二五
「お電話ありがとうございます、片岡です……」
「あ、もしもし、お久しぶりです。金山ですけど、覚えてますか? ほら、以前、将棋とかさせてもらって、仲良くさせてもらった者ですけど!」
金山は咳き込んだような、慌てた口調でそう言った。
「……ただ今、電話に出ることができません。発信音の後にメッセージをお願いします……」
(なんだ、留守電か!)
金山はイラッとして、腹立たしげに電話を切った。
(なんなんだ! 一体なんなんだ!)
首を振る。
自分のそそっかしさに腹が立つ。自分が本当に馬鹿みたいに思えて、鬱になる。
(……はーっ……冷静冷静……とにかく、あれだな。丈さんの電話番号に間違いないようだな……)
金山は立ち上がり、トイレに向かった。
そして小便を済ませ、ズボンのチャックをしめた。するとまだ尿がかなり残っていたようで、パンツをかなり濡らしてしまった。
(……ううう……くそーっ……)
金山は愕然として、しばしその場に立ち尽くす。
やがて再び歩き出し、休憩室に戻ろうとしたが、ふいに思いなおし、岡本圭介を探してみようと思い立った。
とりあえず携帯電話を返してしまいたかった。
お漏らしまでしてしまった。どうにもいたたまれない。股間が尿臭くなってしまった。
今回はまた一度家に帰ろうという気になっていた。
そんな風にしばらく岡本を探して歩きまわったが、どこにも見つからなかった。
ホワイトボードを見にいけば、どこにいるかすぐに分かる。
しかしまた石橋と出くわすことを恐れた。出来れば一生見たくない顔だ。
そして金山は再び休憩室に戻ろうとした。
するとふいに携帯電話が鳴った。
矢吹の文字がディスプレイされていた。
片岡丈からの電話だった。
金山はしばし立ち尽くし、出ようかどうか迷った。
ずっと迷っているうちに着信音は消えた。
彼はどうにも緊張してしまって出ることができなかった。
そして彼は休憩室にたどりつき、適当な場所に腰を下ろした。そしてぐるりと首をまわした。
どうも顔の疼きがひどい。口の端が痺れたような感じにもなっている。そして首の後ろも、こって、不快だ。頭が重くて、冷や汗も出る。おまけに耳も痛くなってきた。中耳炎のような感じである。
どうにもやり切れず、金山は頭をゴシゴシとかいた。
(とにかくもう家に帰って寝よう。また出直そう。携帯電話は丈さんに代わりに返しておいてもらおう……)
ふいに金山はそう考えて、機械的に携帯の発信ボタンを押した。
「あ、はい、もしもし片岡ですが……」
金山は留守番電話かも知れないと思って、しばし黙っていた。
「あの、もしもし? 岡本さん?」
「あ、もしもし金山です。すみませんけど、携帯電話を岡本くんに返しておいてもらえませんか? かわりに。ちょっと調子が悪くて家に帰りたいんですけど……」
「へ??? あの……もしもし?」
耳や頭がどうも痛んでジンジンしている。
金山は毎日顔を突き合わせている相手と喋ってるような感覚になってしまっていた。
電話先の相手は混乱しているようだった。
「あの、だから金山ですけど、岡本くんに携帯代わりに返しておいてもらえませんか? 預かってしまったんです。面倒なお願いしてしまって、もうしわけないです。でも渡された携帯電話をゴミ箱に捨てて帰るわけにもいきませんからね。仕方がないんです。耳とか頭とか痛くてジンジンするんです」
話が通じないことにイライラした金山は、少し怒ったような口調でそうまくし立てた。
「あの……岡本さんではないんですね? カナイさんとおっしゃるんですか?」
「だからカナイじゃなくて、金山ですって! 金山正夫です‼︎」
金山はイライラして叫んだ。
休憩室内にその大声が響き渡る。
「……ほおほお、金山さんでしたか……久しぶりですねえ。お元気でしたか?」
「え? あ、えーっと。すみません。間違えました。久しぶりですね。ごめんなさい。あ、そっかそっか……」
金山はしどろもどろになった。
どうも頭が混乱していた。
「で、どうされたんでしたっけ? 携帯電話を岡本さんに返せばいいんですね? 今どちらにおられるんですか?」
片岡はきびきびとそう訊ねた。
「あ、今、第七休憩所の自動販売機の近くのベンチにいます」
「そうですか……いやもうすぐ私、面談があるんですよね……ちょっと五十二号館でトラブル発生でしてね……うーん、そうですね……あ、じゃあ受付の警備員さんにでも渡しておいてもらえませんか? 私、連絡しときますんで。それでいいですか?」
「あ、はい分かりました。ホントすみません。わがまま言ってしまって。すっごく申しわけないです」
金山はうなだれてそう言った。何か無性に悲しくなった。
「じゃあ、そういう形でお願いします。じゃ、ちょっと切りますね。またなんかあったら留守電にでも入れておいてください。折り返し……っは出来ないか……警備員に返しちゃうんですもんね……まあまた連絡してください。なんでも相談に乗りますから。じゃあすみません、先方見えたんで切ります……どうも……」
電話は切れた。
しかし金山は携帯電話を耳に当てた状態のまま、そのままたっぷり十分間は同じ姿勢だった。
何か放心状態であった。
(……とにかく帰ろう。その前に丈さんの番号をメモっておこう。そして後日電話しよう。すぐに働かないと、本当にやばいから……)
金山は、工場内のコンビニでメモ帳とボールペンを購入した。そしてそこに片岡丈の電話番号を書き込んだ。
そのまま、もうわき目を一切振らずにF工場の入門口へと歩き始めた。
入門口の受付に到着すると、警備員に通門カードを見せてから、携帯電話を差し出した。
「これは誰の携帯電話ですか?」
「あ、岡本くんのです」
「誰に渡せばいいんですか?」
「あのー……丈さんに……」
「丈さん?」
「あ、すみません、片岡さんに渡してもらえませんか?」
「……はい……連絡承っております。確かにお預かりいたします。預かり証は必要ですか?」
「え? いや、別にいいです。渡してさえもらえれば」
「承知しました……」
そういって携帯電話を受け取った警備員は自分の仕事に戻った。
もう金山の存在はまったく目に入らないようだった。
金山はしばらく立ち尽くしていたが、やがてはっと我に返り、歩き出した。
駅までのバスに乗りこんだ。
わき目も振らず、帰路を進んだ。もう家に帰ることしか頭になかった。
電車の中でもいつものようにぴったりと窓にへばりつき、誰の顔もみなかった。
一度電車を乗り換えて、アパートの最寄り駅に到着した。
そして、とぼとぼと歩いた。
(家には食べるものは……カップメンや缶詰があったはず……)
アパートに到着した彼はシャワーを浴びて、洗濯物を洗濯機で洗った。
軽く食事をすませた。
そしてごろりと横になった。そのままぼんやりと考え事にふけり、やがてそのまま睡眠に入った。




