Ⅰ 6-10
割礼というのは実際に西川氏が喩えに使ったワードですが…。
僕自身、ライブでいかに自分が音楽に掛けているかを試されている気がするし、人に喜んでもらうためだけにやっているのなら、採算の取れないライブも音楽も続けていない。だけど、音楽に救われた自分がここに立ち、ライブをやっててすごく気持ちいい。なおかつ「音楽ってよくない?」ってことをみんなと同じ瞬間に確認して共感出来るからこそやっていける。】
《…下ネタでなんだが、「破瓜する時は痛いかもしれないけど、その後ヤリマンになる女子はいっぱいいるでしょ」ていうこと?
…とは違うか。
西川様、大変申し訳ありませんでした。》
二つ目には貴教の別の自我である。一つ目の根本にあるのが極めて高い自己本位的自我であるとすれば、二つ目は貴教の持ち合わせている集団的自我、社会的自我の表出である。貴教は先の地方公演で引かれもしたが、同時に直ぐ身近に、直ぐ目の前に自分がいる事、本物のアーティストに初めて直接接するような人達から発する熱狂にも触れていた。どれだけ喜んでくれているのかも肌で感じた。故に、持ち前のサービス精神から、娯楽の乏しい田舎(失礼)に自らが赴く事で祭りの様におもいっきり楽しんで欲しかった――想えば、後のイ○ズマロックフェスに通ずるスピリットは確かに既にこの時点にあったのである。それまでは都会にしかなかった様な娯楽を率先して提供したかったのである。歌という極上のエンターテイメントの存在を教えたかったのである。其れは正に、先陣に立ち歌を以て導く革命の闘士として。「教えるは貴し」を信じてーー
三つ目には、“血”であろう。貴教は後にアーティストとしてだけではなく、エリービジネスマン、敏腕のやり手社長としても其の手腕を明らかにする(ソロデビューの以降の環境面からそちらの方面も鍛錬されたのは明白である)のであるが、そうさせたのは想うに何であろうか? SIGAのヤ○出身の貴教には「近江商人の血脈が息づいていた(じいちゃんは警察官で両親は公務員ではあるが。ばあちゃんは…)のではないか?」というのも彼の残した業績からしてまるで的を外れているとは考えられないからである。将来のインターネットの普及による社会的な変化に伴う大都会への集中からの拡散を見通しから、或いはニッポンの津々浦々、絨毯爆撃のような興行に次ぐ興行を通して、人と人との繋がりや其の土地其の土地との縁を築き深めるといったことから、若しかしたらば此の一流のライヴパフォーマーにして抜群の目利きである近江商人の瞳には、未開のフロンティアともいうべき市場が映っていたのかもしれない。いや、「タコ足式、隙間産業的にまずは種を蒔いて、根を張ってきたらゆくゆくは…」などとあれやこれやと考えていたことであろう。何しろ兵糧は、軍資金は、有るに越したことは無い。
四つ目には独特な親近感を醸成する試みである。そうさせたのは、貴教が○ールナイトニッポンをやるようになりいよいよ確信した「ラジオのもつ独特な温かさや優しさを伴う親近感でもって皆と直接繋がれないだろうか?」という想いであった。それをやれるとしたら、オーディエンスとの距離は近くとも、或る意味敷居が高くクセの強いライヴハウスではなく、キャパの小さく敷居も低い、より観客の日常に近いハコでだと考えたのだ。関氏は云う。「貴教君は客席に五万人お客さんが居たら、五万人と目が合わせられる人なんです」。
“オンリーショルダー”ではあってもである。
あと、「“暴れる”クセして」、でもある。
西川様。折角良い事を言って下さっているのに、途中下ネタでツッコミを入れてしまった事、重ね重ね申し訳ありませんでした。




