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Ⅰ 4-9

何故、自己本位的でありながら、集団本位的であり、社会本位的でもあるという、自我の持ち主がどうしてここ迄苦しむーー本来死というものを忌避している人物にとって魅力的且つ魅惑的なものになってしまうかというと……。

 人間が二重の意味での存在――物理的且つ社会的――というのでなければこうはならない。物理的なものだけの存在であったのならば、人は人として苦悩することはない。人間とは社会的生物――それも蜂や蟻とは全く異なる――であり、故に社会の存在を前提とする。

 彼が(彼女が)表現し、役立とうとする社会を。

 貴教という人は、其れが人の二倍も三倍も、いや二十倍も三十倍も其の想いが強い人間なのである。

 今も、そして嘗ても、それはそうであった。

 それは自己本位的自殺が従来の道程を辿るよりも遥かに辛くきついものであることは間違いが無かろう。

 そして、生き残るのであれば尚更に。

 従来の自己本位的自我から自己本位的自殺に至るに於いては、其の過程で自己実現への隔たりに意識は収斂されていく中で、実際のものだけでなく、其の者の意識に存在する社会及び社会的なものも希薄になり失せてゆくものである。意識は周囲のものを遠ざけ、自らの惨めさに対する反省を巡らせ、自己を唯一の対象とし、此れを観察し、分析することを専らとする。この極端な自己への集中の結果、意識は“自らと自余の世界を隔てる”溝を一層深く穿ち孤立させ、自らを自身の虜とし孤独を際立たせる。人はただ自己のみを見つめている時は自己以外に関心を抱く理由など見出しはしないし出来はしない。

 だが、実は、唯其れだけで自殺に至るのならばある意味幸せなのだ。

 特殊な自我の主でないことに於いて。

 貴教の様に。

 貴教の場合は自殺に至る従来の自己本位的自我に苛まれつつ、社会と集団への意識は少しも失われはしなかったのである。それどころか、社会との結び付きを(物質的には引きこもりになりながらも)皆の役に立てない(みんなを喜ばせることが出来ない)という口惜しさ、無念さが心の内の社会と結び付きを孤立させられる過程に於いてかえって強くしてしまってさえいたのである。“自らと自余の世界に溝を穿つ”事に罪悪感を覚えてさえいたのである。寧ろ、其れがより強くしてしまったのである。「みんなを笑顔に出来ない。喜ばせることが出来ない」と。自己本位的であることで自殺に至らんとする道のりで知覚しなくてもよい、従来型の自己本位ならば麻酔が施され(麻痺し)“免除”されている苦痛や苦悩にまで苛まれていたのである。自己本位的自殺に至る過程に於いては無縁な筈の懊悩。斯様な過程で人が愛を抱くとすれば自身の愛について思索を凝らしているという事実に対してであって、間違いなく、自分以外の他と、他の存在との実り豊かな結合を成就すべく身を捧げ結ばれる為ではない。


シンガーであると同時に心の底からエンターテイナーなのです。貴教……。

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