公開審問の鐘
朝の鐘が、三度鳴った。
泥の残る広場に、中央監察局の馬車が止まっている。銀色の徽章をつけた監察官が二人、役所の書記官を連れて降りてきた。嵐のあとだというのに、その靴は汚れていなかった。
「監察官エルナ・ヴェイスです。中央役所の命により、リュネ音路停止事件の審問を行います」
彼女の声はよく通った。集まった住民の間に、低いざわめきが走る。
広場の中央には、急ごしらえの壇が設けられていた。その正面に、砕けた管や焼け焦げた振動板、泥のついた帳簿が並べられている。灯里は壇の脇に立ち、指先を握りしめた。
ソレンは彼女の隣にいた。巡回士の資格を示す徽章はもうない。それでも、彼の背筋はまっすぐだった。
「まず、中央役所からの報告を読み上げます」
書記官が紙を広げた。
「リュネの音路が停止した原因は、異世界由来の女、水城灯里が許可なく部品を改造したためであり、嵐による被害もその過失に起因する可能性が高い――」
「違う!」
誰かが叫んだ。
続いて、別の声が重なる。
「私たちは灯里さんが来る前から、音を失っていた!」
「部品が届かなかったんだ!」
「役所は何も調べなかった!」
監察官エルナは手を上げ、ざわめきを止めた。冷たい目が灯里へ向く。
「反論は証拠を示してからにしてください。あなたは異世界から来たと称し、正規の資格もありません。修復技術が本当に原因を取り除いたものか、中央としては確認が必要です」
「確認なら、もう済んでいます」
灯里は壇の上へ進んだ。
最初に、風読み塔から外した陶板を持ち上げる。削られた縁が、朝の光に露わになった。
「この部品は、風読み塔に使われるものです。こちらが本来の接続面。ここは工具で削られています。削ったあとに別の場所へ転用するため、固定用の溝まで消されていました」
「それが横流しの証拠だと?」
「いいえ。これは、横流しの手口を示す証拠です」
灯里は次に、焼けた管の断面を示した。
「同じ種類の陶管でも、焼成温度が違います。辺境向けに納められたものは、規格より薄く焼かれていました。音路に接続すれば、振動に耐えられず割れます。けれど、中央の帳簿には規格品として記録されている」
エルナの視線が帳簿へ落ちた。
灯里は帳簿を開き、切り取られた頁の端を指でなぞった。
「ここに残った紙の繊維は新しい。切り取られたのは、帳簿が作られてから一月以内です。ところが、裏に押された倉庫印は三年前のもの。納品記録を消すために、古い帳簿へ新しい紙を綴じたんです」
広場が静まり返った。
エルナは書記官に目配せした。書記官が帳簿を受け取り、虫眼鏡で断面を調べる。しばらくして、彼は小さくうなずいた。
「……繊維の状態は、証言と一致します」
「証言は、まだあります」
ミナが前へ出た。泥の跡が残る作業着のまま、胸を張っている。
「私は旧街道の倉庫で、荷車を見ました。リュネ宛ての箱が、夜中に別の印をつけられて運び出されていた」
「いつのことですか」
「音路が止まる前です。月に二度。三度目の夜、私の弟が役所の男に追い払われました」
続いてパン屋の主人が進み出た。
「警告鈴が鳴らなかったせいで、火事に気づくのが遅れました。損失の記録はここにあります」
船頭は水路の異常を記した板を差し出し、子どもたちは管を叩いた日と回数を描いた布を広げた。ひとりひとりの証言は小さかった。だが、並べられた瞬間、それらはひとつの道筋になった。
「最後に、音路の稼働記録を」
ソレンが合図を送る。
広場の振動板が、一度鳴った。
北門から、返事が届く。
二度目の振動は市場へ渡り、三度目は南の水路へ流れた。誰かが記録紙へ時刻を書き込む。嵐の夜、灯里たちが手でつないだ音路が、今も生きていることを示すためだった。
「嵐の警告が伝わった時刻は、中央の報告書に記された時刻と違います」
ソレンが手話で示し、灯里が言葉にした。
「報告書では、警告は鳴らなかったことになっている。でも実際には、北門から南の水路まで、五回の信号が伝わった。住民が記録した時刻と、管の振動板に残った釉薬の熱変化が一致しています」
監察官エルナは、壇上の部品を一つずつ見ていった。
「この記録を、誰が改ざんしていないと保証できますか」
「私たち全員です」
ミナが答えた。
その声に、住民たちが続いた。
「私も」
「私も見た」
「私が書いた」
「私が叩いた」
広場を埋める声は、役所の鐘よりも大きかった。
そのとき、馬車の陰からヴァルドが現れた。以前の整った外套は泥で汚れ、顔には疲労がにじんでいる。
「こんな寄せ集めの証言で、中央の役人を裁くつもりか!」
彼は帳簿へ手を伸ばした。だが、ソレンが一歩前へ出て、その手首をつかんだ。
「触れるな」
声は静かだった。
ヴァルドが振り払おうとした瞬間、広場の振動板が鳴った。三度、短く。
北門からの返事が届く。
灯里はヴァルドを見た。
「それは、あなたが止めたはずの音です」
ヴァルドの顔から血の気が引いた。
エルナが帳簿を閉じた。
「ヴァルド地方音路管理官。あなたには、納品記録の改ざん、資材の不正転送、ならびに虚偽報告の疑いがあります。身柄を中央審査院へ移します」
「待て! 中央の命令だった! 私ひとりの判断ではない!」
その叫びに、広場の空気が変わった。
灯里は修復した陶板を見つめた。ひびは消えていない。けれど、ひびの両側は、もう離れていなかった。
「なら、中央で全部話してください」
エルナがうなずく。
書記官が審問記録の最後に筆を置いた。
その直後、役所の鐘が鳴った。
今度は、誰かに命じられた鐘ではなかった。北門、市場、南の水路、そして広場。町じゅうの振動板が同時に震え、鐘の音を押し上げていく。
公開審問の鐘は、罪を告げるためだけに鳴ったのではない。
沈黙させられていた町が、自分の声を取り戻したことを、遠くまで知らせるために鳴ったのだった。




