理(ことわり)
「でも、広まらないの」
その言葉が、やけに静かに響く。
「なぜなんでしょうか?」
俺は問いを重ねる。
アガヅマは、少しだけ間を置いた。
「それを考えるのも、我らの使命の一つなんだよ」
静かな声。
答えになっているようで、なっていない。
けれど――逃げていない言い方だった。
「……そうか。じゃあ、なんで石積みなんかさせたんでしょうか?」
さらに踏み込む。
女が、ほんの少しだけ視線を落とす。
「それには事情があってね」
アガヅマが引き取る。
「その頃は、子供の死亡率があまりに高かった。転生の流れが、処理しきれなくなりかけていたんだ」
流れ。処理。詰まり。そういう事か……。
「そこで、一時的に“滞留”させる仕組みを作った」
石を積む。
繰り返す。
時間を稼ぐための、単純な動作。
俺は、無意識に息を吸う。
あの話の裏側が、少しだけ形になる。
「……そんな事情があったんですね」
言葉にすると、妙に軽く聞こえた。
「それで……早々に撤回されたって、転生処理はスムーズに行ったんですか?」
一歩、踏み込む。
アガヅマは、ほんの少しだけ考える素振りを見せた。
「……まぁいいだろう。教えてやろう」
静かに、線を越えるような声。
「この世界はな、いくつもの並行世界の集合体で成り立っている。これは分かるか?」
並行世界。
頭の中に、見慣れたイメージが浮かぶ。
「あの……ラノベやアニメに出てくる異世界みたいなものですか?」
「そうだ」
短い肯定。
「地獄1.0以前までは、転生はこの世界線だけで繰り返されていた」
一本の線。
そこに、すべてが流れ込む。
「だが、それでは処理しきれなくなった」
一拍。
「そこで、他の並行世界と接続した」
アガヅマの指が、空中に見えない線を引く。
一本が、枝分かれしていく。
「転生先を分散させたんだ。別の世界、別の条件、別の時間軸へ」
詰まりが、ほどけていくイメージ。
「それで、流れが回復した」
教官が、低く補足する。
「要は、出口を増やしたってことだ」
シンプルな言葉。
けれど、その裏にある規模が、想像できない。
俺はしばらく何も言えなかった。
「あのさ。私、良い事……思いついたんだけど、この子に、賽の河原の広報任してみない?」
俺は思わず顔を上げる。
ちょっと待て。何を言い出す。
アガヅマが低く問う。
「なぜだ?」
女は肩をすくめ、軽く笑った。
「だって、賽の河原の件って、あんまり聞いてくる子いないじゃない。それがよ。初日に聞いてきて、しかも転生の件まで聞きだすんだから」
その言葉が、じわりと空気を変える。
アガヅマは腕を組み、沈黙する。考えている。深く、ゆっくりと。
やがて視線が俺に向いた。
「おい。何かアイデアはあるか?」
その目は、冗談を許さない色をしていた。
喉が少し乾く。だが、口は勝手に動いた。
「動画配信者にリークするのは?」
間髪入れずに切り捨てられる。
「却下だ。誰が信じる」
続ける。
「仏教が出所なので、仏教関係者にリークするのは?」
女は首を横に振った。
「それは、もうかなりやってるわ。でもね。広がらないの」
一度広がったものは、もう広がらない。
そんな妙な理屈が、ここでは通用するらしい。
俺は考える。
そして、ふと顔を上げた。
ちょっと待てよ。
もし、これが“現実”じゃなかったら。
フィクションだと……どうだ?
「あの……、小説家にリークするのは?」
言った瞬間、空気が止まった。
全員の視線が、ゆっくりとこちらに集まる。
時間が、ほんの一拍だけ遅れる。
アガヅマが目を細めた。
「小説家か……、つまり架空のお話として広げさせるということか」
低い声が、静かに響く。
その言葉は、どこか遠くで転がる石のように重かった。
俺はうなずく。
「そうです。フィクションなら抵抗がないし、こっちの話のほうが救いがあるとなったら、広がる可能性だってある」
自分でも驚くほど、言葉はすらすら出た。
沈黙。
誰も口を開かない。
ただ、考えている。測っている。
この案が、世界を揺らすだけの力を持つかどうかを。
やがて
アガヅマが、小さく息を吐いた。
「そうか……、わかった。それで動いてみよう」
その一言で、何かが決まった。
見えない歯車が、音もなく回り始める。
……
「じゃあ、研修は一度終わりにして、早速仕事を始めよう」
アガヅマの声が、区切りをつけるように落ちた。
空気が一段、引き締まる。
ーーおいおい。初日から大役すぎないか。
そう思ったが、口には出せない。
この場の流れは、もう止まらない。
俺は慎重に問いを投げる。
「しかし、こんな題材を小説にしてくれる作家はいるのでしょうか?」
アガヅマはわずかに視線を上げた。
「わからない。ただ私たちは小説家に夢やなにかの疑問、前兆という形でアプローチするだけだ」
淡々とした口調。
だが、その裏にあるやり方は、どこか侵食的だった。
女が横から口を挟む。
「でも、そうだとしても、ある程度の選別は必要よ。ずっと同じ作品を書き続けている人に、この案件を持っていっても、受け付けてくれないわ」
確かに、と思う。
変化を拒む者に、異物は入らない。
俺は少しだけ身を乗り出した。
「あの……、アイデアを渇望している小説家だとどうでしょうか?」
言葉が、静かに広がる。
アガヅマが小さく息をついた。
「そうか……、アイデアを渇望しているなら、受け入れてくれるかもしれんな」
その声は、納得に近い響きを帯びていた。
一拍。
「早速頼めるか?」
アガヅマは教官へと視線を送る。
教官は短く頷き、そのまま迷いなく指示を飛ばした。
気づけば、どこからともなく十人ほどの亡者が集まり、無言のまま輪を作る。
プロジェクトチーム。
その言葉が頭に浮かんだ瞬間には、もう役割分担が終わっていた。
そして一時間後。
作業は始まっていた。
早すぎる。
俺はただ、呆然とそれを見ていた。




