穢れ
とはいえ、事実である。
倫理らしきものに気を取られて見失いかけていたが、……父を喪った痛みなどという抽象的なものと、右腕を捥がれて感じた現実の痛みとを比べていいはずがなかった。清継が味わった苦痛、絶望、何らかの罪を犯したわけでもなく不当に身に浴びることになったものである。尊はその理不尽を怒る、……暁李だって、それは同じである。
「ああ」
息を深く吸い込んで、吐き出すときには、魔法の力を備え忘れてしまった男なのに、炎のような熱を帯びた。
「俺は、先輩が大好きだ。だから、……だから」
くい、くいくいと、肘を引っ張られる、何だと振り返れば、レヴィルヴィアが期待に満ちた目で自分自身のことを指差しているのだ。こういうところ、本当にこの少女はぽんこつであると思う。
しかし、振り払いはしない。
「……レヴィルヴィアのことも」
んむ、と満足げに呟く声が聴こえてきた。
「当然……、尊のことも、朝陽のことも。あんたがしたことで、俺の大事な人たちが、どんだけ傷んだか、……どんだけ苦しんだか。あんたはとっとと鮒月に戻って、あっちこっちに掛けた迷惑を誤って回れ! それで一生軽蔑され続けろ!」
「ひどい」
清継は笑ってくれた。どんな形であっても彼の微笑みを産むことができたなら上出来だし、
「ひっどいのう……」
レヴィルヴィアも一緒に笑わせられる言葉を思いつくことが出来たならなおよかった。
父などではない、息子などではない、断じて。
明確に「敵」である。親子の縁だ何だと言うことがあるとすれば、あのみっともなく恥ずかしい男を鮒月に連れ戻してからでも遅くはない。
少年勇者が自分の言葉で何らかの動揺を見せることを期待していたわけではなかった。それでも、かえって愉快そうに笑っている顔を見せられるとは思わなかった。
「そこの、ぽんこつ魔皇女」
「んなっ……!」
「……が、お前たちを連れてきたのか。姿が見えないとは思っていたんだ、おおかた何処かの漁村にでも逃げ込んでめそめそ泣き言を零しているのだろうと思っていたが」
「みっともない」
清継が言い放った。「いい歳こいたおっさんが、こんな小さな子に言うことか」
尊が振り返った。口調がいつもよりきついことはすぐ判る。
「馬鹿にしていると思ったのか? ……そう聴こえたのならば謝ろう。……なんでも世界の境界線を超えた転移や召喚というのは、魔法の力の溢れるこの世界でも限られた者しか使えないと聴いていたんでね。なるほど、腐っても魔皇女というわけなんだなあと、私は感心していたんだよ」
レヴィルヴィアがぽかんと口を開けた。その他の魔法の取り扱いについてはこれまで見てきた通りのぽんこつぶりであり、鮒月村の中における「移動」もあの通り少々覚束ないところがあった。しかるに、これはただの人間の感覚として暁李が思うところであるが、違う世界からやって来て、四人を連れてまたこの世界へやって来るという芸当は、……この城の兵士たちがやってみせた火の玉よりも遥かにスケールが大きいものであると評価すべきことなのかも知れない。
「違う」
清継は声で牙を剥く。
「ヴィヴィはぽんこつなんかじゃない」
暁李の右肘を掴むレヴィルヴィアの手に力が篭った。ごめん、と思う、……俺もお前のこと、何度「ぽんこつ」と思ったことか。恐らく尊も朝陽も反省したはずである。
「そう……、そう、そうか」
少年が笑った。そういう笑いかたを、こども時代の自分がしていたことを、暁李に思わせる。笑いで自分の感情を表現することに何らの躊躇いもない笑いかたであった。暁李の父であった男はもう既に、「こども」の形に慣れ切っているのだろう。
それでいながら、
「清継にとってその娘は、自分のこどもみたいなものなんだなぁ」
彼が発した言葉に、
「何か文句でもあるか」
抗うように返す清継の言葉は、少しこどもじみて響く。
勇者は玉座から立ち上がって、まだ愉快そうな笑いの余韻を楽しんでいた。
