228話 女領主ハリントン伯爵 2
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ガタガタと揺れる馬車の中、長い睫毛を伏せ、ハリントン・ヴィクトリアは眠りにつく。マルティアへと向かう時間は多忙な彼女にとって、つかの間の休息でもあった。
――ヴィクトリア。ねぇ、ヴィクトリア。僕がいなくなった後、君が背負い過ぎないか心配だよ。
「……いつのまにか、眠ってしまっていたな」
懐かしい声を聞いたヴィクトリアは、もう少し寝ていたかった気持ちを隠し、そう口にする。
父の跡を継いでくれた亡き夫の優しい声を思い出しながら、ため息を飲み込むヴィクトリア。そんな彼女に優しい声が投げかけられる。
「ご当主様はご多忙であらせるので、休息も必要かと存じます」
そう言って微笑む執事もその隣のメイドも、夫の亡くなった後に雇用した者達だ。
長年傍にいたメイドも、夫の死後に旅立ってしまった。
ヴィクトリアは周囲にいる者に不満はない。
彼女が選び、雇用した者たちなのだ。信頼は置ける。
ただ、周囲の者にはご当主様、貴族達にはハミルトン伯爵、そう呼ばれる日々にどこか寂しさを感じるだけなのだ。
しかし、それは己の弱さを見せることであり、貴族としては危険なことでもある。
そう考え、ヴィクトリアは自分の甘さに苦い笑みを溢す。
「――マルティアか。足を運ぶ価値のある街だとよいが」
貴族同士の会食の意義を知るヴィクトリアだが、一方で時間と税を無駄にしているとも思えてしまう。
貴婦人方の会話、憧れを含む眼差しには疲れを感じる。
もっと商業や領地を潤すような実りのある会話をヴィクトリアは求めているのだ。
そんな主人の感情に気付いたのだろう。執事がマルティアの街の情報を告げる。
「マルティアは最近、食の街として名を上げておりますね。また、質の良い薬草が入手できるようで薬師ギルドも活性化しております。元々、冒険者の街であったマルティアの変化は今後の領地経営に活かせるかと、僭越ながら思うことがあります」
執事の言葉にヴィクトリアは形の良い指を唇に当て、考える。
彼の言うとおり、その点が気になり、ヴィクトリアは招待を受けたのだ。
また、領主代行のご婦人に人望があることも足を運ぶ理由となった。
誰が開く会なのか、それはその場の客人や空気を決める。
「他の地に足を運び、見聞を深めることには確かに価値がある。まぁ、徒労に終わらねば良いがな」
そう言ったヴィクトリアは再び目を閉じる。
休息が必要であるのも理由だが、できればまたあの夢が見たかった。
そんな思いを知ってか知らずか、執事とメイドは優しく微笑む。
まるでこちらの想いが悟られているような気恥ずかしさに、顔をそむけ、ヴィクトリアは体を休ませるのだった。
*****
「なんてことだい……! 果実の半分が潰れちまうなんてさ……!」
アメリアの言葉に同意するかのように、皆はレジーナに気遣うような視線を向ける。珍しくホロッホ亭に現れたレジーナの顔色の悪さに、アメリア達が話を向けたところ、驚くべき事実がわかったのだ。
「――冬場で足元が悪いための事故よ。怪我人もいないし、馬も無事だからまだ幸いなのかもしれないわね」
「そう言ったってさ、もう開催が近いんだろう?」
アメリアの言葉にレジーナは俯く。
商業者ギルドにも動揺が広がった。誰のせいでもないと言い、なんとかするから今日は帰宅するように皆に促したレジーナだが、内心では彼女が一番衝撃を受けていた。
しかし、そんな弱さを周囲の者に見せるわけにはいかない。
自らを奮い立たせるかのようにそう言ったが、そのまま家に帰る気にはなれず、こうしてホロッホ亭に寄ったのだ。
「必要なのが果実であれば、冒険者達にも話をしてみよう。セドリックにも伝えておく。今年は例年より、雪も少ない。冒険者達も森や山へ行っているからな」
リアムの言葉にレジーナはうつむいていた顔を上げる。
そう、レジーナには落ち込んでいる猶予などないのだ。
明日から周囲の伝手を頼り、なんとか果実を用意する必要がある。
今回の件は商業者ギルドのためだけではなく、領主代行のエリックの顔を潰すことに繋がってしまうのだから。
「ありがとう。領主代行の元にも伝え、そのうえで今できることをするつもりよ」
レジーナにも伝手がないわけではない。問題は今が冬だということ、そもそも果実が入手しづらい時期なのだ。
頑なな表情を湛えるレジーナに、リアムはある提案をする。
「その果実だが、どれほどの量がある?」
「え、そうね……木箱ひと箱分くらいかしら?」
浅い木箱ひと箱分ほどの果実だが、菓子に使う予定であったため、その量でも問題はなかった。むしろ、この時期によく入手できたと商業者ギルドでは皆、喜んでいたくらいだ。
