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Ⅰ 4-3

 貴教はネガティブを自称している。が、そんな彼でも受け入れ難い、自分史に於いて有ってはならないネガティブというものはあるのだ。それがこの空白の二年――その最初の一年半である。

 それは正に人生のどん底であり暗黒期――何なら何度自らの生に終止符を打とうとしたかわからない。

 人とというものはただ生きるだけならば、夢など必要としないーー

 生命の保持、肉体の諸機能の維持が手当て出来ていれば、生きていることは、出来る。人間の身体というものは基本的に生命活動を維持する――擦り傷・切り傷程度のものならば数日も経ずして跡形もなくなり、普通の風邪なら市販のカゼ薬でも服用しておけばやはり数日で癒える事等挙げるまでもないだろう――方向に機能している。肉体的生命維持という観点からすれば、およそ人間は自分自身を越える様な目的設定をしなくとも生きてゆくのに理にかなった行動をすることが出来る。而も、大概は特別意識などしなくとも。人以外の動物と同様に。「生かす」という目的に於いて、それらの機能・器官は――病んだり、劣化したりというのでなければ――常に一定の役割を果たし続けている。つまるところ、人間というものは、余計な欲求を抱きしさえしなければ、自分自身で満ち足りている訳であり、生きることに何か別の目的をもっていなくとも幸せではいられる、と謂いたいところではあるが現実はそうでは、ない。食欲を満たす事、性欲を満たす事で幸福を堪能出来ているのは、生に対する解像度が低い動物、若しくは人間であっても文明社会という呼べるものを構築するに至っていない原始人迄であろう。ある程度以上の成年に達した文明人を生かしているのもまた、食欲、性欲、睡眠欲といった生物としての肉体の欲求であることに相違はあるまいが、其れ以上に彼等を活かしているのは肉体の要求からかけ離れた、夥しい観念、慣行、感情等である。自己承認欲求、自己顕示欲といったものもそうであろうが。そういったものが、人間の生を動物の生と異なるものとして際立たせているものと謂っても良かろう。彼らにとっての生に対する解像度は最早な雑なスケッチでも狂想曲ラプソディーでもないのだから。其の点で他の動物とは圧倒的に異なる。道徳、宗教、政治的信念等は、其れ自体として身体の諸器官の消耗をつぐなう役目をする訳でもなく、また其の機能をうまく維持させる役に立つ訳でもない。無論、そこには芸術――音楽も含まれる。これらの超肉体的な生活を目覚めさせ、発展させてきたのは、宇宙の在り様では無く、人間の在り様である。自然環境からの刺激ではなく、人間というものの集団ーー社会環境からの刺激である。他者に対する連帯感や共感を我々に目覚めさせたのは社会の働きであり、人以外の何ものでもありはしない。考えてみるがいい。芸術とは、歌とは、自他の連帯感や共感無くして有り得るものであろうか? 自他の魂の共鳴があったればこそのアーティストであり、シンガーではないのか? 其れはさて置き、人間を意のままに型どり、人間の行為を支配する、宗教的、政治的、道徳信念を我々の中に植え付けたのも、また社会ではあるのだが、人が自らの知性を豊かにせんと務めた――時に其の理性は代々人の内に植え付けられてきたものと衝突し、弾圧の憂き目に遭うことも少なくなかったが――のも、社会的な使命なり役割をより良く果たさんが為、出来る様になる為であった。そして、蓄積してきた知識を後に伝達、発展させる手段を提供していたのも、また社会なのである。人というのは集団によって其れを成さしめてきたのである。



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