「いいや……、いいや。なら、それでいいじゃないか、あの小さな村で、君たちみんなで、幸せに過ごしていたらよかった。お互い困ることなんて何もなかっただろう」
「『それでいい』なら来ないよね」
勇者の言葉の尻に噛み付く勢いで清継が吠えた。「あんたはいつもそうだった。『それでいい』なんて全部が駄目になってから言え」
叱られている気になるのは寧ろ暁李のほうである。しょうがない、この人生で仕方ない、ずっとそう思って生きてきたのだから。
少年は「そうだな」と清継との会話に倦んだ表情を浮かべた。
「……しかし、お前たちは来るべきじゃなかった。そのせいで怪我をする、知りたくないことまで知ることになる」
言葉の後半に、憐憫のような響きが混じった。彼の目は、暁李に向いていた。
「当然、五体満足で帰るつもりでいるんだろう、……当然。でも、その魔皇女は恐らくお前たちにこういうことは言わなかったんじゃないのか」
微笑みが、温和なだけに癪に触る。
こどもという容器に草臥れた中年男の血が入り、時に彼はそのこどもとしての振る舞いに慣れた様子を見せ、しかし一転してどれほどその肌が若くとも歳を重ねたことで隠しきれない嫌味が漂わせた。
「さっきも伝えた通り、世界の境界線を超えた転移や召喚の魔法を使いこなすことが出来るのは限られた者だけ、……つまり、そこの魔皇女が傷を負って、魔法を使うことが出来なくなったら、……ことによっては、死ぬようなことがあったら、お前たちは鮒月には戻れなくなるということだ。そして」
レヴィルヴィアの身体に漲る緊張が一層高まったのが判った。それでも、
「四対一じゃぞ! おぬし一人でこの戦士たちに敵うと思ってか!」
まだ、凛々しく叫びを挙げを上げる。勇者はつまらなそうに玉座に座り直し、
「……お前たちが来たくて来たというだけだし、私はさっさと帰ってもらいたいんだ。私は鮒月に帰るつもりはない」
「あんたが」
清継の言葉はまた勇者の声を噛んだ。「あんたが、こっちにいる限り、ヴィヴィは苦しみ続けなければならない。だったらそれで十分だ」
さっきから、彼が何かを言うたびにレヴィルヴィアがぴくんぴくんと身を強張らせている。彼女はこんなふうに鋭い声を発する清継を、……パンツの色の一件で叱られたときを除けば一度も見たことがないはずである。
だが、付き合いの長い暁李も尊も、もちろん朝陽だって見たことはないのだ。浮かぶ感情は、何とも形容しがたい。嫉妬、と認めてしまうことが腹立たしかった。
恐らく、こういう類の感情を向けてしまう時点でもう、再び近くにいることが出来たとして、親子に戻ることはできないのではないか。
勇者は哀れみの目を再び暁李に向けた。
「暁李。お前とこういう形でまた会うことがあるとは思わなかった。尊くん、君もだ。朝陽くんはずいぶん大きくなった。しかし、私はそのことについて、何の感慨も抱かないし、……お前たちをこの世界から排除するためなら、何だってするよ」
変声期を迎えるまで間遠い、甘さすら感じさせる微笑みに一筋の哀しみが浮かぶ。彼は自身の言葉がもはや何の効果も持たないことに失望した気配もなく、暁李から離した視線を尊と朝陽に等分に送って、
「……お前たちに憎まれることだってやぶさかではない。いいや、もう既に、憎まれているのだとしたらなお一層……。こんな昔話をしてみるのもいいか……、暁李、お前の母さんの話だ」
「母さんの?」
あまりに唐突に思われたもので、うっかり、息子めいた声で反応してしまった。勇者は鷹揚に頷いた。自身の妻が暁李の母になってから、彼は一度も妻のことを名前で呼んだことはなかったはずだ。
「母さんが、何故死んだか、お前は知っているか?」
病気である。入院して、ほんの短い期間で悪化の一途を辿り、……あっけないほど簡単に逝ってしまった。最後の数日ほどは会うことも出来なかったから、いったいどれほど凄惨に見違えてしまったことだろうと覚悟を決めて対面した死に顔が、思いのほか柔らかくふくよかであったことが意外に思われた。
