エリスは静かで干渉することがない。必要なことを必要になる前に準備し、慎み深く微笑むメイドである。
勤勉な態度を評価する一方、何を考えているかわからないというのがヴィクトリアのエリスへの印象だったのだ。
「確かに食事は見事なものだったな。冬という季節にもかかわらず、華やかさがあった」
ヴィクトリアの言葉に執事とエリスは驚く。
夫亡き後、女性でありながら伯爵となったヴィクトリアは常に張りつめた空気をまとっていた。
自らの使用人であっても心の隙を見せず、無駄な会話を好まない。
身近に仕える者ほど、そのことに気付き、同時に多忙なヴィクトリアを労い、必要以上の会話をすることはなかったのだ。
「そうですね。しかし、決して華美に飾り立ててはいませんでした。この時期に入手できる食材を無駄なく利用している――それがあの果物の飾りにも表れていましたね」
「あぁ、あの発想はなかったな。皮という無駄なものを省かず、装飾として使うことで卓上に彩りを添えていた」
「トルートというこの地方の名産品だそうです。小さな実のほうはルルカというそうです」
「美人の実、だったか。それを使った菓子なども好評だったな。」
特産品を使い、貴婦人方に自領地を印象づける目的であったのだろう。無駄となるはずの皮を模様として一部切り取ることで、美しく卓を彩ったこと、ルルカの実が美人の実と呼ばれていることなど、味と情報は各屋敷に持ち帰られるのだ。
親しい婦人方を呼んだのか、領主代行の夫人の人望なのか、穏やかにつつがなく終わった会食にヴィクトリアも肩の荷が下りた思いだ。
「でも、一番素敵だったのはあのケーキですよね……!」
「――エリス」
久しぶりの遠出ということもあり、エリスの気持ちは舞い上がっているのか、頬を染め、興奮している様子だ。
「だって、ご当主様のお名前のついたケーキをご用意しているなんて……!」
エリスの言葉に、内心でヴィクトリアは賛同する。
ヴィクトリアサンドケーキという菓子は、今回の会食の話題の中心となった。
シンプルに雪のような粉砂糖を振ったケーキに挟まれた赤いジャム、しっかりとしたバターの風味のするケーキ――その菓子を紹介されたとき、ヴィクトリアの心は高鳴った。
自らの名をつけられたのが、甘く可愛らしい菓子であったことにヴィクトリアは久しくなかったときめきを覚えたのだ。
そして、皆がそのケーキの名を口にし始めたことにも、じわじわと喜びが心に広がっていった。
「――私はヴィクトリアでもあったのだな」
小さく呟いた言葉は自分自身に言い聞かせているような響きがあった。
伯爵家に生まれたヴィクトリアは結婚し、夫が家を継いだことで、ハリントン伯爵夫人となった。
その夫の死後、自身が家を継いだ。遠戚の子どもが育つまでのかりそめの伯爵のつもりだが、領地を建て直すため、懸命に日々を過ごしてきた。
立場で変わる呼び名、いつしか彼女をヴィクトリアと呼ぶ人々は周囲にいなくなってしまったのだ。
「あ! あと、面白いお話を会食の際にお聞きしたんです」
「……エリス。職務中に何を話しているんですか」
にこやかにたしなめる執事に気付いていないのか、エリスはヴィクトリアに微笑む。ヴィクトリアが優秀で無口だと思っていたメイドは、どうやらずいぶんとおおらかな気性らしい。
「いえ、この屋敷の方らしく、色々と今日の食事のことを教えてくださって……。果物などを用意なさったのは商業者ギルド長らしいんです」
「……ご領主様の口に入るものを、市井の者に用意させたんですか?」
執事のにこやかな表情が崩れ、眉間にかすかに皺が寄る。
貴族の屋敷であれば、信頼する業者を使うだろう。しかし、冬であるこの時期は食材も当然、入手しづらい。
そのため、商業者ギルドや冒険者ギルドを頼ることもあるだろう。
ヴィクトリアはさほど、気にならないのだが、執事の表情が崩れたのが意外で口元が緩む。
仕事をそつなくこなす彼の人としての内面を垣間見た思いだ。
上に立つ者は簡単に他人に心を許してはならない――そう考え、周囲の者と距離を置いていたのは自分自身なのだとヴィクトリアは気付かされる。
