②
暖炉の火が、静かに揺れている。
ぱち、と薪が弾けるたび、
乾いた音が小さく部屋に広がった。
火の匂い。
煮込まれたスープのやさしい香り。
濡れた衣服が乾いていく、かすかな湯気。
それら全部が、現実感を連れてくるのに、
セラの胸の奥だけが、まだ冷えたままだった。
指先がじんじんと痛む。
解けていく感覚が、かえって現実を突きつける。
「……セラ」
名前を呼ばれて、ゆっくり顔を上げる。
炎の向こう側。
レイの瞳が、まっすぐこちらを見ていた。
「私はレイ。……ねえ、どうしてこの村にいたの?」
少しだけ、間があく。
視線が揺れて、火に落ちる。
揺れる橙の中に、言葉を沈めるようにして——
「……お母様の、故郷なんだ」
それだけ。
それ以上は、言えなかった。
言葉にした瞬間、全部が崩れてしまいそうで。
沈黙が落ちる。
薪の弾ける音だけが、やけに大きく聞こえた。
「お母様、もういないんだ」
気づけば、口にしていた。
誰かに聞かせるつもりなんてなかったのに。
「……亡くなったの?」
レイの声は、静かだった。
「違う」
かすかに首を振る。
「生きてる。でも——」
喉が、詰まる。
うまく息ができない。
「……もう、会えない」
その一言で、すべてだった。
それ以上は、自分の中で形を保てない。
沈黙。
そのまま崩れ落ちそうな空気の中で——
ふわりと、背中に温もりが触れる。
レイの腕だった。
「……話してくれて、ありがとう」
耳元で、やさしく落ちる声。
その瞬間。
——堰が、切れた。
ぽたり、と。
膝の上に落ちた雫が、にじんで広がる。
それを見た途端。
次が来る。
その次も。
止まらない。
止め方が、分からない。
喉の奥から、音が漏れる。
押し殺そうとしても、抑えきれない。
小さく、途切れて、震える声。
こんなふうに泣くのは、いつぶりなのかも思い出せなかった。
いや——
きっと、初めてだった。
泣いてもいい場所で、誰かに触れられながら泣くのは。
レイの手が、背中をゆっくり撫でる。
一定のリズムで。
急かすことも、止めることもなく。
ただ、そこにいてくれる。
それだけで——
崩れたものが、止まらなかった。
「……私もね」
しばらくして。
レイの声が、そっと重なる。
「本当のお母さんに会いたいって、思ったことあるの」
その声は、あまりにも自然で。
悲しみを誇張するでもなく、ただ“そこにあるもの”として語られた。
捨てられていたこと。
それでも、今の家族に愛されていること。
言葉は穏やかなのに、その奥にあるものが、確かに伝わってくる。
「ねえ、セラ」
背中に回された腕が、ほんの少しだけ強くなる。
「ここで一緒に住まない?」
その提案は、あまりにもあたたかくて。
だからこそ——
「……無理だよ」
ほとんど反射のように、否定していた。
「僕がいたら、迷惑になる」
それは事実だった。
逃げられない現実。
「違う」
小さく、でもはっきりと返ってくる。
その一言が、逃げ道を塞ぐ。
「……僕は、逃げる勇気がないだけだ」
やっと、言えた本音。
吐き出した瞬間、胸が痛んだ。
「どうして、助けたの?」
ぽつりと、こぼれる。
レイは少し考えてから——
「……放っておけなかったの」
それだけを言った。
理由としては、あまりにも短いのに。
なぜか、深く刺さる。
「全部は分からない。でも」
レイが、セラの手を取る。
まだ少し冷たい手を、包むように。
「セラは、逃げなかったでしょ」
その言葉に、息が止まる。
「だから、応援したい」
まっすぐな視線。
逸らすことが、できない。
「ここにいるよ」
指が、ぎゅっと絡む。
「セラを大切に思う人」
——そんな存在が、自分にいるなんて。
知らなかった。
知らないまま、終わるはずだった。
胸の奥で、なにかが静かにほどける。
さっきまで冷え切っていた場所に、遅れて温もりが広がっていく。