「では、トーノ様にご相談しよう」
「え、喫茶エニシの店主に?」
突然、出てきた喫茶エニシの店主の名に驚くレジーナだが、リアムの言葉にアメリアも納得したように頷いている。
「トーノ様は魔道具をお持ちだ。潰れた果実は傷みも早い。であれば、魔道具で保管して頂くのがよいだろう」
「――そこまで甘えていいのかしら。私は彼女に頼っていい理由なんかないのよ」
喫茶エニシに足を運ぶようになったレジーナだが、店主の恵真にそこまで頼っていい理由が思い当たらない。
いつも笑顔で出迎えてくれる店主の表情が、困惑に変わってしまうのではとレジーナの表情は曇る。
「何言ってるんだい! そんなことを言っている場合じゃないだろう? お前さんが背負っているのは商業者ギルドとマルティアの商人。あたしらがちゃんと要望に見合うものを用意できるんだって証明しておくれ!」
アメリアの言葉にハッとしたようにレジーナが顔を上げる。
そう、レジーナが背負っているのは領主代行からの期待だけではない。
商業者ギルドに携わる者達の生活と信頼を彼女は背負っているのだ。
それを背負うには若すぎることをレジーナ自身は身を以て知っている。
経験不足を実感することも何度もあった。
そのたびに、周囲の職員や経験豊かな商人達が支えてくれたのだ。
「――ありがとう……そのとおりね。私は商業者ギルド長なんだから、その責務を果たさなきゃ」
そう言ったレジーナの表情はどこかふっきれたような清々しいものだ。笑みを浮かべるレジーナは凛々しくやる気に満ち溢れている。
アメリアもリアムもそんなレジーナを肯定するかのように微笑むのだった。
「――で、あんたはいつまでそこに隠れているつもりだい? ジョージ」
レジーナが去った後、アメリアの言葉にびくりと肩を揺らしたジョージは気まずそうな顔になる。
ホロッホ亭にレジーナが訪れたことに気付いたジョージは、慌てて客の中に隠れたのだ。今夜も賑やかな店内、その中に紛れることはそう難しいことではない。
元々いたカウンター席に戻ったジョージにアメリアが再び話しかける。
「あんたの昔の知人とか、頼りになりそうなのを紹介してあげたらどうだい?」
「……まぁ、本当にどうにもならなくなったときには、そうしてもいいのかもしれねぇな」
「なんだい、煮え切らないねぇ!」
長年、商業者ギルド長として務めたジョージは顔が広い。
娘であり、現商業者ギルド長であるレジーナに力を貸してはとアメリアは言っているのだ。
そんなジョージとアメリアのやり取りをリアムはじっと見つめる。
「こう、上手く言えねぇけどよ、俺が手を出しちゃいけねぇ気がするんだよ」
「どういう意味だい」
「だからよぉ……」
もどかしそうに額を掻いたジョージは、アメリアの視線から目を逸らしながら自身の想いを口にする。
「ここで俺が動いちゃ、あいつの気持ちを無視しているのとおんなじだろ?」
「……っ!」
ジョージの言葉にアメリアがハッとした表情になる。
同時にアメリアが思い浮かべたのは、先程見たレジーナの姿だ。店に来たときとは違う雰囲気で去ったレジーナ――彼女は今の商業者ギルド長なのだ。
だが、女性であることで一部から反発や反感を買われていることをアメリアもよく知っている。
今回の困難はそれを払拭する機会にもなるだろう。
なにより、ジョージが手を貸すことはレジーナでは力不足であると言っているようなものだ。
「もどかしいけどよ……。待つしかねぇんだよな」
「……あんたの判断が正しいかもしれないね」
元商業者ギルド長であるジョージが父であることを知れば、レジーナの今の地位を実力ではないと言い出す者がいるだろう。
ジョージとしてはもどかしいだろうが、彼が動くことが娘であるレジーナの道を阻むことになる。
娘であるレジーナだが、現商業者ギルド長でもある。何か口を挟むこと自体がレジーナの力不足を指摘しているようなものなのだ。
「でもさ、皆が協力してくれるのはさ、別にあんたの娘だからじゃないからね」
その言葉に驚いて顔を上げたジョージに、アメリアは笑う。
娘を案じているのを悟られたのが気恥ずかしく、ジョージはふいっと目を逸らす。
「……まぁ確かにそうかもしれねぇな」
「若い子を信じるのも、あたしらの役目だからねぇ」
昔馴染みの二人の会話だが、そこにはレジーナへの優しさが感じられる。
それは普段から恵真達にも向けられているもので、ジョージとアメリアの会話にリアムは目を細めた。
恵真には果実の件を相談せねばならないため、リアムは明日辺り喫茶エニシに行く必要があるだろう。
年末が近づいているせいか、次々とホロッホ亭には客が訪れる。
吐く息が白くなり、消えていく寒さだが、ホロッホ亭は今夜も賑わうのだった。




