Ⅰ 6-5
デビューの頃は、当時のマネージャー谷山氏とレコード会社のアーティスト担当の関氏と何処へ行くのも三人、ド○ゴンクエストⅢの様なパーティーによる全国キャンペーンの日々が続いた。一曲目がリリースされ、二曲目がリリースされ…、悪くはないけど、大ヒットも出ない…、そういう状況だった。「二、三曲出してて、駄目なら撤収」の瀬戸際に追い込まれた状況出迎えた3rdシングルリリース。元々がネガティブな貴教は鶴○浩二が熱唱する「空○バカ一代」を鳴り響かせながらも、「これでスリーストライク・バッターアウトか、はたまた、スリーアウトチェンジか、もしかすると(しなくても)ゲームセットか」とビビりまくっていたのだが…、唯、間違いなく追い風は吹いていた。3rdシングル「HEART OF SW○RD 〜夜明け〜」――この曲は人気アニメ「る○うに剣心」アニメのエンディング曲であった。アニメの人気に因るところ確実にあったであろうが、オリコン20位以内にかなり長い間にランクインし続けてくれたのだ。其れは同時に首が繋がったばかりでなく、良い流れを貴教にもたらせてくれた。「H○Y!H○Y!H○Y! MUSIC CHAMP」出演が決定したのである。
今思えば、これが――「H○Y!H○Y!H○Y! M○SIC CHAMP」への最初の出演が、T.M's.Revolutionの知名度を一気に上げたという事に関しては、貴教にとっての“桶狭間(の戦い)“”だったのかもしれない。
司会は言わずと知れた超大物芸人ダ○ンタ○ンのお二人。雲の上の人という以前に貴教自身がファンである。「お二人とお会い出来るだけで光栄、お話し出来るだけで嬉しくて仕方が無い」である。だが、「ならばこそ」である。ならばこそ、「此処に爪痕を残しててやる。此処に傷跡刻みこんでやる!」と決意した。
【野球でも、バットを短く持って確実に打たなきゃいけない時もあるように、ここぞという時には思い切り振り抜く勇気を持たなければ、次のチャンスはなかなか来ない。】
今が其の時だと感じた。
「渾身のフルスイングでスタンドに叩き込んむ!何ならバックスクリーン超えで場外までカッとばしてやる!」。
「乾坤一擲の大勝負である」と。
其の時から人知れず、貴教の対H○Y!H○Y!H○Y!、対ダ○ンタ○ンに向けたイメージトレーニングを始めた。暇があればダ○ンタ○ンのトークを抜粋したビデオをそれこそテープが擦り切れる程くり返し観まくった。「俺は三人目のダ○ンタ○ンだ」ならば、「俺ならどのタイミングでどうコメントを発するか」を考え、「抑々どんなふうに広がってゆくのか」――千変万化の展開を考える。勿論、本職である歌も技量も肺活量の強化にも努め研ぎ澄まし、精神を研ぎ澄まし抜かりはなかった。少なくとも、緊張に負け、テレビ初出演のP○P JAMのステージの様なことをやっていたのでは話にならない。こうしてやれるだけのこと全てをやって貴教は収録に臨んだのであった。
次回、桶狭間。此れで原作というか史実でも一気にT.M.Revolution知名度が上がった印象が強いです。




