第三十三話 祐司の悩み
帰宅した聖夜は、倒れるように畳に寝転がった。
身体は疲労していないが、メンタルはかなり疲れている。
このままでは眠れそうにない。
(最も普段なら、今は仕事中だ。目が冴えるのも仕方がないか)
あまりにも多くのことを知った一日だった。
(ダンピールのぼくが持つ能力、ヴァンパイア・ハンターたちの組織、そして父であるコナーというヴァンパイアがたどった道程……)
あれだけ多くのヴァンパイアを倒しながら、どうしてこちらに残ることを選ばなかったのだろう。
コナーをブラッディ・マスターにしたのはドルーだ。
戦いに敗れ、自らの意思とは関係なく夜の世界に行ったのか。それとも納得した上で選んだ道なのか。
(ぼくもいつか、そんな決断を迫られる日が来るんだろうか)
ヴァンパイアになれば、加織の血を吸った罪悪感に苛まれないだろう。
(でもぼくは人間でいたい。夜に紛れて永遠のときを生きるなんてごめんだ)
ダンピールとして黄昏どきという境界に立ち、人間の世界を守り続けたい。
でもなんの知識も持たない今の聖夜は、闘い方はもちろん、ヴァンパイアの特性をろくに知らない。
せめてこの街に潜むヴァンパイアだけでも見つけ、人間を襲う理由を尋ねたい。人を殺すという行為を辞めさせられるなら、ヴァンパイアでも命を奪いたくはない。
そのためには、ヴァンパイア・ハンターの組織に合流すべきなのか。
(でも組織には柴崎レンがいる。
レンはぼくが葉月の命を奪うことを解っていて、それを止めようとしなかった)
組織にとって葉月は、ダンピールの本能にスイッチを入れるだけの道具にすぎない。
だが葉月は今でも、聖夜にはかけがえのない女性だ。
葉月にした過ちを思い出すと、組織に合流する気にはなれない。
組織は味方ではなく、どこまで行っても交わることのない敵だ。
——結局ぼくは、この先もずっとひとりで生きていくんだ。
将来のことを考えて気持ちが沈んでいたとき、部屋の扉がノックされた。
こんな遅くに誰だろうと聖夜は思いつつ「どうぞ」と返事する。
「聖夜ぁ……よかった。まだ起きてて」
声の主は祐司だ。ライブの後なのに、いつもの元気がない。
上半身を起こして「どうした? 遠慮せず入りなよ」と返事をする。
幽霊のように青い顔をした祐司が、ビールをひとパック持ち、おぼつかない足取りでやってきた。
かと思うと、そのまま畳の上にうつぶせに倒れ込む。
「ごめん、今日のライブだけど、ちょっとしたトラブルがあって行けなかったんだ……」
聖夜はうつ伏せの祐司を覗き込みながら、約束を守れなかったことを謝った。
「いいよ。どうせデートに夢中で時間を忘れたんだろ。
澪ちゃんが『ふたりとも姿を消したまま連絡が取れなくなった』と口を濁して、真っ赤になってたぜ」
「え?」
「恥ずかしくてそれ以上は話してくれなかったよ。でもまあ、大体の想像はつくな」
祐司は仰向けになりながら、聖夜を見上げて意味ありげな笑みを浮かべた。
公園で加織の血を吸っていたところを、澪に見られたのか?
