Ⅰ 5-22
貴教とばあちゃんと法曹界の帝王と書記長。ふみこ以外の面子は世間的には“大物”といえよう。だが、勿論、其の後、卓を囲んで鷲○麻雀(@『ア○ギ』)に興じてアホみたいな額の金が動いたという訳では無い。性格なのだろう、その場を仕切った、というよりは牛耳ったのは書記長であった。但し、貴教の話を聴いてくれて親身になってくれたというのではない。「(自分は)此れ迄こんな大事件の裁判に携わってきて、こんな著名人や権力者と昵懇である」と語り出した。それこそ超有名人である貴教に対する対抗意識であろうか?
(やれやれ)
貴教はものの数分で完全に口を噤んだ。
ところが書記長がそのままその場の主導権を握り続けることはなかった。
とって代わったのはふみこだった。書記長の長広舌に割って入るとともにケンからも言葉を引き出し、その場を大変盛り上がるトークの場に変えてしまったのだ。貴教には特に話を振ることはなかったが。
(ふみこ…。やっぱすげぇわ。っていうか、これだけやれるのっては、むしろこえぇ)
知ってはいたけれど。
「P○P JAM」(南方貴教としてテレビ初出演した番組でもある)の司会なんぞはたとえフリスクを三ケースどころか十ケース空にして臨もうとも、「自分はふみこの足元にも及ばない」と、当時は嫌というほど痛感していたのものである。
「ウソでしょ?」と言われるかもしれないが、貴教は本来激しい人見知りである。デビューして十年程は「人見知りなので…」を言い訳に人とコミュニケーションを取ることを極力避け、生活の殆どを全ては自宅と現場の往復だったくらいである。そんな貴教であったが、アラサーにして「人見知り」宣言など無意味なものだと気付く。会社を興し、デビュー十周年に向うまでの数年間は貴教にとって様々な意味に於いて転換期であったのだが、「P◯P JAM」での司会進行(MC)挑戦もまた其の内の一つであり、後の活動に大きな影響を与えた出来事であった。
デビューの頃から自分が担当するラジオ番組でゲストを迎え入れてもうまく対応出来ていると思ったことなどなかった。そんな自分が国営放送の全国ネットの番組で司会進行する側に立つ、ましてや考えたことなどある訳が無い。オファーを貰った時には「本当に僕で良いんだろうか?」と戸惑い、自問したものである。
番組で迎えるのは、憧れの大先輩から新人アーティスト迄、殆ど初対面の方ばかりだった。それでも「素顔が見えるトークを引き出さなきゃ…」と毎回緊張し、冷や汗をかきまくり、悪戦苦闘を続けたものだった。
司会就任当初は、恥ずかし過ぎて女性ゲストの目を見てお話しするなどとても出来なかった。視線の位置は鼻ですら無い(古◯任三郎は目を見るのが苦手なら鼻を見るといいとか多分第一シーズン第何話かのオープニングで言っていたのだがそれすら出来なかったのである)。ならば視線は何処へ向かったか? 肩であった。常に相手の肩を見つめることで凌いでいたのだ。この後の超大物MCは。
古畑は「そんな話をしてたことがあったような…」といううろ覚えです。




