うちに帰ろう
父上は認めてくれないけれど。
本当は私の身体には、私自身もまだ気付いていないほどの優れた才能が備わっていて、いまはまだ眠っているだけ。異界においてそれが花開き、……たくさんの人が私を認めてくれるのだ。私を尊敬するのだ、私を、愛してくれるのだ。異界にて強さを手に入れて、……それを持ち帰り、私は、魔皇女に相応しい人間となる。
それが、どうだ。レヴィルヴィアは境界線を超え鮒月まで来たところで、何一つ変わるところのない、無力な女でしかなかった。勇者の霊気を追って辿り着いた村で、はじめはそもそも一人の人間だって見付けることは出来なかったのだ。寒さと心細さに震えて、ぽっきりと心を折られて、膝を抱えてめそめそ泣いていることしか出来なかった。無能者は何処へ行っても変わらない。
彼女自身、妥当な努力をしてきたと胸を張って言うことが出来ないのだから当然の帰結として。
憎らしいことに、徹頭徹尾そのルールは守られた。レヴィルヴィアは魔法が得意にはならなかったし、父が認めてくれるにも至らなかった。のみならず、いまレヴィルヴィアは暁李たちを自分の世界に連れていったことを悔やんでいたし、父が自分を捨てたのだとこの上なくはっきりとした形で知る羽目になって。
それでも、レヴィルヴィアに手は差し伸べられた。
「いつまで泣いてるんだ」
少しく乱れて砂粒の付いた金髪に、大きな手が触れた。彼女が無能者であることを知り、その迷惑を存分に受けてなお、清継ではなくレヴィルヴィアに、わざわざ選んで触れる暁李だった。
「お母さんに『心配掛けない』って言ったばっかだろ」
彼の手には、チェルニィが大事に抱かれていた。
見上げた暁李の顔の輪郭が歪む。無様な顔を晒しているはずである。
「……ならなくていいとこでお揃いになったなあ」
暁李の声は温かかった。その声で、手のひらで、レヴィルヴィアの髪は優しく優しく撫でられる。
「お互い、親父に棄てられちゃったなあ」
と、途方に暮れた苦笑とともに。
レヴィルヴィアは事実に打たれたような思いだった。暁李は、父に二度棄てられたに等しいのだ。余計な痛苦を味わわせた女を暁李の腕は、寒さから守るように抱き締めた。
だって別に俺は不幸じゃないから。
暁李はそう思うのだ。あの男はもうとうに、俺の人生にはいなかった。お袋の死の真相、そんなものは、暁李が信じるか信じないかを決めればいいこと。もっと大事なのは、全員こうして無事に帰って来られてよかった。いや、「全員」にプラス一匹、レヴィルヴィアの大事な友達も一緒だ。ならば、何が足りないものか。
「……ごめんなさい」
小さな声で胸の中のおよめさんが絞り出す。「妾は……、妾は、そなたに……、そなたの恩に、報いなければならなかったのじゃ、……たくさん、たくさん、……たくさんのことを、妾に教えてくれたそなたに……」
ああ、そう言えば、そんなこと言ってたっけ……。いまこのときまで、暁李はすっかり忘れていたのである。勇者を打倒し彼女が父に見直された暁には、たくさんの褒美をもらえるんだっけか。忘れていたほどであるから、もうすっかりどうでもいい。
だって、生きて行くのだ。何があろうと、どんなに上手く行かなかろうと、結局のところ俺はこの世界で這いつくばって生きていくしかない。世界を変えることなんて出来ないし、替えることなんてもっと出来ない。それでも道を、自分なりの歩きかたで進んでいくことぐらいは出来るのである。
「ねえ、いまって何日?」
不安げな声で朝陽が言うのが聴こえた。
「ちゃんと……、三月十三日だよね……?」
そうでなかったらおおごとなのである。事前にバスの運休を伝えていた日程を超えてしまったとなっては……。清継は冷静に、ジーンズの左ポケットのスマートフォンを引っ張り出して、「……三月十三日、の午後四時半だって」と朝陽を安心させた上で、
「今夜眠れるかな」
と少し甘い苦笑とともに呟いた。それは、現実と日常を見据えた言葉だった。山と盛られたするべきことを並べて順にこなしていく以外に、「生きる」ための方法はない。そのためには、食事と睡眠が必要なのだ。
「買いもの行かなきゃ」
と言った清継に、「一旦家帰ってちゃんとあったかいカッコになるのが先っすよ」と尊が焦った声で言う。朝陽も寒そうである。
「ほら」
まだぐすぐす鼻を鳴らすレヴィルヴィアに促す。彼女の涙はなかなか止まらない。寒暖の差が大きいというのは、風邪をひくシンプルかつ重大なファクターとなりうる。暁李はレヴィルヴィアに風邪をひかせるわけにはいかなかった。
だって、鮒月へ、こうして一緒に帰ってきてしまったということは、明日からもレヴィルヴィアはこの世界で暮らすのである。
この世界で、自分たち同様、冷たい大地に踏ん張って、時おり膝を付いて、あるいは這いつくばってでも生きていかなければいけないのである。だとしたら、風邪をひいて寝込んでいる暇なんてない。健康で、元気で、出来れば笑顔でいてくれなければいけない。お前が幸せそうにしていればしているほど、俺は上手に不幸な面を晒していられる。本当はとても幸せなのに、人生を呪うふりをして生きていくことが出来るのだ。当たり前だろう、芯から不幸だと思っていたなら、「不幸なふり」をする余裕なんてない。
ようやく、涙の発作を抑えて、こっくりとレヴィルヴィアが頷いた。
「ヴィヴィ」
清継がすぐそばに屈んで、「今夜から、ごはん作るのお手伝いしてくれる?」と訊いた。
「……妾が……、ごはんを……?」
レヴィルヴィアはまだ鼻声である。不安げな表情を、清継が美しい笑顔で受け止める。
「大丈夫だよ、すぐに出来るようになる。チョコレートだけじゃなくて、いろんな料理を教えてあげるよ。上手に色々作れるようになったら、……『魔皇女ちゃんねる』で調理動画を配信すればいい」
清継を見上げるレヴィルヴィアの、イチゴジャム色の瞳に光が戻ったところ、暁李は後ろからでもはっきりと見た気がした。
朝陽が控えめにくしゃみをする。それこそ心臓が凍えそうな顔で尊が弟を後ろから抱擁した。
「うちに帰ろう」
促した暁李に、一度小さく、そして、二度目はしっかりと、レヴィルヴィアが頷いて立ち上がった。




