↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
雨音を継ぐ異邦人、沈黙の町であなたと暮らす  作者: 銀細工ナギ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
16/20

手でつなぐ音路

 最後の管は、北の斜面へ続く細い路地の先にあった。


 灯里が駆けつけると、溝は半分しか掘られていなかった。雨の匂いを含んだ風が吹き抜け、土壁の向こうで小石が絶えず転がっている。ミナたちが鍬を振るっていたが、地面はすでに湿り、掘ったそばから崩れ始めていた。


「ここを通せば、北門から市場までつながります」


 灯里は最後の陶管を抱えた。管の片端には青い釉薬で固めた振動板がついている。もう片方には、町の中央へ向かう管が接続されるはずだった。


 けれど、接続所の石枠が崩れている。


 ソレンが地面に手をついた。雷の光が彼の横顔を白く照らした。彼は目を閉じ、指先へ意識を集中させる。


――三歩、右。下に空洞がある。


 灯里は示された場所を踏みしめた。土の下から、かすかな返りがあった。そこに古い管が埋まっている。


「掘り出します」


 ミナが鍬を差し込んだ。ガドがその隣に並び、濡れた土を手でかき分ける。やがて、泥にまみれた陶管の端が現れた。割れてはいない。だが、接続口が役所の工具で削られていた。


 灯里は持っていた破片を取り出した。風読み塔から外した小さな陶板だった。寸法は合わない。それでも、ひびの走り方を聞けば、どこに力を逃がせばよいか分かる。


 灯里は指先で管の縁をなぞった。


 ひびの奥から、低い震えが返る。削られた部分は弱い。そこへ直接つなげば、最初の衝撃で砕ける。少し離れた場所に陶板を添え、釉薬で橋をかける必要があった。


「ミナ、布を。ガドさんは細い針金をください」


 二人が走る間、ソレンが灯里の肩を叩いた。


――山。


 彼は上を指した。


 斜面の闇から、轟音が迫っていた。水が土を押し流す音。地鳴りは先ほどより近く、足の裏まで震わせている。


「あと少しです」


 灯里は答えた。声が震えそうになるのを、唇を噛んで抑えた。


 布を細く裂き、陶板を管へ固定する。針金を巻き、青い釉薬をその上から塗った。雨粒が落ち始め、釉薬の表面で小さく弾けた。


 灯里は工具を置き、接続部へ手のひらを当てた。


 遠くで誰かが合図を送った。


 市場の振動板から、三度。


 灯里の手に、弱い震えが届いた。


 次はここだ。彼女は管を三度叩いた。


 一度目は土に吸われた。二度目はひびの奥で途切れた。三度目、青い釉薬がかすかに光り、斜面の向こうへ震えが走った。


 しばらくして、返事が来た。


 北門から四度。


 ソレンが顔を上げる。


――届いた。


 灯里の胸に、熱いものが広がった。


 しかし、合図はまだ終わらなかった。決められた警告は五回だ。北の斜面が崩れる危険を伝えるため、五度の連打を町じゅうへ渡す。


 灯里が振動板を叩こうとした瞬間、山の上で何かが裂けた。


 轟音とともに、泥水が斜面を下り始めた。


「来ます!」


 ガドが叫ぶ。聞こえないはずのソレンにも、その口の動きと地面の震えで状況は伝わった。彼は灯里の背中を押し、接続所から離れようとした。


 灯里は動かなかった。


 ここで合図を送らなければ、南側の住民には届かない。


 ソレンが戻り、彼女の腕をつかむ。灯里は首を振り、振動板へ手を伸ばした。


「あと五回だけ!」


 ソレンは彼女の目を見た。怒りとも恐怖ともつかない表情が浮かぶ。それでも彼は手を放さなかった。


 灯里は彼の手を振動板へ重ねた。


「一緒に」


 二人で叩いた。


 一度。


 青い釉薬が脈打つ。


 二度。


 北門から返事が来る。


 三度。


 市場の向こうで、子どもたちが同じ回数を繰り返す。


 四度。


 広場の管が震え、パン屋の壁が小さく鳴った。


 五度。


 町全体が、ひとつの大きな器のように震えた。


 次の瞬間、遠くで鐘が鳴った。


 止められたはずの市場の警告鈴が、手動の振動を受けて揺れたのだ。鐘の音は嵐の風に削られながらも、確かに町へ広がった。


 住民たちが戸を開け、互いに合図を叫ぶ。子どもを高台へ運ぶ者、家畜を囲いへ移す者、南の水路を開ける者。灯里がすべてを見届ける前に、泥水が路地の入口へ流れ込んできた。


 ソレンが彼女を引き寄せた。二人は崩れかけた石壁の陰へ身を寄せる。


 水は足元を走り、さっきまで灯里が立っていた場所を覆った。けれど、管は流されなかった。青い釉薬の接続部が、泥の中で淡く光っている。


 灯里は濡れた手で、それを確かめた。


「つながっています」


 ソレンは彼女の手を握った。指先から伝わる震えは、恐怖だけではなかった。地面を渡った警告の振動と、無事に届いたという喜びが混じっていた。


――町も、つながっている。


 彼はそう手のひらへ書いた。


 灯里はその文字を指でなぞり返す。


「はい。誰か一人が音を出すんじゃなくて、みんなで伝えたんです」


 雨が激しくなった。屋根を叩く音、濁流の音、遠くで鳴る鐘の音。そのすべてが重なり、町を包んでいく。


 夜明けまで、住民たちは交代で管を叩き続けた。


 警告は何度も伝わり、北の斜面が崩れたことも、南の橋が危ういことも、互いに知らせ合うことができた。被害は出た。畑の一部は流され、倉庫の壁も崩れた。それでも、人が取り残されることはなかった。


 嵐が過ぎた朝、雲の切れ間から薄い光が差し込んだ。


 泥にまみれた広場で、灯里は町の人々と顔を見合わせた。誰もが疲れ切っていたが、音路の各所からはまだ小さな振動が返ってくる。


 ソレンが灯里の隣に立つ。


――次は、手でつないだこの音路を、誰にも奪わせない。


 灯里はうなずいた。


「そのために、中央へ行きましょう」


 遠くから、朝の鐘が鳴った。


 それは役所の鐘ではなかった。町の人々が自分たちの手で鳴らした、最初の鐘だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。