消された納品記録
工房の看板を掲げてから、五日が過ぎた。
音路修復工房には、朝からひっきりなしに依頼が届いた。欠けた水運び鉢、鳴らなくなった戸口の鈴、風の向きを知らせる小さな陶板。灯里は一つずつ手に取り、ひびの奥に残る記憶へ耳を澄ませた。
ソレンは隣で、修復に必要な道具や部品を帳面へ書き留めていた。彼は音を聞けない代わりに、机の振動と灯里の指の動きをよく見ている。二人の間では、いつの間にか言葉の少ないやり取りが増えていた。
その日の昼過ぎ、町役所の若い書記が工房へ駆け込んできた。
「旧街道の倉庫で、納品記録が見つかりました」
彼は息を切らし、封蝋のついた紙束を抱えていた。
「音路部品の記録です。風読み塔と市場の警告鈴に使われる部品が、いつ、どこへ運ばれたかが書かれているはずです」
灯里は立ち上がった。
「見つかった、ということは……」
「倉庫の整理をしていたら、壁の裏から出てきました。ですが、役所の帳簿と照合するには、現地の保管箱も調べなければなりません」
ソレンは若い書記の手元を見た。書記が封蝋を示すと、ソレンは首を横に振る。封は新しすぎる、と指で伝えた。
灯里も紙束を受け取った。表紙の端に指を置いた瞬間、かすかなざらつきが指先へ伝わった。紙が覚えているものは、音とは違う。だが、ひびと同じように、触れた場所に過去の痕跡を残している。
「この束、最近開かれています」
書記が目を見開く。
「分かるんですか?」
「糊の乾き方が違います。表紙は古いのに、背の部分だけ新しい。誰かが綴じ直した跡があります」
ソレンが柱を二度叩いた。
――倉庫へ行く。
旧街道の倉庫は、町の北端にあった。石造りの建物が三つ並び、かつては各地から届く部品が一時的に保管されていたという。今は使われていないらしく、扉には埃が積もっていた。
書記が鍵を回すと、錆びた蝶番が重そうに動いた。
中には空の木箱が積み上げられていた。壁際の棚には、古い荷札と割れた封印具が並んでいる。灯里は床を見回し、奥の壁に手を当てた。
冷たい石の向こうから、紙を引き裂く音が伝わってきた。
一度ではない。何度も、急いで破った音。
「ここです」
ソレンが棚を退かすと、壁と床の隙間に薄い木箱が押し込まれていた。蓋を開けると、中には納品記録の束が入っている。けれど、最初の数枚と最後の数枚がきれいに切り取られていた。
残った紙には、日付と品名だけが並んでいる。
雨音管、十二本。
風読み用の回転芯、四個。
警告鈴の共鳴板、八枚。
しかし、送り先の欄はすべて失われていた。
ソレンが紙の切断面を指さす。灯里はそこへ爪を添えた。
「切り取られたのは、かなり前です。でも、破ったのは最近」
切断面の繊維は黄ばんでいた。一方、残った紙の端には新しい粉が付着している。紙を束ね直したときに出たものだろう。
灯里は机の上へ記録を並べた。
「古い記録をいったん外し、送り先の部分だけ抜き取った。それから、別の紙を重ねて綴じ直したんです」
若い書記が震える声で言った。
「誰が、そんなことを……」
そのとき、倉庫の外で複数の足音が止まった。
扉が開き、灰色の外套を着た役所の役人たちが入ってくる。先頭の男が封印札を掲げた。
「中央役所の命令により、この倉庫と水城灯里の工房を封鎖する」
ソレンが一歩前へ出た。男は彼の胸元に残る巡回士の徽章を見て、薄く笑った。
「資格を失いたくなければ、余計な口出しはするな」
ソレンの手がわずかに動いた。怒りを抑えているのだと、灯里には分かった。
「なぜ工房まで封鎖するんですか」
「異邦人による無許可の修復が、町の音路を混乱させた疑いがある」
「市場の火災を防いだのも、風読み塔を動かしたのも、私です」
「だからこそ調査が必要なのだ」
役人は封印札を木箱へ貼りつけた。赤い蝋が押しつぶされる。
灯里は切り取られた記録の束を見た。空白になった送り先の欄が、まるで誰かの口を塞がれた跡のように並んでいる。
ここで手放してはいけない。
彼女は残った記録の一枚を袖の内へ滑り込ませた。紙の端が腕に触れた瞬間、また記憶が走る。
低い机。油の匂い。誰かが言った。
――リュネ分は、もう中央へ回せ。
声は途切れ、紙を裂く音が重なった。
灯里は顔を上げた。
ソレンがこちらを見ている。彼は声を聞けない。それでも、灯里の表情から何かを察したようだった。
灯里は掌を柱へ当て、指先で三度叩いた。
こつ、こつ、こつ。
――危険。
次に、二度。
――一緒に。
ソレンの目が細くなる。彼はゆっくりうなずいた。
倉庫の扉が閉められ、外側から錠が掛けられた。町へ戻る道の先では、役人たちが灯里の工房へ向かっている。
けれど、灯里の袖の中には、まだ一枚の記録が残っていた。
消された文字の向こうに、誰かが隠した行き先がある。
そしてその秘密は、二人がこれまで修復してきたすべてのひびへ、一本の線でつながっていた。




