Ⅰ 6-1
回想篇「T.M's.Revolution デビュー」スタート。
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デビュー当時は状況を飲み込むことで精一杯だった。バンドとかであれば、愚痴でも何でも言い合ったりすることで何らかの解決が図れたりするものだが、何をするにせよ今度は一人である。
ただ、人には恵まれた。
或る種バンドのメンバーの様な位置づけに当時のマネージャーの谷山氏、レコード会社のアーティスト担当の関氏がいてくれた。其れは貴教にとってとても大きなことだった。二人のお蔭で、本当の意味でスイッチしなくちゃいけないとか、自分の考え方そのものを変えなければいけないことに気付かされた。
それまでは…バンド時代には、それなりにキャパシティーのあるところでライヴもやってファンもいたわけだけど、その頃とは全然、考え方から違った。
良いのか悪いのか、アーティストももっと勉強しなければダメというレーベルだった。事務所に何でもかんでも任せるんじゃなくて、やりたいことがあったら自分で勉強しなさいと。と、いうよりも任せられなかった。
貴教は当時をこう振り返る。
「『三匹の子ぶた』のわらのおうちみたいなレーベルで(笑)、ヤバかったですよ、マジで」
そこからは学習の日々であった。この時期が、敏腕社長にしてエリートビジネスマンである南方貴教を形成する上で、其の基礎を作り上げたと言って良い。
例えば、ライヴにしても、以前(バンド時代)ならば、「オレはこのタイミングでこういうところでブチかましたい!」と言えば、それこそチケットがはけるはけないに会場を押さえにいく。しかし、『三匹の子ぶた』のわらのおうちの住人(而も無名のソロシンガー。いや、いきなりT.M‛s.Revolutionなんぞと名乗られても男か女か、何人組なのかすらわかるまい。そりゃ、クイズにだってなるだろうよ)となるとそうはいかない。まず“ペイしてゆくこと”を考えなければならない。戦をするに当たり補給線の確保はそれこそ命綱である。その昔の楚と漢の争いに於いて、百戦百敗しながらも最後の大一番で項羽を破り天下を握った劉邦の最大の勝因とは何だったのか。おそらくは、どんな窮地に遭っても兵を飢えさせなかった――補給が途絶えなかったことにあろう。この戦いに於ける最大の功労者とされたのが、天才軍師・張良でも国士無双・韓信でもなく前線にはいなかった蕭何であるということなど其の証左であろう。
「かかる人件費とか捻出するには自分がどういうふうに切り盛りしていけばいいのかを、当然のことのように学習させられた」と貴教は当時を振り返っている。「最初はカルチャーショックでしたよ」とも。
「何でこんなことが出来ないんだ」と口にすると、「貴方は今このレベルでしかないからです」と間髪を入れず冷酷な現実が返って来る。AIとか無い時代のことである。突き付けられた事実に対しては、「それは……ね、…そうですか。だよねー。そうですよね~」とでも言う他は無い。だって、ヘコむとかヘコまないとかいうレベルじゃないんだもの。だが、今の(当時の)貴教は最早嘗ての貴教では無い。だって、アウディに誓ったのだから。
マネージャーさんと、レコード会社のアーティスト担当さん史実の実名のままにしてしまったが大丈夫だろうか?