だが都合よく勘違いしてるなら、下手な言い訳はいらない。
聖夜にとっては否定したいところだが、事実を知られるよりは気が楽だ。
「ライブは次もあるから気にするな。加織ちゃんとの仲が進展した聖夜と違い、おれときたら……」
祐司は体を起こして胡座を組み、聖夜を睨むように見つめた。
完全に目が据わっている。
「おれはもうだめだ。澪との恋は、はかなく消えちまったよぉ」
「まさか、無理矢理迫って嫌がられた?」
聖夜が半信半疑で訊くと、祐司はこれ以上ないほどに嫌な顔をした。
「んなわけねえだろ。こう見えてもおれは誠実なんだよ。
その証拠に、澪にキスのひとつもしてないんだぜ。誰かさんと違って」
「何度もデートしてるのに?」
「そう。今日だって、手をつなぐのがやっとなんだぜ」
祐司は膝に手を置き、聖夜を横目で見る。
事情も知らないで、と聖夜は小さなため息を吐いた。祐司は再び聖夜を睨む。
「おれは気持ちを一方的にぶつけたくないんだ。
澪がその気になるまで待つのが思い遣りってものだろ」
祐司は持ち込みの缶ビールのプルタブを開け、勢いよく飲み始める。
「あっ、アルコールは二十歳からだよ」
コンビニ店員をしている聖夜は、職業柄、大学生に売るときは年齢確認をしている。
こんなときでも癖が出た。
「気にするな。一浪したし、二十歳の誕生日は過ぎた」
それならいいか、と聖夜は妙なところで安心する。
「じゃあ、うかうかしてるうちに、他の人にとられた?」
「その方がまだ気が楽だよ」
祐司はもやもやした気持ちを忘れるように、またビールを流し込む。
こんな勢いで飲んで急性アルコール中毒になりはしないかと、聖夜は心配になってきた。
残りの缶ビールをこっそりと背後に隠す。そして祐司が手にしている缶を受けとった。
案の定、すでに中身はからっぽだ。
「実はなぁ……」
祐司は背を丸めて話し始めた。
「さっき澪を家まで送って行ったんだ。
途中まではいい感じだったのに、家に着いた途端な……」
祐司の声が小さくなる。
「遅くなり過ぎだって、澪の両親にものすごく怒られたんだよ……」
「無事に送り届けたんだろ。必要以上に気にしなくてもいいと思うよ」
「気にするに決まってるだろ。
澪の親父さんは、うちの大学の教授なんだ。おまけにTVにもよく出てる有名人だぜ。
おれの学部とは違うのが唯一の救いだよ。
でもキャンパスや学食ですれ違うかもしれないだろ。いつ目を付けられるか心配でたまらねえ」
祐司は見かけによらず、心配性なようだ。
一気に吐き出させたほうが気持ちも楽になるに違いない。
「それにお袋さんは、親父さん同様、TVによく出る教育評論家ときた。
娘が夜遊びしてるとなっちゃ、世間体も悪いんだろうなあ。
このままじゃあおれたちは、親に引き裂かれるロミオとジュリエットだ」
祐司は相変わらず情けない声で力説する。
これまで一生懸命努力し、誠実な生き方を続けたからこそ、今の祐司がいる。
バンドを組んでいるため、見た目は軽いかもしれないが、内面は真面目だ。
澪の両親を気にかけるのも、祐司の誠実さの現れだろう。
「澪ちゃんのご両親に見直してもらえるチャンスはいくらでもあるよ。
それに親がどう思おうと、関係ないじゃないか。本人たちの気持ちが大切なんだよ」
「そりゃまあ、そうだけど」
「それよりもぼくが気になるのは、澪ちゃんを遅くまで引き止めたことだよ。
祐司の気持ちは解るけど、澪ちゃんのことも考えてあげないと。
怒られるのは祐司だけじゃないんだから」
「聖夜の言う通りなんだよなぁ」
祐司は大きくため息を吐きながらつぶやく。
このまま祐司を放り出すと、部屋でやけ酒でもしかねない。
聖夜は無碍に突き放す気になれなかった。
「気のすむまで愚痴りなよ。一晩くらいつきあうからさ」
聖夜が笑みを浮かべると、祐司はやっと安堵の表情を浮かべた。
☆ ☆ ☆
丑三つどきの部屋で、それはゆっくりと獲物に近づく。
彼らは死の瞬間が間近まで迫っていることにも気づかず、安らかな寝息をたてている。
その気になれば苦しむ間もなく命を絶てる。
だがそれでは面白くない。
獲物はあの方を非難した。
何も知らない愚か者たちは、平気であのような態度を取る。
——侮辱する者たちにむくいを。
絶対的な存在。だれにも穢されはしない。だれも穢すことは許されない。
愚かな人間には、あの方の偉大さは解らない。
この手で制裁を加えよう。
あの方の手を煩わすほどの価値もない。
闇に生きる者を侮った酬いだ。
逃げまどう獲物を追い回す。
猫がネズミをいたぶるように、口元に薄い笑みを浮かべて、それは獲物を追いつめる。
人々の恐怖は、それの快楽だ。
人間の流す血は、甘く、芳しい。極上のワインのようにそれを酔わせる。
助けてくれと、獲物が懇願する。言葉はそれに届かない。
届いたところで理解はできない。
本能のままに視線が獲物の首筋をとらえる。肉食獣を思わせる二本の犬歯が、獲物の喉笛に食らいついた。
快楽など与えない。
恐怖と絶望の中で、己の愚かさを呪い、逝ってしまうがいい。
——とろけるようだ……。
目的は果たした。少女の願いはこの手で叶えた。
血に満たされたことで、それは眠りにつく。
心地よい眠りにおちて、闇の中に沈んだ。
☆ ☆ ☆
——やめてくれっ!
