Ⅰ 4-1
4
貴教は高校を中途退学した。
「一刻も早く夢を追いたい」――だから。
「二十五までやって芽が出なかったら戻ってこい」。
故郷を去る際、両親が貴教にかけた言葉である。其れは貴教の意志を尊重した代わりに提示した交換条件だったのか、或いは彼の両親の優しさであったのか…。
貴教は大○(「信○の野望」初期バージョン的に、及び予備審問時の“タカノリ・ビジョン(地理)”に於ける、“西海岸”最大の都市。ヘ○ト・アシュベリー地区――サ○フランシスコというよりは、貴教的にはロ○アンゼルスであったろう)に出て専門学校(無論、音楽を専科とする)に通いながら、京○(「信○の野望」の時代でなくとも長らくニッポンの“都”であった)の仲間とバンドを組み活動を続ける。
しかし、其のバンドもメンバーの大学進学によってあえなく解散の憂き目を見る。メンバー間の認識の違い、掛ける想いの温度差の違いと言ってしまえば、其れ迄の事に過ぎないといえば、そうなのではあるが。
大○時代の貴教は最低限の援助しか受けていなかった。食べる物が無ければ数日間水だけで暮らした。アパートの部屋で高熱で倒れ、発見がもう少し遅かったら…、という経験もした。
それでも貴教の信念は揺るがない。
歌う為にバンドを組み、歌う為にアルバイトに励む――
新たに結成したバンドで上京、貴教は二十歳の時に念願のメジャーデビューを果たした。
しかし…。
CDの売り上げも、ライブの動員も、望んだものとは程遠く…。
貴教は悩んだ末バンドを脱退する。
そして、其のバンド自体もそう長くは持たず解散の憂き目に遭う。
子供時代、日曜の朝、「ス○ー誕生」という番組を見ていた。当時の記憶だから定かでないところはあるが、其処でデビューを勝ち取ったアイドル達は、其の後順当に売れっ子になっていった憶えしか貴教にはない。心の何処かにはきっとそんなのがあったのだろう。だけど、自分はそうはでなかった。そうはなれなかった…。
全く結果を出すことは出来ず、所属先も無くなった。
歌う場所も無くなった。
貴教の落胆は計り知れない。
勿論、メジャーデビュー後だって彼なりにベストは尽くした。
それなのに……。
バンドを続けられなくなり、バンドのみならず、所属事務所からも、自ら退いてしまった――思うに任せない現実以上に、如何とも知れない無力感に貴教は打ちのめされてしまったのだ。
「夢の為に生きる」――或る意味其れは自己本位的と謂えば、自己本位的な生き方と謂えよう。
後に有り余る程の富も名誉も名声も得、それでいて尚、自身の夢を実現させる為に生きている(「自分が今やりたいと想っていることを実現させるには、あと百年は生きなければならない」とは半世紀を生きた後に初めてボディビルの大会に出て優勝、連覇を果たした本人の弁である)貴教――。昔と変わらず貪欲に夢を追う自己本位的自我の人ではある。が、同時に今現在の彼は、「音楽業界を盛り上げたい」と願い、「地元の地域振興に何かしらお役に立てないものだろうか?」とSIGA県知事に直訴する集団本位的自我の人であり、社会本位的自我の人でもある。
「夢を追う者」とは得てして自己本位的なものであろう。もっとも、昔の彼が唯々自己本位的なだけであったということではないのではあるが。当時は兎に角、“夢”――「歌で生きる」「歌と共に生きる」――が貴教最大にして殆ど唯一の関心事であり、此の事があまりにも突出しいたが為に、圧倒的自己本位的自我の人であったのは間違いない。…だが、其の圧倒的な自本位性も貴教の場合は同時に圧倒的な集団本位、圧倒的な社会本位生とも極めて強く結びついていたが故に……。
其れはまた後に語るとしよう。
ファンの方なら事前にお知らせしておいた情報から、「まあ、此の時期の事だろうな」という感じだと想います。




