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完全な黒

「君は好奇心が強いようだ」


アガヅマが、かすかに苦笑した。

「すみません」


言葉が落ちる前に、アガヅマの手が静かにそれを遮った。

空気を切るような、やわらかい動き。


「いや。興味を持つことは悪い事ではない。隠す方に無理があるのだよ」


その声には、わずかな疲れが混じっていた。


アガヅマは口を閉じる。

考えているのか、それとも思い出しているのか。

沈黙が、じわりと広がる。


「……考えたこともなかったが」


ぽつり。


「善悪というよりも、理を壊す行動か、否かというところが大きいのかもしれないな」


言葉は静かだったが、重さだけが残る。


俺はその意味を掴みきれないまま、問いを重ねる。

「完全なる黒……、それは一体」


アガヅマは腕を組み、ゆっくりと教官へ視線を送った。


その合図を受けるように、教官が振り返る。


「一八三九番、こちらに来い」


無機質な指示が響く。


ざわり、と空気が揺れた気がした。


一人の亡者が席を立つ。

足音はほとんどしないのに、存在だけが近づいてくる。


こちらへ向かってくるその額には、黄色い札。

そこに紅く、はっきりとーー


一八三九、と書かれていた。

「お呼びでしょうか。教官殿」


低く整った声。

振り返った一八三九番は、手を後ろで組み、微動だにしない。

その立ち姿は、どこか軍隊じみていた。


「お前の罪を詳しく語れ」


教官の声が、無機質に響く。


「私は、五人殺めました」


淡々と。

感情の欠片もない。


「なぜやった?」


「強盗に入り、見つかりましたので」


言葉が、乾いたまま転がる。


「なぜ強盗に入った」


「借金の返済のためです」


「なぜ借金が出来た」


「博打です」


短い応答が、規則正しく続く。

まるで、最初から決められた問答のように。


一拍。


「よし、持ち場に戻れ」


命令が下ると、一八三九番は一切の迷いなく踵を返した。

音のない足取りで、元の位置へと戻っていく。


「割と多いのが、このようなタイプです」


教官の声が、静かに空間へ広がる。


俺は何も言えないまま、ただその流れを見ていた。

亡者とは、あぁいうタイプが多いのか。


その疑問が、そのまま口をついて出た。

「あぁいうタイプばかりなのですか?」


教官は間を置かずに答える。

「八割がたはそうだ」


乾いた数字。

だが、その裏にある重さが、じわりと胸に沈む。


「他の二割は……」


俺は、わずかな例外に手を伸ばす。


「快楽のため……」


アガヅマの声。


空気が少しだけ冷える。


「君の知りたいのは、本来地獄に来る必要がなかったものが来るケースはあるのかじゃないの?」


女の言葉が、まっすぐに突き刺さる。


「……そうかもしれません」


自分の考えを見透かされて、俺は小さく頷いた。


教官が、わずかに息を吐く。

「情状酌量の余地があるようなものは、極まれだ。しかも、すぐに出ていく。この空間にはおらん」


その声には、ほんのわずかに、感情が滲んでいた。

怒りに似た、しかしそれだけではない何か。


俺はその温度を感じ取りながら、言葉を失う。

ここには、迷いの余地がほとんど存在しない。

「ここまで来るのに、やはり変更は沢山あったのですか?」


自分でも答えは見えている。

それでも、あえて聞いた。


「あぁ、沢山あったよ」


アガヅマは、視線を遠くへ滑らせる。

過去をなぞるように。


「彼、そういう歴史的なモノも知りたいんじゃない?」


女の声が、軽く差し込む。

俺は小さく頷いた。


一拍、間を置く。


「……血の池地獄はどうなっているのですか?」


その名を出した瞬間、空気がわずかに揺れた気がした。


「あれはもう廃止された」


アガヅマは、あっさりと言う。


「え」


思わず、声が漏れる。


女が肩をすくめる。

「あそこは、もともと性欲に溺れたり、異性をかどわかして苦しめた者が落ちる地獄なのよ。なんで廃止されたと思う?」


試すような視線。


俺は少しだけ考え込む。

答えは、どれも現実味がある。


「……定員オーバーとか?」


言った瞬間、自分でも苦笑しそうになる。


だが、その冗談めいた答えが、やけにこの場所には似合っていた。


「そう。昔より貞操観念が少ないし、異性をかどわかして苦しめたとか、この基準が難しいからねぇ」


女は首を傾ける。

軽い調子のはずなのに、どこか重い。


「……しかし悪い男はいる」


思わず、言葉が出た。


「そうよねぇ。悪い男はいるよね」


女は視線を落とす。

その言い方は、どこか個人的だった。


「じゃあ、どういうシステムが妥当だと思う? 大切なのはその疑問と、うちのキャパシティだ」


アガヅマの声が、現実に引き戻す。


ーーどういうシステム。


問いが、頭の中で反響する。

答えを探そうとして、ふと気づく。


そもそも、俺は“元の刑”を知らない。


「あの血の池地獄は、そもそもどんな刑なのですか?」


自分でも、少し遅い質問だと思った。


「あれは真っ赤に染まった池に落とされ、そこから出られない刑だ」


アガヅマは、感情を乗せずに語る。


「しかも、鬼の手によって常に池の中に沈められる。永遠に溺れ続けるのだよ」


その光景が、頭の中に浮かぶ。


赤い水面。

もがく影。

永遠に溺れ続けるーー。

その言葉だけで、肺の奥が冷たくなる。


「以前の刑場をシュミレートできる施設があるから、やってみるか? 亡者を沈められるぞ」


軽く言われたその一言で、胃の奥がひっくり返った。

視界の端に、赤い水面がちらつく。


俺はこれまで、被害者か、その外側から見ていた。

鬼の側に立つなんて、考えたこともなかった。


「鬼の立場で考えると、きついものがありますね」


声が少しだけ掠れる。


「それを毎日八時間。死ぬまでやるか?」


アガヅマの言葉が、逃げ道を塞ぐ。


「いえ。それは無理です」


即答だった。


「では、他の誰かにやれと言えるか?」


さらに一歩、詰められる。


言葉が、出ない。

喉の奥で止まる。


「事情を知った今では、もう言えません」


ようやく絞り出した声は、思ったよりも小さかった。



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