「その商業者ギルド長がこの街はじめての女性ギルド長だそうで……! 恰好いいですよね。その方の伝手を頼って今回のケーキも作られたそうなんですよ」
どうやら、市井でも同じように長として背負い、戦う者がいるようだ。
ヴィクトリアと呼ばれる日々を懐かしく思う彼女だが、領主として代々の土地と家名を守る伯爵当主でもある。
守るために戦う決意を再確認したヴィクトリアは、徒労に終わらない価値がこの会食にはあったと微笑むのだった。
*****
レジーナの赤い唇から吐いた息は、白い蒸気になって消えていく。
ちらちらと降り始めた雪は降り積もり、商人や冒険者達の足を鈍くするのではないかとレジーナは眉間にかすかに皺を寄せる。
先程まで、レジーナは喫茶エニシに訪れていた。
会食は無事に成功したため、その礼を直接告げたいと恵真に会いに来たのだ。
感謝を告げるレジーナだが、恵真は成功を自分のことのように喜んでいた。
「――女性初の商業者ギルド長、なのにね」
恵真に深く感謝する一方、レジーナはまだまだ力及ばない自分に不甲斐なさも感じてしまう。
降り続ける雪を見上げるレジーナ、その眦にはかすかに涙がある。
「お? 泣いてんのか?」
「‼ 泣いていないわよ! 寒かったから、涙が滲んだだけ!」
その声の主が誰か、レジーナにはすぐわかる。
商業者ギルド長として、反発や嫉妬を抱かれるレジーナだが、こんな不躾な言葉を直接投げかけてくる人物は他にはいない。
振り向き、相手をキッと睨むレジーナだが、そんな彼女を気にする様子もなく、父であり、前商業者ギルド長であるジョージは彼女の斜め後ろを歩いてくる。
「喫茶エニシに行ってきたのか。まぁ、世話になっちまったしなぁ」
「…………」
ジョージの言葉に前へと向いたレジーナは、早足で歩いていく。
「お前なぁ……」
「なによ」
寒さのせいか、道には人通りが少ない。
日頃、ジョージとは距離を置くレジーナだが弱気になっているせいか、そのことも忘れ、口を返す。
ジョージはそんな娘に肩を竦める。
「いいか? 人に頼られるだけが上に立つ者じゃねぇぞ。ときには誰かの力を借りて、頼ることも必要なんだ。お前にはそれが足りねぇ」
「……どういう意味よ」
ジョージにはつい意地を張ってしまうレジーナなのだが、父の言葉が気になったのだろう。歩みを緩めた。
「全てを自分の力で行うなんてのは土台無理なことなんだ。そう考えるのは傲慢とも言えるな。自分にできること、周りの人間のできることを知るんだ。采配して、それぞれの力を借りる――これが今のお前に足りねぇとこだぞ」
思い当たるところがあるのだろう。レジーナはぴたりと歩みを止めて、ぎゅっと唇を噛みしめる。
周囲の職員に頼らず、自らが動くスタイルをレジーナはとる。
弱みを見せず、人に頼るのが下手なレジーナは、頑なで冷たい印象を与え、それが人を遠ざける原因にもなっているのだ。
「セドリックを見てみろ。あんなにシャロンに頼りっぱなしだが、いざとなったら皆があいつを頼るだろ。真似しろとは言わねぇが、ああいう形もあっていい。もう少し、考えるんだな」
「…………そうね」
自分自身が不器用なのはレジーナも重々承知している。
だからこそ、もどかしく不甲斐ないのだ。
そんなレジーナを追い抜いた父のジョージがなにかを彼女に投げる。
「今のお前さんに手を貸したいと思うやつらがいたから、今回の成功もあるんだ。なにより、お前さんの努力がそのまえにある――もう少し、胸を張れよ」
そう言って去っていく父を黙ってレジーナは見送った。
彼女の手の中にはジョージが投げた革の手袋がある。
誰かに頼りつつ、いざとなると頼りになる存在。それは父であるジョージもそうであった。
「……なれるかしら、私も。……いいえ、ならなくっちゃね」
父の手袋をつけ、レジーナは再び歩き出す。
いつものように背筋を伸ばし、歩む姿は凛として隙が無いようにも見える。
しかし、その口元は弧を描き、目には強い意志が宿る。
まだ消えない父の足跡を追うように、レジーナは颯爽と歩くのだった。
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