Ⅰ 6-13
Ⅰ-6、ひとまずはここで完結です。
因みに原作ではシャネルのスーツを着て東京ドームにいらしていたのは、御祖母様では無く御母様です。
そんな想いで臨んだ東○ドーム公演であったが、ドームならでは大きな空間を利用しての見せ方というものはあるにしろ、大きな空間に圧倒されることも無く、自分のスタンスを帰りでも無く、ましてや会場に来てくれた人達との距離を感じることなどまるで無く、貴教は一六〇分間ステージの上を走り回り、思いのままに歌い切った。
そして二日目。サプライズはツーデーズの最終日に待っていた。
客席に突き出したステージの突端からガーンと貴教が登場することでライヴは始動する。いつもの様な緊張と期待でワクワクドキドキしながらステージの上に立つ、と、其の瞬間、向かって左側にピンク色のシ○ネルのスーツを着たおばさんが…、
(いや)
ツーデーズ――勿論、土日である。その二日目――当然ながら日曜日である。貴教の両親は公務員である。SIGAだって休日である。そして、他の都道府県並みにはブラックではない。嫁いだ二人の妹は兎も角、両親は観に来ることだって出来ただろう。唯、貴教は知っていた。「決してこういう場にくる人達ではない」ということも。だって、典型的な生粋のSIGA県民である。保守的で実直で堅実で生真面目で、飛び出し坊や一杯いても決して飛ぼ出すことを好まない、寧ろ、目立つ事は拒絶するSIGA県民である。だけに留まらず、そんな土地の、而も、ヤ○のお堅い公務員である。こんな煌びやかで派手な舞台に立ち入ることなど到底出来る人ではないのだ。父親も母親も、いや、南方家という家系が、血脈が、何から何迄斯様なのである。
ステージに立っている貴教の様な突然変異を除いては。…ただ一人の例外を除いて。
しかも、其処へピンクのシ○ネルのスーツで出没出来るなど、南方の一族で其れが出来る者など、唯一人を除いて存在しないのである。
(ばあちゃん!)
明らかに、間違いなく、正真正銘ふみこが其処にはいた。
ばあちゃんは、のっけから泣いていた。ライヴの途中、突端迄行く度に確認するのだが、ばあちゃんはずっと泣いていた。ライヴの最初から最後迄ふみこはずっと泣き続けていた。
そうしてライヴが終わった。何ものにも換え難い至福に包まれ、二時間半、歌い、走り、有酸素運動を続けた。くたくたになった体で楽屋に戻り、いつもの様にスポーツマッサージを受けているとドアを叩く音がする。
「どうぞ」
と答え、扉が開くと其処に立っていたのはピンクのシ○ネルのばあちゃんだった。ふみこは相変わらず泣いていた。うつ伏せの状態のまま、「ばあちゃん、何するんかなぁ」と思っていたら、ふみこは貴教の傍ら迄やってきて頭を撫で始めた。跪き、泣きながら、頭を撫でてくれた。貴教がまだ小さかった頃、工作や絵や勉強が良く出来るとよく頭を撫でまわし褒めてくれた…のは専らじいちゃんだったが、じいちゃんがいない時は、ばあちゃんだってそうしてくれた。共働きで忙しい両親の代わりをしてくれていたんだとも思う。「よう頑張ったなぁ」と泣きながら撫でてくれている。きっと、図工もライヴも小学生でもでかくなっても、何ら変わりは無いのだろう。派手に泣いてきっちり塗りたくってきた化粧はボロボロだったけど。
スタッフが沢山いる中で、ばあちゃんに頭を撫で続けられるのは気恥ずかしくて仕方が無かったけれど…、其れ異常に何とも言えないものを貴教は感じていた。心底思った。「ここまで頑張ってこれて良かった」と。そして決意を新たにしたものだ。「これからもより以上に頑張っていかなきゃいけない」、と。
そりゃあ、“リベンジ”だって完勝するさ!
「ひとまず」と言ったのはこのパートは後に書き足す余地があるのも事実だからです。西川貴教氏の原作というか史実を知っている方は「そうだろうね」という感じで受け取っていらっしゃるかもしれませんが。
the end of genesis T.M.R evolution turbo type D
ただ、此の小説は飽く迄も西川貴教の物語ではなく、南方貴教の物語であり、とある大罪で被告となり法廷に引き出されるという話なので、其れにこの史実は今のところ絡むところはないのかなぁと考え、敢えてT.M.Revolution封印(正式に発表されたのはコンサートの舞台の上からではなくラジオですが)という本人とってもスタッフ及び関係者にとってもエモーショナルな史実は省き、ばあちゃんによしよしされるところだけを描き(原作では実はほぼ同時進行でした)それのみで切りました。少なくとも今はそう判断しました。
Ⅰ-6はそんな感じですが、残弾はあと一発残っています。
中断期前に最後に是を一発撃ってひとまずは終わります。
なので、次話はⅠ-6では無いです。
かといって、Ⅰ-7かというと…。




