Ⅰ 6-11
言葉のニュアンス的なものは私にもよくわかりません。
こうして、貴教はT.M's.R LIVE Revolution 「J○ker Type2」に臨んだ。というよりも挑んだ。前年の(T.M's.R LIVE Revolution )「j○ker」(全国二十二都市二十二公演)で痛感させられた敗北感のようなものを払拭する、いや、やり返す為に(も)。
貴教は何処へ行こうとも「お前ら、そんなもんかよ!」と暴れまわった。“オモロいあんちゃん”という感じではなく。「“お前ら”などと威圧的ではないか。特にライヴ慣れしていない地方の人々に対して」と仰る向きも勿論あろう。だが、貴教にとっての“お前”“お前ら”は、仲間意識的な、彼の地元で云うところの「あんた、アホかいな」に近いぐっと距離の詰まる親愛の情の込もった言葉なのだ。何しろこんな奇抜な衣装を着た山のものと海のものと区別のつかぬ(SIGAなのだから海は有り得ないのであるが。だかしかし、山は近江富士がある)モノを観に来てくれた、観に来てくれているのだから、貴教からすれば親愛のこもった“アホ”である。ただ、矢張り其れは貴教の側の認識である。SIGAのヤ○で生まれ育ったいち○西人と北○道や九○では当然言葉に対する受け止め方も違ってくる。大抵の地方の人には少々荒っぽく響いている、だろうということは、貴教だって承知している。そんなことは前年の「j○ker」で身に沁みた。だけど、敢えてそこは変えない。譲れない。
貴教は当時の(自身初連載の雑誌の)エッセイの中で、
【僕はライブに参加してくれた全員に、会場の空気がゆれる感じや匂いを感じて欲しいし、みんなにも僕と同じようにヘトヘトになってもらうことで、ステージと客席の境をなくしたい。僕は全身全霊でぶつかっているのに、スカされたりなんかすると非常に闘争心をかき立てられるのです。だったら真正面で受けとめるまで投げてやるぅ~! と暴れまくり、ライブの後半ともなると山のように押し寄せてくるみんなの声に僕は息つく暇もなく、まるで一人でリレーをやっているような状態。それでも僕が「まだ足りねー‼」と暴れれば、みんな一生懸命返してくれる。気持ちがひとつになる至高の瞬間です。】
と記している。
ここで改めて注目して欲しい。
【それでも僕が『まだ足りねー‼』と暴れれば、みんな一生懸命返してくれる。気持ちがひとつになる至高の瞬間です。】
そうである。そうなのである。貴教は“引かれてはいない”のである。寧ろ、歌を通じた魂の共鳴を成し遂げているのである。
そして、精一杯の幸福を感じ、精一杯の幸福を感じて貰えている実感がそこには――
関西人だからそうなのか、滋賀県民だからそうなのか、野洲の人間だからそうなのか。
…どうなんでしょうね?




