第5話 直さないと決める
その夜、宿の窓辺で、エリアナは、長く考えていた。
ガイウスは、向かいの椅子で、街の地図を眺めている。共同管理区間の、警備配置の見直し。それが、本来の、二人の仕事だった。
「気が、乗らないな」
ガイウスが、地図から目を上げて言う。
「顔に、出ていますか」
「出てはいない。だが、分かる」
付き合いの長さが、そう言わせるのだろう。
「直せると、思っています」エリアナは言った。「この街の、止まっているところを」
「なら、直せばいい」
「駄目です」
即答だった。自分でも、少し、驚くほど。
「なぜ」
ガイウスが、地図を置く。
エリアナは、窓の外の、暗い街を見た。
「私が直せば、この街は、直りません」
「……理屈が、飛んでいるぞ」
「いいえ」
彼女は、ゆっくりと続けた。
「今、この街は、セレナに寄りかかっています。最後は、あの人が見てくれる、と。……そこに私が乗り出せば、どうなりますか」
ガイウスは、少し考えた。
「なるほど。今度は、お前に寄りかかる」
「ええ」
「セレナが、エリアナに、変わるだけか」
「もっと、悪い。私は、いなくなる人間ですから」
半年の契約が終われば、リュネアへ帰る。そのあと、寄りかかる先を失った街は、また、止まる。
外から来た人間が、直してみせること。それは、いちばん、してはいけないことだった。
「じゃあ、どうする」
「……分かりません」
正直に、答えた。
直すのは、簡単だ。直さないのは、難しい。
この街の人々が、自分の足で、「最後の確認は、いらない」と気づくまで。手を出さずに、待つ。
それは、リュネアでやったこと以上に、遠回りな道だった。あの時は、ゼロから、共に作れた。今度は、出来上がった歪みを、外から、口も手も出さずに、正させなければならない。
「時間が、かかります」
「どれくらいだ」
「……この街が、自分たちの足で、立つまで。おそらく、半年は、ここに、腰を据えることに、なります」
ガイウスは、少し、驚いた顔をした。半日で、話をまとめて帰る。そのつもりで、来たのだ。
「リュネアを、それだけ、空けるのか」
「空けても、回ります。……あなたが、いちばん、よく、知っているはずです」
ガイウスは、口の端を、わずかに、上げた。
「違いない」
自分たちが、半年、いなくても。困らない街。それを、作ったからこそ。二人は、この街に、留まれる。
皮肉では、なかった。それは、リュネアで、積み上げてきたものの、静かな、証明だった。
「難しいことを、わざわざ選ぶな」
ガイウスが、ぼやくように言う。
だが、その声は、止めては、いなかった。
「支えるぞ」
短く、そう付け足す。
「代わりに、決めはしない。だが、隣には、いる」
エリアナは、彼を見た。
近すぎず、遠すぎない。いつもの、距離。
けれど、その言葉は、いつもより、少しだけ、あたたかかった。
「……あなたは」
「なんだ」
「あなたは、私が、直さないことを、選んでも。それでいいと、思いますか」
ガイウスは、少しの間、黙った。
「お前が決めたなら、いい」
それは、リュネアで、彼女が何度も、街の人間に言ってきた言葉だった。
同じ言葉を、今、自分が、返される。
王妃にはなれなかった。
だが今、私は――
"直さない"という、いちばん難しい仕事を、選ぼうとしている。
そして、その隣に、黙って座ってくれる人が、いる。
ガイウスは、決めてくれません。
代わりに、隣にいてくれます。
エリアナが前作で街に渡したものを、今、彼女自身が、彼から受け取っています。
次回、二人の調整者が、向かい合います。
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