Ⅰ 4-8
「やりたいことを全てやろうと想ったらあと百年は生きなければならない」という言葉、そして其れを実践せんと、いや、してしまうのではないかというストイックさでもってアラフィフの肉体を律し、鍛え上げ(普段から健康に気を使ってはいたが、名実ともに最も有名なSIGA県民となった頃から明らかに積極化した日々のトレーニング――身体づくりは本人も認める様に明らかに過剰であり、ステージでのパフォーマンスをフィジカルの側面というよりも、寧ろ、メンタルの側面で裏打ちしているというのもまた本人談である)、何よりも全身から醸し出される圧倒的な生に対するポジティブな(本人は「性格はネガティブだ」と言ってきかない)雰囲気――オーラを放つ、あの人物が、である。
この時期だけが例外中の例外であった。
自己本位的自我の見出した自らに対する限界。
自分自身に対する失望であり絶望。
自死――
自己本位的自殺である。
そういったものが耳元で甘く囁いているかのようであり、事実、暗闇の中、極めて魅力的に貴教の心の奥底で鳴り響いてしまっている。自分の歌で皆の心と共鳴したいと想っていた男が、自分の歌では決して誰にも届かないという絶望の底で“悪魔の囁き”と共鳴してしまっていたのである。
生物である以上、人もまたいつかはその生涯を閉じる時が来る。「いずれ自分の人生も終わる」という現実――事実から眼を逸らせているか、自らに対しては硬く眼を閉じるでもして生というもの本質を偽りでもしなければ、人は耐えられまい。直視出来はしない。幼き日の貴教でなくとも。真正面から直視したのならば、人は生きることを肯定する事さえ叶わないのではあるまいか? 何故ならば、例え自分自身を欺いて、最後には無に帰してしまうという此の観念をある程度意識せずにいることは出来ても、無の到来を実際に無くしてしまう事は出来ず、どんな事をしても避けようがないのだから。
貴教は歌に見捨てられた無力感に囚われている。
歌は失われ、避けようのない死にのみ直面していた。
歌の無い世界とは貴教にとっては其れ以外の何ものでもなかった。以上でも以下でもない絶望の世界ーー
途中に、死を隔てる、其れでも隔ててくれる筈の虚ろですら其処には無かった。希望を失った末の絶望とはそういうものである。




