Ⅰ 4-12
お待たせしました。
鬱も漸く一段落つきます。
エピクロスは、人が生きることを専らの目的とすると、いつ何時、他の目的全てを失ってしまうかわからぬこと、また感覚的な快感は人間を生に結び付けておくにはあまりにも脆い絆に過ぎないことをよく解っていた、いささかでも周囲の求めがあれば、直ちに生を放棄する覚悟をしておくようにと説いていた。従ってここでは哲学的・夢想的な憂鬱は、懐疑的な悟りきった冷静さにとって代わられているがそれは特に最期の時に著しく現れる。
確かに貴教は直前に迄は往った。ギリギリの手前迄は。
だが、貴教は最後の一線を超えることは無かった。しなかった。彼を自殺へと後押ししたのは、夢に破れた自己本位的自我だけでは無かった。其の何倍もの負荷がかかっていたのにも関わらずにである。
では、貴教を思い止まらせたのは一体何であったのか?
一つは幼き頃から持ち合わせていた死に対する人並以上の恐怖であり、拒絶感ではあろうが、此の事に関してはアウラングゼーブの存在は不可欠である。
其の日も貴教は街を彷徨っていた。本当は外出などしたくない。遮光カーテンで閉ざされた一筋の光も射さない暗闇の中に佇んでいたかった。「いっそのこと命を……」という想いは常に頭から離れない。だけれども、「人並み以上の恐怖であり、拒絶感は」まだ死に絶えてはいなかった。それどころか、まだ生かそうとしてくる。「死んじゃだめだ」と弱弱しくはあっても芯のあるものとっして貴教の背を押す。生きていく為には人も生物である以上何かを口にしなければならない。食材の入手――自室の暗闇から貴教を外界へと押しやるのは今はほぼ其れであった。ただ一端街に出ると栄養不足のふらつく足取りで貴教は彷徨する。道行く人々についつい眼がいってしまい彷徨う。そして思う。「この人達は何がそんなに楽しいのだろうか?」、「この人達は何がそんなに嬉しいのだろうか?」。どん底の貴教は待ちゆく人々がそんなふうに見えるのだ。
「どうしてみんな生きているんだ?」――其れが心の奥底の芯の芯に染み付いている恐怖と拒絶だけで生きながらえているような、メジャーに成り損ね先行きも見えぬ、夢に挫折し、世のため人の為になど何にもなっていない、いち無名の人の心境であった。
ふらふらと街の雑踏を彷徨っている貴教の眼に留まったものがあった。一見其れは街路樹の脇に落ちているように見えた。其れは楕円形のブローチを想わせた。其れは一見、ジ○ルノ・ジ○バーナのテントウムシ――生命の虫――を想わせた。但し其れは原作の様な色はしていない――緑色だった。そして、よく見ると其れはテントウムシでもない。もっとのっぺりとしている。其れはブローチではなかった。鮮やかな緑色、それでいてのっぺりとしていて、昔、縁日の屋台で売っていたカエルのおもちゃかと思った。ポンプがついていて握るとぴょんと跳ねるやつ。だけど、それはおもちゃなんかじゃあなかった。
アウラングゼーブ?
…そういうことです。




