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平等と個性

「制服と面を支給してやってくれ」


アガヅマの声。


女は軽くうなずき、部屋を出ていった。ヒールの音が遠ざかり、また静寂が戻る。


数分後、扉が開く。


戻ってきた女の手には、黒い一式があった。


ブラックスーツ。白いシャツ。黒のネクタイ。

そして――鬼の面。


光沢のない白地に、歪んだ角と、笑っているのか怒っているのか分からない表情。


「それに着替えてくれ」


軽く言う。


俺は、無意識に手を伸ばす。


そのとき。


「ロッカールームは隣にある。空いているロッカーに私物を入れ、鍵をかけろ。そして鍵は腕にはめろ」


アガヅマの声が、背中に刺さる。


振り返ると、もうこちらを見ていない。


俺は黙って頷き、扉へ向かう。


ドアを開ける。


外は、何もない廊下だった。


白い壁。均一な照明。音が吸い込まれるような静けさ。


どちらへ行けばいいのか分からないまま、足を踏み出す。


靴音だけが、やけに響く。


「ここよ」


背後から、女の声。


振り返ると、いつの間にか少し先に立っていた。


指差す先。


――ロッカールーム。


俺は一度だけノックをして、ドアを押し開けた。


中は、やはり無機質だった。


規則正しく並ぶロッカー。金属の鈍い光。どこかで見たことのある光景――公営プールの更衣室に似ている。


扉には、鍵と一体になったラバー製の腕輪がぶら下がっていた。


なるほど。


鍵を紛失させない仕組みか、とぼんやり思う。


俺は視線を泳がせながら、入口から少し離れた場所を選ぶ。できるだけ、死角になる位置。


無意識に、そうしていた。


ロッカーを開ける。


中は空だ。


何もない。


それだけで、少しだけ息が抜ける。


「……いちいち警戒してしまう」


小さく呟く。


誰もいないのに、声だけがやけに響いた。


服を脱ぐ。


冷たい空気が肌に触れる。現実感が、少しだけ強まる。


黒いスーツに触れる。


布の感触が妙に滑らかだ。軽いのに、どこか重みがある。


ラベルがない。


洗濯表示もない。


何も、書かれていない。


そんな服、初めてだった。


白いシャツに袖を通す。


布が、すっと腕に沿う。引っかかりも、違和感もない。


ボタンを留めるたびに、身体に吸い付くように形が整っていく。


――妙に、気持ちいい。


今まで着たどのシャツよりも、しっくりくる。


その上から、ブラックスーツを羽織る。


肩に乗せた瞬間、重さが消えた。軽いのに、確かな存在感だけが残る。


腕を動かす。背筋を伸ばす。


どこにも無理がない。


まるで、最初から俺のために仕立てられていたみたいに、ぴたりと合う。


……なんでだ。


胸の奥で、じわりと違和感が広がる。


採寸なんてしていない。


それなのに、この完璧さ。


心地よさの裏側に、うすく冷たいものが混じる。


気持ちいいのに――どこか、気味が悪い。



手の上に残ったのは、あの鬼の面だけだった。


紐もない。留め具もない。


俺は一瞬ためらってから、ロッカーの金属にぼんやり映る自分へ、面をあててみる。


その瞬間だった。


じわ、と光る。


次の瞬間には、面が顔に吸い付いていた。


――外れない。


指で引こうとしても、びくともしない。皮膚と一体化したみたいに、境界が分からない。


呼吸が浅くなる。


得体の知れない恐怖が、胸の奥から一気にせり上がってきた。


俺はロッカーの扉を乱暴に閉め、鍵をかけると、そのまま廊下へ飛び出す。


足音が、やけに大きく響く。


その先に、アガヅマが立っていた。


「面が……離れないんです」


思わずすがるように言う。


隣で、女がくすくすと笑う。


「大丈夫よぉ。就業時間が終われば、取れるから」


軽い口調。


安心させるようで、どこか他人事だ。


女は自分の面を持ち上げると、そのまま顔へと押し当てた。


同じように、光る。


そして、ぴたりと吸い付く。


何事もなかったかのように、そこに収まった。


アガヅマも、無言のまま面を手に取る。


そのまま顔に当てると、同じように光り、ぴたりと吸い付いた。


三人とも、同じ顔になる。


ふと気づく。


――スーツも、同じだ。


黒の質感。白いシャツの光り方。ネクタイの締まり具合まで、寸分違わない。


個性が、削ぎ落とされていく。


「……同じ面で、同じスーツなんですか?」


確かめるように、声を出す。


アガヅマは、面越しにこちらを見た。


「男女でデザインの差は多少あるが、基本は同じだ」


淡々とした答え。


その言葉が落ちた瞬間、三人の輪郭が、さらに曖昧になる。


誰が誰なのか。


見た目では、もう分からない。


ただ、同じ形の何かが、そこに立っているだけだった。

「これじゃあ……誰が誰だか、わからないですね」


自分の声が、面の内側で少しだけくぐもる。


「ここは学校じゃない。誰が誰だと分かる必要はない」


アガヅマの声は、変わらず冷たい。


輪郭のない顔で、まっすぐに言い切る。


「とはいえね。長く一緒にいると、わかるようになるものよ」


女が、軽く肩をすくめる。


同じ面のままなのに、不思議と“彼女”だと分かる。


仕草か、声か、それとも空気か。


理由は分からない。


俺は、その場に立ったまま、ぼんやりとしていた。


個性の時代だと、何度も聞かされてきた。


自分らしさを大事にしろと、言われ続けてきた。


だから、それなりに守ってきたつもりだった。


けれど――


会社に入った瞬間、それは音もなく剥ぎ取られる。


黒いスーツと、同じ面。


代わりに与えられたのは、形の揃った“役割”だけだった。


……

二人に挟まれるようにして、俺は扉の前に立っていた。


金属のプレートに刻まれた文字。

――地獄三六九区画。


現実味のない単語が、やけにくっきりと目に入る。


「ここがお前の職場だ」


アガヅマの声。


俺は小さく頷く。


取っ手に手がかかり、扉が開く。


その先に広がっていたのは――外だった。


まっすぐに伸びた道路。無駄なく刈り揃えられた芝生。

同じ形の建物が、等間隔に並んでいる。


風は穏やかで、音がない。


人の気配も、生活の匂いもない。


ただ、小鳥の声だけが、やけに澄んで響いていた。


拍子抜けするほど、整っている。


ここが――地獄?


「……これが地獄なんですか?」


俺は思わず口にする。



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