——た、助けてえ!
聖夜の頭の中で、命乞いをする大声が響いた。
わあっという叫び声と共に、聖夜は上半身を勢いよく起こす。
眠りから叩き起こされたようだ。窓の外はまだ暗い。
すぐ隣には、祐司が畳の上でいびきをかきながら寝ている。
昨夜はかなり飲んだため、酔いつぶれた祐司はろくに愚痴ることもなく寝落ちした。
貸せる毛布もないので、聖夜は祐司の部屋に行き、掛け布団だけ持ってきた。
聖夜はゆっくりと立ち上がり、頭をふって夢の余韻から抜け出した。
(シンクロした——?)
今のは夢ではない。近くでヴァンパイアが活動を始めると、唐突に同期することがある。
ドルーとの出会いで、嫌というほど体験した。
ただ聖夜の意思では、コントロールができない。
この街に来てからは、一度もヴァンパイアの動きを捉えられなかった。
血を吸ったことで、潜在能力が表に出始めたのかもしれない。
ほしい能力だけを得ようというのは、虫のいい話だ。
長所も短所もすべて背負うことがダンピールとして生きることであり、その力を最大限に活かすことにも繋がる。
(ぼくの中に棲む血に飢えた悪魔を、どこまで飼いならすことができるんだ?)
綾子に呼び止められてこの街に留まった。
加織を見て放っておけないと思った。
そっけない態度をとっても、祐司は聖夜を友として見てくれる。
三人のおかげで、一度はあきらめた日常を取り戻せると思った。
だが、聖夜の中にヴァンパイアが潜んでいる以上、いつ牙をむくか解らない。
見知らぬ他人を犠牲にすることでさえ、抵抗がある。
心を許した相手を犠牲にするのは、なおさら忍びない。
(恐れていることが起きたら、ぼくはどうすればいいんだ)
いや、今は考え込んでいる時間はない。
一日も早くヴァンパイアを見つけだし、退治する。
人間の側につくことを選んだ以上、それが聖夜の取る道だ。
そのときだ。
聖夜の思考を中断するように、ハードロックのナンバーが、静寂を破る。
祐司は目を閉じたまま、ポケットからスマートフォンを取り出し、聖夜に差し出した。
「聖夜……かわりに出てくれよぉ。頭が痛え……」
受け取った聖夜がロック画面を見ると、澪の写真と名前が表示されている。
「澪ちゃんからだよ」
うつ伏せになって頭を抱え込む祐司に、聖夜は発信者の名前を告げた。
それを耳にした祐司は、急に正座し、聖夜の手から電話をひったくる。
電話をかけてくるには、不自然な時間だ。
聖夜の中で、先ほどシンクロしたときに見た映像が、いやな予感を呼び起こす。
「う、うそだろっ? そんなことって!」
電話に出るなり、祐司が叫び声を上げた。
同時に顔から血の気が引く。
澪が尋常でない事態になっているのは、祐司を見るだけで聖夜にも解る。
身体をふるわせながらスマートフォンをポケットに入れ、祐司は青ざめた顔で聖夜を見た。
「澪の家で、なにかあったようなんだ。
パニックを起こしているみたいで、様子が全然解らない。
聖夜、一緒に来てくれるか?」
「いいよ」
聖夜が力強くうなずくと、祐司の顔にわずかだが安堵の色が浮かんだ。
取るものもとりあえず、聖夜と祐司はかのこ荘を飛び出す。
そのころには東の空が少しずつ白みはじめ、小鳥のさえずりが聞こえてきた。
コートに身を包んだふたりは、白い息を吐きながら、澪の家を目指して走った。
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