Ⅰ 6-3
ソロでの活動が決まった時、貴教がスタッフに最初に発した問いが是だった。お坊さんみたいな自分の名前に対するコンプレックスは実はバンドを始めてからもずっと引きずっていたのだ。貴教の願いが受け入られて、事務所やレコード会社のスタッフみんなで試行錯誤した結果、南方貴教のソロプロジェクト、つまりは、Takanori Minakata's Revolutionから、T.M's.Revolutionでいこうという結論に至った。貴教ではなくてもTakanoriとしてアーティスト名に残ったのは、スタッフ側から「貴教という名前は良いから、是非音だけでも残させてくれないか」とプッシュされた結果であったのだ。コンセプトは「愛と自由と希望の戦士・Takanoriが皆の先頭に立ち歌をもって革命を導き成し遂げる」(若干「マ◯ロス」かな?)なのだそうな。何にしても、今となってみると、寧ろ自分の名前を無くさないで本当に良かったと想っている貴教であった。
ただあの当時、貴教が本名でデビューすることを躊躇させたのにはもう一つ理由がある。寧ろ、此方の方が大きかったのであるが。
上京し、一度はバンドでメジャーデビューを果たしたものの……。あのどん底を経てソロでの再デビューとなった訳だが、いざそうなってもバンドからソロへと気持ちを切り替えるのはなかなかに困難であった。
何故ならば、ソロアーティストとというのは、「バンドで何かを成し遂げた方が個人としての表現をより追求する為に」なるものであって、「自分はバンドで何一つ成し遂げてなんていないじゃあないか。それでいいのか?」という想いが常に貴教には付き纏っていたからである。
それに率直に言ってしまえば、T.M's.Revolutionは最初から“これは当たる!”という確信がある訳でなく、なんならそれ程の期待を背負ってのデビューではなかったーー
貴教がデビューした年というのは、女性アーティストの台頭が目覚ましく、バンドブームも盛り上がっていたタイミングだった。そして何より、ソロの男性アーティストがデビューしていきなり大ヒットなどというパターンは、それこそグループやバンドでの活躍を経ての転身というのでなければ、非常に少ないという時代であった。グループなのかソロなのか? という名前は引っかかりになるかもしれない、などという淡い期待はあったもののそんなものである。陳勝・呉広の乱だって当時は誰があんな大事になると考えただろう? 当人ですら思いもよらなかったであろう。
そういうことである。
そして、そういうものである。