「母さんはな、……あのとき、お前の弟か妹を身ごもっていたんだよ」
知っている。それがどうした、という言葉を発するには、勇者の捉えどころのない顔が、得体の知れない不安で暁李の胸の内を乱す。
「いいや、……違う、違うよ。私のこどもではない」
彼の言葉の一つひとつで、暁李はあっけないほど狼狽えた。
「私がお前の母さんとそういうことをしたのは、……お前を作るときに、少しあったぐらいだからな。つまり」
彼の視線は、今度は尊に向いた。
尊は震えていた。
「母さんの、……私の妻のお腹にいたのは、暁李の弟であり、同時に」
その次の言葉に、暁李より先に至って、それを拒むように震えていた。
「尊くんの、朝陽くんの、弟か妹だった」
あはは、と勇者は笑った。確かに「あはは」と屈託のないこどもとして笑ったはずだ。どういうわけか、それは広く華々しく飾り立てられた謁見の間に、ひひひ、と響いた。悲しくひび割れた音のように聴こえた。
「あいつは……、佐原は、昔からそうなんだ。欲しいと思ったものは絶対に手に入れなきゃ気が済まない性分でな。私はずっと、あいつのおこぼれを、へいこらして頂戴するだけの立場さ。……もちろん佐原が頼子のことを好きでいたことは知っていた。私の人生において頼子だけが……、それまで手にしたあらゆるものが佐原の手垢に汚れていた私にとって、ただ、私だけのものになってくれたのだ、……ああ、そうだ、……だから私は、頼子が私の妻ではなく、私の種の母親となることにも不快を催さずにはいられなかった!」
身体のサイズには不似合いな玉座に腰掛けて、足をバタバタ踊らせる姿は無邪気なこども、こどもの声で高らかに笑って撒き散らす憎悪に満ちた言葉は草臥れきった壮年の男。
「しかし、ね。頼子は私への愛に殉じたんだ。自分が犯すこととなった汚らしい罪を、彼女はとてもとても悔やんだんだ、もう私に顔向けできないと。だから頼子は死んだ。自分で死ぬことを選んだのさ」
結論から言えば、直視に耐えぬというほどではなくとも、軽い吐き気を催させる姿だった。
「……私は鮒月にはもう帰らない、……帰るものか。しかし、お前たちは帰るんだよ、知りたくもなかっただろうろくでもないことを抱えて」
暁李はもう少し傷付くべきだったのだろうと考えながら、何より尊を慮ることを優先した。彼がどんな顔をしているのか、見ずとも、判り過ぎるほど判るのは、「友達」だから?
兄のしてきたことを呪い続けた尊が、……朝陽によってのうやく救われた尊が、こういうことを考えなかったはずがない、……俺にも同じ血が流れているんだ、と。
手の届かぬところにあるはずのものへ暴虐の腕を伸ばし、壊してでも手に入れなければ気が済まないという性分、人間としての温もりの欠如。村一番の権力者として君臨し、遠慮のない権勢を振るう父に、尊は庇護されて来た。兄がその性情によって清継を蹂躙する姿を、兄を庇うために父が強権を発動する姿を目の当たりにし、また父の放埓さゆえこそに存在しうる朝陽に出会った。いまここに存在する不幸の何もかもがお前の父のせいだと指弾されて、唱える異論を、弁護の反論を、尊は持たなかった。彼が父のもとを離れ朝陽と二人で生きることを選んだ理由について、ただの一度も彼から語らずとも察せないほど勘の鈍い暁李ではない。
「思えば、私は人の親になるべきではなかったんだろうなぁ。頼子が愛しすぎた、その愛を誰かに奪われるリスクを作った上に、誰かに害される隙を作るぐらいなら」
サディスティックな自己憐憫の溢れる言葉が中絶したのは、不意に朝陽が放りつけた光の弾丸のためだった。それは勇者の手によって彼に届く前に掻き消されてしまったが、
「うるさい」
次から次へ、「うるさい……、うるさい、うるさいうるさいうるさい!」言葉と光の弾丸を、朝陽が放り出していた。




