第2話 火のレシピ
強撃を習得した。
その事実を、
セイルはしばらく受け入れられなかった。
裏庭の土の上に座り込んだまま、
何度も自分の手を見つめる。
「……本当に、できた」
剣を振る。
——ドンッ。
空気が震える。
もう一度。
——ドンッ。
間違いない。
バルトが見せた強撃と、
同じものだった。
「……」
胸の奥が熱くなる。
けれど、
同時に別の疑問が浮かんだ。
『スキル“ファイアー”を確認』
あの声は、
確かにそう言っていた。
強撃だけじゃない。
リリスが見せた魔法も、
レシピとして取得できるのだとしたら。
「……まさか」
セイルは、
小さく息を呑んだ。
⸻
翌朝。
セイルは、誰よりも早く起きた。
家の裏にある古い薪置き場。
そこには、
火起こし用の小さな枝と、
使い古された火打ち石が置かれている。
「……試すだけだ」
自分に言い聞かせる。
昨日のことが、
偶然だった可能性もある。
強撃だけが特別だった可能性もある。
けれど。
試さなければ、
何も分からない。
セイルは、
目を閉じた。
頭の中で、
昨日の声を思い出す。
リリスの掌に灯った、
小さな炎。
その瞬間に響いた言葉。
『スキル“ファイアー”を確認』
『レシピを取得しますか?』
セイルは、
心の中で呟いた。
(ファイアーのレシピを……)
その瞬間。
⸻
『ファイアーのレシピを表示します』
⸻
声が響いた。
セイルの背筋が伸びる。
「……出た」
続けて、
頭の中に内容が流れ込んでくる。
⸻
『火種に魔力を流し、着火を100回成功させてください』
⸻
「……また100回かよ」
思わず声が出た。
素振り100回の次は、
着火100回。
単純といえば単純だ。
だが、
問題がある。
「魔力を流すって……どうやるんだ」
セイルは、
魔法を使ったことがない。
そもそも、
自分に魔力があるのかすら分からない。
それでも、
レシピは表示された。
なら、
できるはずだ。
少なくとも、
このスキルはそう言っている。
⸻
セイルは、
小枝を数本並べた。
火打ち石を手に取る。
まずは普通に火花を散らす。
カチッ。
小さな火花が飛ぶ。
火はつかない。
「……魔力」
セイルは、
手のひらを小枝に向ける。
リリスの姿を思い出す。
彼女は、
ただ掌を向けていた。
そして、
小さく呟いた。
「ファイアー」
セイルも真似をする。
「……ファイアー」
何も起きない。
「……まあ、そうだよな」
簡単に出るなら、
魔法使いは苦労しない。
セイルは、
もう一度火打ち石を打った。
火花が散る。
その瞬間、
手のひらの奥に、
わずかな熱を感じた。
「……今の」
火はつかなかった。
だが、
何かが動いた気がした。
セイルは息を整える。
火花。
小枝。
手のひらの熱。
それを合わせる。
「もう一回」
カチッ。
火花が飛ぶ。
「……っ」
熱を押し出すように、
手を伸ばす。
小枝の先が、
ほんの一瞬だけ赤くなった。
すぐに消える。
だが。
「……ついた?」
いや、
ついてはいない。
でも、
近づいた。
セイルの心臓が強く鳴った。
⸻
十回。
失敗。
二十回。
指先が熱い。
三十回。
火花だけが散る。
四十回。
小枝の先が焦げた。
五十回。
小さな煙が上がった。
「……いける」
セイルは、
額の汗を拭った。
強撃とは違う疲れだった。
腕ではない。
体の奥が、
じわじわ削られるような感覚。
これが魔力なのかもしれない。
「……もう少し」
六十回。
七十回。
八十回。
途中で何度も失敗した。
焦げるだけ。
煙だけ。
火花だけ。
それでも、
一度感覚を掴むと、
少しずつ成功に近づいていく。
九十回目。
小さな火が灯った。
「……!」
セイルは思わず身を乗り出す。
火はすぐに消えた。
だが、
確かに灯った。
「今のは成功だろ」
誰もいない薪置き場で、
セイルは小さく笑った。
九十一。
九十二。
九十三。
火は、
少しずつ安定していく。
九十九。
そして。
百回目。
小枝の先に、
小さな炎が灯った。
それは、
リリスの炎よりも弱く、
頼りないものだった。
けれど、
間違いなく火だった。
「……できた」
その瞬間。
⸻
『ファイアーを習得しました』
⸻
声が響いた。
セイルは、
しばらく動けなかった。
「……本当に」
剣だけじゃない。
魔法も。
セイルは震える手を前に出す。
昨日のリリスのように、
掌を上に向けた。
「ファイアー」
小さな炎が灯る。
掌の上で、
ゆらりと揺れた。
すぐに消えそうな、
頼りない炎。
だが。
確かに、
自分の力だった。
「……出た」
声が震える。
「出た……!」
嬉しさが、
一気に胸の奥から込み上げた。
冒険者になれないと言われた。
役に立たないスキルだと笑われた。
それでも。
この力は、
確かに前へ進む方法を示している。
⸻
その時だった。
「お兄ちゃん?」
背後から声がした。
セイルは慌てて手を引っ込める。
振り返ると、
眠そうな目をこすりながら、
エルナが立っていた。
「こんな朝早くに、何してるの?」
「……火起こしの練習」
「火起こし?」
エルナは首をかしげる。
セイルは、
少し迷ってから、
小さな枝を一本手に取った。
「エルナ」
「なあに?」
「誰にも言うなよ」
「うん?」
セイルは掌を向ける。
息を吸う。
「ファイアー」
小さな炎が、
ぽっと灯った。
エルナの目が、
丸くなる。
「……え?」
炎はすぐに消えた。
だが、
エルナはしばらく固まっていた。
そして次の瞬間。
「お兄ちゃん、魔法使えたの!?」
「声が大きい」
セイルは慌てて口元に指を立てる。
エルナは両手で自分の口を押さえた。
でも、
目はきらきらしていた。
「すごい……!」
小さな声で、
それでも全力で言う。
「お兄ちゃん、すごい!」
その言葉に、
セイルは胸の奥が少し熱くなった。
昨日、
バルトの強撃を見た時の悔しさ。
リリスのファイアーを見た時の羨ましさ。
全部が、
少しだけ形を変える。
「……まだ弱いよ」
セイルは言った。
「火も小さいし、すぐ消える」
「でも、できたんでしょ?」
エルナは迷いなく言った。
「なら、すごいよ」
セイルは、
返す言葉を失った。
できた。
それだけで、
嬉しそうにしてくれる人がいる。
それが、
こんなにも心強いとは思わなかった。
⸻
その日の昼。
セイルは、
畑仕事をしながら考えていた。
強撃。
ファイアー。
どちらも、
見ただけでレシピが現れた。
そして、
指定された手順をこなせば、
習得できた。
ただし、
楽ではない。
全力の素振り100回。
魔力を流して着火100回。
簡単なようで、
簡単ではない。
それでも。
努力すれば、
確実に届く。
「……」
セイルは、
鍬を握る手に力を込めた。
もし、
もっと多くのスキルを見たら。
もし、
もっと強いスキルを見たら。
このスキルは、
どこまで連れていってくれるのだろう。
「スキルレシピ……」
最弱と呼ばれたスキル。
けれど、
それはもしかすると。
誰よりも遠くへ行くための、
可能性なのかもしれない。




