Ⅰ 6-7
「H○Y!H○Y!H○Y!」初出演の反響は大きく、明らかに其の影響を受けてであろうことは幾つもあった。そんな中、「○ールナイトニッポン」のパーソナリティーを任せられたのは貴教の中では極めて大きなことの一つだった。ラジオ番組を自分が持てたーー。確かにデビュー前からFMで番組持たせて貰ってはいたけれど、何と言っても「○ールナイトニッポン」である。ラジオ番組では別格といっていい存在である。最初は月曜日の二部からのスタートだった。
“あれ”があったとはいえ、人となりもわかって貰えていない様な段階である。ジワリジワリとハガキの量も増えていってはいたが、リスナーもどんなことを書いて送ればいいのかわからなかったのだろう。このままでは単なるファンクラブ通信でしかなくなってしまいがちなところを、構成作家の石川氏とディレクターの加藤氏に出会えたことで、南方貴教という人間をどうフォーカスしていくかとという処にもっていって頂けた。最初の頃読んでいたハガキはおそらく石川氏の用意してくれたものだったのであろう。そこのところは、スタート間もないこともあり、而もほぼ一〇〇パーセント女性ファンしかいないという状態だったし…。
番組を続けるにつれ痛感したのは、従来のファン以外にも聴いて貰うには、こちらが脱がないと相手も脱いでくれないということだった。いや、同衾に至る男女とか、ビキニパンツ一丁になったマッチョが剥き出しにした鍛え抜かれた筋肉に魅了されて思わず「キレてる! キレてる!」と叫ばないではいられなくなるのとはちょっと違うだろうけど。だけれども、此方が裸にならなければリスナーに何も感じては貰えないし、且つ其処を晒してゆくことを躊躇している様では話にならないと気付いた。毎週二時間ももちはしないのだとわかっていった。
やっていくうちに一人二人とハガキを書いてくれる人が増えていった。
自分もトークがリスナーのイマジネーションを刺激している、聞く者の内に眠っている想像力を引き出していると想うと何だか誇らしくさえあった。それで楽しんでくれているのが見て取れるのだから尚更であった。
本職の音楽活動に於いても、それまではサンプルを持っていって「聴いて下さい!」とお願いしていた立場だったのが、打って変わって逆にプレゼンされる様な状況に行動を共にする谷山氏と関氏とともに戸惑ったりした。
ただ勝負を賭けた“桶狭間”の影響は貴教にとってプラスとばかりだとは言いかねた。
というのも、あの“憧れの兄さんたち”とのトークから視聴者が見てとったキャラが独り歩きしてしまい勝手に現象化している感じを主にライヴで感じざるを得なかったからである。それは貴教にとっては戸惑いの方が大きく(確かに三振かホームランかの渾身のフルスイングで勝負に出て、結果、バックスクリーン超えの場外ホームランを打ったのは自分ではあるが)、当時ライヴでいつも通りにやっていると「何か偉そう」「テレビと違う」と言われてしまうのが常となってしまっていて、おかげで「ウッホーイ!」と得意になれる感じにはなれなかった。 貴教は語る。
【「どうしたらいいいのかな? でも、ここで曲げちゃイカンだろ」と思ってやってるとお客さんは「こんなん違う」とばかりにどんどん引いったのには流石に参った。】
と。
ここでも新たにお二方本名を出してしまったが大丈夫だろうか?




