続編 第1話 隣を選ぶという日常
『婚約破棄されたので王都を出ましたが、なぜか辺境都市を立て直し、王都より発展しています。』の、そのあとの話です。
前作を読んでいなくても、たぶん大丈夫です。
派手なことは、やっぱり起きません。
王妃になれなかった女が、次に何を選ぶか。それだけの物語です。
朝の市場は、今日も少しだけ賑やかだった。
新しい商団が、また一つ増えたらしい。荷車の音と、値を交わす声が重なる。
エリアナ・フォルツは、籠を片手に通りを歩いていた。
誰も、道を開けない。
誰も、頭を下げない。
それでいい。
果物の値を聞き、少し迷って、二つ選ぶ。ただの買い物だ。肩書を返してから、もう一年が近い。今の彼女には、決めなければならないことが、ほとんど何もなかった。
倉庫の方角から、短い声が聞こえた。
「順番、間違えないで」
ミーナだ。
案内役だった頃の、頼りない面影はもうない。声に、迷いがない。
「次はどうする?」
誰かが問い、ミーナが答える。
「優先枠は動かさない。時間だけずらす」
「分かった」
指示は簡潔で、確認を求めない。
エリアナは足を止めず、横目でそれを見た。
誰も、彼女を見ていない。
それが、いい。
――と、思う。思っているはずだった。
ただ、時折。
こうして手の空いた朝に、胸の奥が、わずかに静かすぎることがある。
名前のつかない感覚だった。後悔とも、物足りなさとも違う。ただ、少しだけ。
その正体を確かめる前に、隣に影が並んだ。
「暇そうだな」
ガイウスだった。
「ええ」
「退屈か」
少し考えて、首を振る。
「いいえ」
「本当に?」
「……たぶん」
ガイウスは、それ以上聞かなかった。ただ、歩幅を彼女に合わせる。
近すぎず、遠すぎない。
いつもの距離だった。
けれど、その距離を、どちらからともなく保っていることを、二人はもう知っている。
城――今は半分が記録棚になった建物――に戻ると、机の上に一通の書状が置かれていた。
封蝋の紋は、隣の街のものだ。
「グレイシャか」
ガイウスが、覗き込んで言う。
「共同管理の契約、もうそんな時期です」
半年前、リュネアとグレイシャは、街道の一区間を共同で管理する約束を交わした。警備の費用を折半し、揉め事の裁定を分け合う。期限は、半年。
その満了が、近い。
「更新するかどうか、話し合いたいと」
「向こうから言ってきたのか」
「ええ」
ガイウスは、少しだけ意外そうな顔をした。
グレイシャは、かつてリュネアと張り合った街だ。人も多く、気位も高い。半年前の交渉も、決して和やかではなかった。折れてきたのは、いつも向こうが最後だった。
「揉めるか」
「分かりません」
エリアナは、書状をもう一度読む。
文面は、丁寧すぎるほど整っていた。以前の、勢いで押してくるような書きぶりとは、まるで違う。
そして、その末尾に、見覚えのある言葉があった。
《決定は、現場へ。記録は、残す。》
エリアナの手が、止まる。
それは、彼女がリュネアの記録帳に書いた言葉に、よく似ていた。
「……真似ましたね」
「何を」
「うちの、やり方を」
ガイウスが、書状を覗き込む。
「噂は聞いた。グレイシャが、この半年で持ち直したとかどうとか」
「持ち直した?」
「リュネアのまねをして、な」
エリアナは、しばらく黙っていた。
誰かが、自分のやり方を真似ている。
それは、本来なら、喜ばしいことのはずだった。仕組みは、広がった方がいい。自分がいなくても回る街が、一つでも増えるなら――それは、彼女が望んだことそのものだ。
なのに。
その、丁寧すぎる一文が。
なぜか、少しだけ、引っかかった。
「明日、発ちますか」
「ああ」
ガイウスは、書状を机に戻した。
「呼ばれたわけじゃない」
「ええ」
エリアナは頷く。
「決まっていた予定です。ただ、それだけ」
窓の外で、市場の声が続いている。
リュネアは、回っている。彼女がいなくても。
果物を一つ、ガイウスに渡す。彼は、断らずに受け取った。
王妃にはなれなかった。
だが今、私は――
ただの一日を、惜しめるようになった。
その一日を、隣の街のために、少しだけ使うだけだ。
――使うだけの、はずだった。
続編、はじまりました。
前作から読んでくださっている方は、おかえりなさい。
はじめましての方は、ゆっくりしていってください。
次回、二人は隣の街グレイシャへ。
「立て直した」と評判の街は、たしかに栄えて見えるのですが――。
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