Ⅰ 4-2
兎も角、メジャーデビューは出来たもののバンドは全く売れなかった――
貴教の“自我”はダイヤモンドの様な強硬度の壁に叩きつけられたが如く木っ端微塵に打ち砕かれたてしまった……。
結果論で言えば、そこから約二年の空白期を経て、今度はT.M's.Relution(Takanori Minaka's Revolution)として音楽の表舞台に帰って来るのではあるが……。
【平たく言うと、あの頃は腐ってはいましたね。で、そこで辞めて新しい人生を歩むってことも、人間として大きな決断ではあったと思うんですよ。でも、辞められなかったっていうか、辞めると、それまでの自分を否定することになりそうで怖かった。だから、辞めるという選択肢はまずなかったです。でも、日々腐り続ける自分がいて、周りの仲間がどんどん大成していく中でね、それを横目に見ながら負のエネルギーっていうか、「なんで自分はそこにおれへんのやろ?」って、そう考えてる自分だけが支えというか……。
精神衛生上、すごくよくない循環でしたね。自傷行為と一緒。傷つけて「痛みがある」っていうことで「生きている」ことを感じているのと同じ。一年半とかたって、「自分はもう忘れられちゃうんかなあ」って……。自分は大っきい花を咲かせて注目してもらうつもりだったのに、気が付いたら枯れ枝みたいになって、誰の目にも留まらない存在になっているんじゃないかっていう、そんな恐怖心が常にあってね……。だから結果的に自分でなんとか雨を降らせたり、少し土壌を変えてみて、そうすればもう少し、「深くまで根が張れるんじゃないか?」とか、たとえ芽は出ないまでも、花は咲かないまでも、一生懸命根を下に下にっていう気持ちはすごく強かったと思います。
でも、そこで限りなく根っこが張れたので、上に大っきいものが立っても大丈夫だったのかなあっていうか……。もし根が浅かったら、ちょっとした横風でもたぶん折れてしまっただろうし。まぁ、今だから言えますけど。もちろんその時は、すごく辛かったけど。でも、こればっかりは誰も恨みようがないからね。あまりにもあの頃は、いろんなタイミングが合わなすぎていた。
その頃は、今より周りの支えも全然ないわけで、そのことに歯がゆさはありながらも、どこか自分では、「いやぁ、全然大丈夫」っていうところも、若干はあったと思うんですね。「これを理解出来ない人間の方がかわいそう」っていう、そんな気持ちがね。「理解してもらうこと」を諦めない。そして、作用・反作用じゃないですけど、きっとどこかで揺り戻しは来るだろうって思ってた。
いつも順風満帆で全てがラッキー、常に右肩上がりってわけでもなかったですけどね。ただ、あの頃があるからこそ、「もうちょっとすると、また巡ってくるんじゃないの?」って自分で思ってるところもあったりするしね。別にそれは、楽観的なわけじゃなくて、今は上に乗っかってるものも当時よりも大きいものだから、今まで以上に深く根を生やさないといけないとわかっていながらも、「今はその時期なんだ」と解釈することができるようになってきたとか……。
まぁその、最初の一年半というのは、何のケース・スタディもできていないので、ただ辛いっていうだけでしたけど、逆に今はその「辛さ=我慢のしどころ」じゃないけど、「今のこの辛抱うを超えたところにきっとまた次の幸せが待ってるんじゃないかな」と思えたり……、というのはありますよね。】
…嘘だ。
嘘である。
全くの出鱈目である。
貴教を貴教として知る人に、当時の本当のところーー真実など語れる筈が無い。
何しろ当の本人があんなだった自分など絶対に認めたくないのだから……。
自分で自分の命を絶つ寸前だったなんて…………。
“原作”との、“原作”のネガティブとの決定的な違いーー
西川氏は多分どんなに腐っていても自殺は考えない。絶対しない。生きる事、生きている事を絶対に否定する人ではない。
本作を書くに当たり、私なりにいろいろと調べたつもりですが、西川氏は鬱にはなってもそういう発想はしない、そういうのは選択肢にすら入らないだろうと……。
其れが私の結論です。
だから真逆にネガティブだと。本篇の主人公は。少なくとも此のパートでは。
…と宣言しておいた次第です。




